第三章-07 転校生は暗殺者
※
「ふふふ……。ははは………!」
俺が突然笑い出したので、ニコルは拷問の準備を進めていた手を止め、顔を驚かせている。
「何を笑っているの? 恐怖でおかしくなったかしら? ……まあ素人のあなたは拷問なんてされたことないでしょうしね。気がおかしくなっても無理もないか」
「……いや、嬉しかったんだよ」
「は?」
ニコルはドン引きの表情を作っている。拷問をされるのが嬉しいと言っていると勘違いしたのだろう。いや、そんなドMじゃねえぞ俺は。
「さっきの加純の話だよ。つまり加純はあの夜、俺を助けてくれたってことだろ?」
「……ええ。まあそうね。学校から出ようとするあなたを私が眠らせた後、作戦リーダーの加純がそう命じて来たの。あなたを殺すなって。泳がせたところで支障はないし、無駄に殺しをする必要はないって。そんな言い訳をしてね。……まあ、私と違ってあの子はあの学校での生活が長いし、クラスメイトのあなたに余計な情を持ってしまったのでしょうね」
「ふーん。だったらやっぱ、加純っていいやつじゃん」
「……いいやつ?」
「ああ。あいつにはあいつの事情があるんだろ? 裏で暗殺者をやらなくちゃいけない理由がさ。それなのに、加純は俺の命を優先してくれた。殺した方が簡単に済んだのに、組織と無関係の俺をわざわざ助けてくれたんだ。それっていいやつってことだろ?」
「……あなた馬鹿じゃないの。加純はあなたを騙していたのよ? 一度は助けたかもしれないけど、結局、今は殺そうとしているじゃない。それを何でいいやつなんて言えるのよ」
ニコルの言うように、こんな考え馬鹿げているかもしれない。裏で暗殺者をやっているなんて、普通に考えればやべえやつだ。おまけに俺の命を狙ってたとなればだ。
それでも俺は、あいつのことを友達だって思える。そんな風に俺が思えるのは、ミカのことがあったからだ。
大好きな妹が裏で暗殺者をやっていて、俺の命を狙っている。それを初めて知った時、俺はショックだったけど、すぐにあいつを許すことが出来た。あいつは暗殺者として育てられ、それが自分の生きる理由だった。それがあいつにとっての当たり前だったんだ。
きっと加純だってミカと同じような境遇にあるのだろう。じゃなきゃ、優しいあいつが暗殺者なんて恐ろしい仕事やるわけがない。
その証拠に、あの夜、あいつは俺の命を優先して行動してくれたんだ、あいつの本質はいいやつだ。学校で見せて来た顔は演技なんかじゃない。
俺にとって、阿澄 加純って人間が友達であることに変わりはないんだよ。
「ほんと、意味わかんないわね、あなた……」
ニコルは呆れた声を出して肩を竦めている。
「……もういいわ。そんなことよりさっさと拷問を始めましょうか。もちろん、今すぐマイクロチップの場所を言うならやめてあげるわよ。もう一度言うけど、いくら待ったって、妹ちゃんはここには来られない。妹ちゃんが多少強かったとしても、加純を――浣熊(ラクーン)を退けることなんて出来ないのだから。今頃、ゴミ処理場の汚物のようにグチャグチャに潰されてるでしょうね。あなたを守ることなんて出来っこない」
ふっ。馬鹿にするなよ、ニコル。
俺の妹はな、そんなヤワじゃねえんだよ。
あいつは俺のことを守るって言ったんだ。だったら、絶対にその約束を守ってくれる。
妹のことを信じてやらないで兄貴が務まるかっていうんだよ。
その時。
風が俺の頬に伝わって来た。
俺の真正面、ニコルの後方にある唯一の出入口のシャッターが開かれたからだ。
「あら? 仕留めて来たの? お疲れ様」
ニコルはそう言いながら振り返るが。
「っ!?」
すぐに、俺の方へと飛び移り、シャッターの方から距離を取る。
……ほうら、俺の思った通りだ。
シャッターを開けて現れたのは。
ミカだ。
「ど、どういうこと!? どうしてあなたがここに!? まさか、あの子が負けたっていうの!?」
「……コードネーム・ラクーンなら私が倒したわよ、ニコル・トリニティ。いえ、コードネーム・ウルヴァリン。彼女からここの場所は吐かせた。兄さんを返しなさい」
毅然とした表情でミカは言いながら、俺とニコルの方に歩み寄って来る。
「馬鹿な……。あの子の戦闘力は組織でもトップクラス……。それを……?」
さっきまでの悠々とした態度はどこに行ったのか、ニコルの声色からは恐怖心すら込められている。
やっぱり俺の妹はすげえよ。やっぱり俺のことを助けに来てくれた。
来てくれてありがとう、ミカ。
だけど、だけど……。
「……ミカ、加純はどうなったんだ?」
加純は組織の暗殺者の一人。ラクーンだった。
それを倒してここまで来たとミカは言った。
だとすれば、加純はどうなったんだよ。
俺の言葉にミカは顔を驚かせている。
「兄さん、加純のことを知っているの? ……そう、ニコルが話してしまったのね」
「な、なあ、ミカ。まさかお前、加純を……?」
「……ええ。コードネーム・ラクーンは死んだわ」
「っ!?」
ミカの言葉で目の前が真っ白になって行く。
加純が……死んだ……。
「そうしなければならなかった。それが彼女の望みだったから――」
※
数分前。
「あっっ……!」
ミカは加純の渾身の一撃をかわした。
当たれば即死の攻撃。逆に言えば、当たらなければ何の意味もなさない攻撃だった。
かわすと同時に、両手で握る鉄パイプを横に薙ぎ払う。
剣道の胴の型だ。
ミカの一振りは、加純の脇腹を正確に捉えていた。
声にならない声で加純は膝から崩れ落ちる。
勝敗は一瞬で着いたのだ。
ミカの勝利である。
「……ハハッ……。私の負け……だね……」
地面に突っ伏しながら、加純は言った。普通なら、痛さと苦しさで悶絶する。だというのに、その声色はどこか満足げだった。
「…………」
ミカには分かっていた。卓越した戦闘能力を持つからこそ、相手の力量を探ることもお手の物。相手が本気かどうかも推し量れる。
――加純はわざと倒された。
理由は明白だ。彼女は最初から優を守ろうとしていたからだ。『暗殺者である自分が倒されること』で優の命を守ろうとしているのだ。フリーの暗殺者だったミカやトレバーは簡単に鞍替えが出来たが、彼女は幼き頃から家と共に組織に属する身。組織を裏切るという選択肢は持たない。
彼女は、最後まで『敵役』を演じたうえでミカに託そうとしているのだ。
優の命を救う役を。
「……あーあ。任務失敗だ。すぐそこに見える倉庫に加賀美くんを監禁してるんだけど、ミカちゃんに見つけられるのも時間の問題だね」
わざとらしく優のいる場所を話し出しているのもその証拠だ。
優が今、囚われているのは、ミカと加純が戦っていた廃工場のすぐ近くにある倉庫だった。組織の傘下にあり、たまにヤバイ品が保管されているが、今回は捕虜を監禁するのに使われたらしい。
加純は自分が倒された後、ミカがすぐに優を助けに行けるように、戦いながらここまで誘導して来ていたのだ。
そう。こうしてミカに自分が倒されるところまでが、彼女にとっての作戦だったのである。
「……さあ、トドメを刺して。私は加賀美くんを狙う暗殺者。トドメを刺さなければ加賀美くんは守れないよ。さっきあなたは言ったはずだよ。加賀美くんを守るためなら私とも戦うって。加賀美くんを守るために、暗殺者の私を殺しなさい」
「うん、そうだよ。私は兄さんを守るためなら、あなたを殺すことも厭わない」
ミカは地面に倒れる加純の頭に鉄パイプを振り翳し。
それを勢いよく振り下ろす。
「――暗殺者の浣熊(ラクーン)はここで死んだ」
加純の頭のすぐ横。地面に鉄パイプの先が突き刺さった。
「さあ、行くわよ、カスミ」
それからミカは加純を助け起こした。
「なんのつもり……?」
「兄さんのところにあなたも行くのよ」
「……出来ないよ、そんなこと」
本当の自分を優には知って欲しくない。今ここでミカに殺されてしまう方がいい。作戦が失敗した時点で自分は組織によって処罰されるのだから、ここで死のうが変わらない。
加純はそう思っていた。
しかし、ミカはそれを否定する。
「本当に兄さんが大事なら、最後まで守りなさい。『阿澄 加純』として」
「阿澄 加純として……?」
「裏のあなたが暗殺者だったとしても、表のあなたはそうではない。私や兄さんの友達の『阿澄 佳純』なんだ。たとえあなたが私を利用するために近づいたのだとしても、私はあなたを友達だと思っている。あなたのお蔭でこちらの世界での暮らしが楽しいと思えるようになった。愛おしいと思えるようになった。だから、これからも友達でいて欲しい。もう一度友達になりましょう」
「ミカ……ちゃん……」
優と仲良くなるために、妹であるミカを利用して来たと加純は告白した。それなのに、ミカは加純とまた友達になりたいと言っている。そのことに、加純は罪悪感と感謝とが入り交じった思いが溢れて来ていた。
ミカとしては、許すとか、許さないとか、そんな次元の考えはしていなかった。むしろ、嬉しかった。自分と同じような境遇を送って来た彼女となら、色んなことを共有出来るだろうと思った。今まで以上に、深い関係へと至れると思ったのだ。
だから、ミカは言う。
「行くよ、カスミ。ううん。戻ろう。兄さんのところに」
ミカは加純の手を取り、優の囚われる倉庫に向けて歩き出した。
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