実、二口。

* * * * *





 伯爵は夕食を摂った後、書斎に置かれたテーブルセットで優雅にワインを飲む。


 わたしはその斜め向かいにある一人掛けのソファーに座り、書類へ目を通していた。


 お酒は飲めないこともないと思うけれど、一応まだ身長も伸ばしたいので出来る限り控えている。そもそも異なる世界とは言え故郷の法律上ではわたしは未成年だ。必然的に飲むものは紅茶になる。




「少年ばかり行方不明とは、また奇妙な話だな」




 呟かれた言葉にわたしは顔を上げる。




「美少年のみ、というのが特に気になりますよね」


「それも気にはなるが今はける。まずは何故子供が狙われるか、という点から着目してみるべきだろう」




 赤いワインを燭台の明かりに透かし、そこから何かを読み見ろうとする仕草をした伯爵が、思いついたのか淡々と単語を並べていく。


 身代金目的、売買目的、快楽殺人、誘拐――……。


 身代金目的であれば攫うのは貴族の子供を狙うだろう。売買目的ならば闇市かどこかで一人ぐらいは目撃情報があっても良いはずである。快楽殺人か、子供に性的興奮を覚える者による悪質な誘拐か。


 子供ばかりの誘拐という話に懐かしい物語の名が浮かぶ。




「ハーメルンの笛吹き男」


「何だそれは?」


「わたしの故郷に外の国から伝わってきた童話です。ハーメルンという街にやって来た笛吹きが街の人々にねずみの駆除を持ちかけるんです。街の人々は了承したけれど、笛吹きが鼠を駆除しても報酬を渋って、結局支払わなかった。怒った笛吹き男は街の人々が教会に行っている間にご自慢の笛を鳴らし、笛の音に釣られて出て来た大勢の街の子供達を引き連れて洞窟に入り、そのまま笛吹き男も子供達も二度と戻って来なかったというお話です」


「約束を反故ほごにした報いか。皮肉な話だな」




 約束を安易に破ってはいけない。自分の行いは必ず自分に返ってくる。


 そんな意味合いが込められた物語なのかもしれない。


 まあ、笛吹きについて行ってしまった子供達は男女関係ないけれど。


 大勢の子供の失踪、などという内容に何となく思い出してしまっただけだ。




「一説には、子供達は流行り病で死に、死神を笛吹き男として描いているとも言われていますが。親より先に子が死ぬのと、子より先に親が死ぬのとではどちらの方が不憫なのでしょうね」


「………」


「伯爵?」




 不意に口を噤んだ伯爵を見やればグラスを持つ手が止まっていた。


 しかし目が合うと「何でもない」と言って残っていたワインを飲み干した。


 少し気になったが聞いても答えてはもらえなさそうな雰囲気に、わたしも問い掛けの言葉を紅茶と一緒に飲み込む。ミルクで薄めた紅茶の優しい味が広がる。


 少しの間を置いてからわたしは話を軌道に戻した。




「今回はどこから調査致しましょう?」


「……そうだな」


「?」




 伯爵は顎に手を添えて暫し逡巡した後に、少し口角を引き上げて意地の悪そうな笑みを浮べる。


 それに何となく嫌な感じを受けつつもわたしは首を傾げて見せた。






* * * * *






 暗い夜空に星々が輝く夜の花街は行き交う人々で華やいでいた。


 店の前で客を呼び込む娼婦、美しい女を探すために当てもなく花街をウロつく男、小さな燭台の光がカーテンに体を寄せ合って酒を酌み交わす男女の影を映す。そこら中から男女の秘め事を楽しむ話し声が聞こえ、時には男同士が女を巡って争う音も響く。


 そんな喧噪の真っ只中にポツンと佇みながら、わたしは澄み切った美しい星空を見上げた。




「……あー、星が綺麗だなあ……」




 頭上から視線を自分の服へと落とす。使い古して黄色味を帯びた擦り切れたシャツに赤褐色のやや色褪せた風合いのウエストコート、気持ち丈の長い上着は袖や裾がほつれているし、七部丈のズボンから覗く足には靴底がめくれかかった簡素な古いブーツ。全体的に褪せてくすんだ色に包まれている。


 この街によくいる少し貧しい一般的な労働階級の家の少年らしい服装だ。


 ……中に自前の肌着を着ているお蔭で寒くないだけマシか。


 はあ、と吐き出した溜め息は白く色付いて空気中に消えていく。


 どうやって調査をするか伯爵に問い掛けた後、説明される間もなくわたしは指示を受けた執事の手によってあれよあれよという間に街の少年へビフォーアフターさせられた。流石に着替えは自分でしたが、髪は黒に近い焦げ茶色の染粉がはたかれ後頭部の高い位置で一括りにされた。


 名案とばかりに伯爵が口にしたのは、所謂『おとり捜査』だった。


 わたしは今回の事件の被害者たちと外見年齢も容姿もピッタリだそうなので狙われやすい。それならば街の中でも犯罪の起こりやすい花街を少年に成り済ましてウロついてみろ、となった。これで犯人に何かしらの動きがあればこの花街かその近辺のどこかに犯人が潜伏している可能性が出るという事である。


 グロリア様の気遣いを無駄にする、全く以て甚だしい名案だ。


 勿論わたし一人で花街を歩かせるのは良くないと理解しているようで、今現在は一人でいるものの、伯爵もわたしの様子が見えるこの花街のどこかにいる。恐らくはわたしを尾行しているのだろう。




「――……君、一人かい?」




 何故なら花街で話しかけてくるのが女性だけとは限らないからだ。


 声に振り返れば暖かそうなコートを着込んだ若い男性が立っている。


 身なりからして一般人だろうが少々着ている衣類が上等なので知識階級の人間か。線が細いながらも鼻に掛けた眼鏡の奥の瞳は鋭い光を宿していた。少々神経質そうだなと心の片隅で思いながらも頷く。




「そうだけど、アンタ誰?」




 街の少年を演じている間は堅苦しい口調はなし。そのお陰で久しぶりに気楽に話せる。


 男口調でぶっきらぼうな言い方をするわたしに男性は嫌な顔一つせず、かと言って笑みを浮べるでもなく、静かに見下ろしてくる。




「こんな時間にこんな場所にいては危ない。最近は物騒な事件が起きているのだから、子供は早く家に帰りなさい」




 小さな子供を諭すような口調で声を抑えながら男性がそう言った。


 それに驚いた。どうやら男色の類いではないらしい。


 マジマジと見つめたわたしに何か感じ取ったのか、男性がコートの襟を直す仕草をしながらそっと懐から警察のバッジを見せる。


 なるほど、見回り中の私服警官か。少年ばかりが誘拐される事件が起きているというのに夜遅い時間に花街をウロついているわたしを見て、注意のために声をかけたのだろう。


 抑え気味の声も周囲に警察とバレないためにワザと声量を下げているのかもしれない。


 しかしここで「はい、そうですか」と帰るつもりもなかった。


 視線を足元へ落としつつ横を向く。




「帰れるなら帰りたいけど、今家に母さんの男が来てんの。ソイツ、オレのこと殴るから嫌いなんだ」




 適当にそれらしい嘘を口にして、足元に落ちていた小石を軽く蹴り飛ばした。


 殆どは嘘だが調査しなければ帰れないという真実を少しだけ織り交ぜる。


 男性はそこで初めて眉を寄せて痛ましそうな顔をした。




「……母親には暴力を受けていると言わなかったのかい?」


「言ったよ。でも、それはオレが悪いからだって相手にしてもらえなかった」




 母親に相手にしてもらえず、母親の付き合っている男の暴力から逃げるために夜の花街に逃げてフラフラと彷徨う孤独な少年。きっと男性の目にはそんな風に映っていることだろう。


 そう思うと何故だか少し楽しい気分になってくる。


 この世界の人はどうも他人の言葉を真に受け過ぎる節があるのだ。


 それだけ心優しい人が多いとも言える。


 いや、わたしが今まで人に恵まれてきただけなのかもしれない。




「それとも、お兄さんがオレの相手してくれんの?」




 スルリと懐に擦り寄って男性を見上げれば面白いくらいに動揺し、その首に腕を回して首元に顔を寄せる。触れ合った体が強張る様子が服越しに伝わってきて苦笑してしまった。


 からかうのは楽しいが、何時までもこうしていると後で伯爵に羞恥心はないのかとどやされるかもしれない。周囲に聞かれないよう男性の耳元で口の動きを最小限に留めてささやく。




「申し遅れました。アルマン伯爵家にて近侍を務めさせていただいております、瀬那と申します」


「!」


「失礼は承知の上ですが、どうぞこのままお聞きください」




 驚きに微かに体を震わせた男性に更に耳打ちを続ける。


 この花街で他人の視線を気にする者もいないし、他人の動向をいちいち気にする者も少ないが、誰がどこで見聞きしているか分からない。不特定多数が行き交う往来なのだ。


 それは男性も理解しているようで、抑えた声のまま「分かった」と小さく応えた。




「ここ数ヶ月の間に何十人もの少年が行方不明になっている事件をご存知でしょう。リディングストン侯爵家よりアルマン伯爵家は事件の早期解決要請を受け、わたしは行方の知れぬ少年達と共通点があるため囮としてココにおります」


「ではアルマン卿も、どちらかに?」


「ええ、恐らくどこかで見ていらっしゃるでしょう」


「……」




 この状況を見られていると知り男性が閉口する。


 同性の恋愛が許された国とは言えども花街の中で男同士で抱き合っているだなんて、あまり宜しくない状況なのだから当たり前だ。


 それでも振り解こうとしないのは先ほど言った‘周囲に聞かれたくない事’を話しているからである。


 ……少々生真面が過ぎる人だ。


 視界の端にチラつく銀に目を伏せる。


 首から顔と腕を離して、男性を大通りから薄暗く細い路地裏に引っ張り込み、奥の暗闇に一度目を凝らし人影がない事を確認してから手を離す。


 振り返って改めて男性を見上げてみると少々神経質そうな顔には困惑の色がありありと浮かんでいた。




「この時間であればこの道は誰も通らないでしょう。改めて、先程は大変失礼を致しました」




 言葉と共に頭を下げると男性は軽く手で制する。




「止めてくれ。邪魔してしまったのは此方なのだから、君が謝る必要はない」


「そう言っていただけると助かります」


「それにしても君のような子供を囮に使うとは。……危険ではないか?」




 眉を寄せて言う男性に思わず口の端が一瞬引きつった。


 また間違えられている。




「お気遣い感謝します。けれど、こう見えて護身術の嗜みがございますので」




 訂正すると男性は一度驚いたように瞠目し、外見で判断してすまないと謝罪された。


 それに首を振って気にしていないと笑って見せる。


 その時、コツコツとブーツが地面を蹴る音が路地の奥から聞こえ、咄嗟に男性を背に庇う様な体勢でわたしは振り返った。




「セナ、其方そちらの者は?」




 かけられた言葉と声に身体の力を抜く。


 暗闇から滑り出てきたのは伯爵だった。




「声をかけてくださった見回り中の警察の方です」




 わたしが手で示すと男性は帽子を取り、それごと手を胸に当てて一礼する。




「捜査の邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした。私はアシッド=エドウィンといいます」


「クロード・ルベリウス=アルマンだ」




 どちらも短い自己紹介と軽い握手を交わす。


 それから男性――エドウィンさんと二言三言話し、彼からも協力を取り付けた。警察に属する以上は断れないだろうが、本人からも了承を取る辺り、伯爵も生真面目な性格だ。


 一旦屋敷へ戻ることとなり、少し離れた路地裏に待たせておいた馬車に時間を分けて乗り込み三人で夜の花街を後にした。



 

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