第18話 毬乃の噂とざまあみろと

 言葉どおりに、毬乃は毎日プリントだったり授業のノートだったりを持って来てくれた。

 もちろん具合の悪い私に気を使ってくれていたから困ったりすることは無くて、来てくれるから助かることの方が多かった。

 帰る時のおまじないも毎回で、私の中ではもう当たり前になっていた。

 でも、残念なことにおまじないの効果はあまりなくて、お休みを挟んで月曜日から登校することになってしまった。

 週末には元気になっていたけれど、お母さんが大事を取ると言って許してくれなかったからだ。

 その間も毬乃は来てくれた。

「月曜日から学校行くから、毬乃はまた図書室に来る?」

 元気になってしまうと家から出られないのがつまらなくなって学校に行くのが楽しみ。なによりも毬乃と一緒にいられる時間が増えるし。

「ちえがいるなら…行くつもりだけど…」

「どうしたの? 元気ない気がする」

「んー、そっかなー」

 そわそわした毬乃は居心地が悪そうに見える。

「もしかして風邪がうつっちゃった?」

 額に手をのばそうとすると一瞬身体を震わせた。

 触られたくないと思ったわけじゃないらしくて、ちゃんと額に触らせてくれる。

 熱い感じはしないから熱はないと思う。

「ごめん、ちえ。わたし今日は帰るね」

「えっ、晩ご飯食べていかないの。今日は私が作るんだよ」

「食べたいけど、今日は帰る」

 鞄を持って毬乃が立ち上がった。

「鍵は、いつもの場所に戻しとくから。じゃまた月曜ねー」

「待って、おまじないは?」

 当たり前になっていた私は毬乃の背中に向かって、ついぽろっと言ってしまう。

「そーだった。おまじないー」

 近くまで戻って来た毬乃は、おまじないをしてくれる。

 でも――雑。気持ちが入ってない。ただ、しただけって、そう思った。

「毬乃…本当に大丈夫なの? 何かあるなら話してよ」

「何にもないよー。またねー」

 部屋の窓から見送って帰って行く後ろ姿をずっと見ていたけれど、今日は一度も振り返らなくて投げキッスもないまま毬乃の姿は消えていった。



 休んでいた私は知らなかった。

 村に噂が流れ始めていたことに。

 最初は大人たち。

 大人たちが噂を始めれば、村中――つまりは、私たちにも広まるのはあっという間。


 前山毬乃は、都会の学校で退学になった。

 校内で女子同士、いかがわしい行為をしていたからだと。


 最初はみんながこそこそ話をしているなぁくらいにしか思っていなかった。

 それから私以外に毬乃に話しかける人がいなくなっていた。

 毬乃も図書室に来たり来なかったり。

 家に来てもお母さんたちが帰ってくる前に帰ってしまう。

 たまに顔が腫れている時は、絶対に家には来なかった。


 今にして思えば、毬乃は自分の居場所を探していたんだと思う。

 そんな噂が流れれば村の人たちの目も優しくはなくなっていたはずから。


 のんきな私は、授業が終わるとさっさと図書室に行って、毬乃来ないなぁ、さびしいなぁなんて思いながら本をめくったりして入り口を眺めていた。

 お母さんも

「毬乃ちゃン来ないね?」

 って言うくらいで噂の話は何も言わなかった。

 風邪の時に私がお母さんが毬乃ちゃんって呼ぶのを嫌がったって話を聞かされて、どうするか聞かれたけれど覚えていないって話したから呼び方は毬乃ちゃんのまま。

 熱が高かったから混乱してたんだよ、きっと。毬乃がお母さんと仲良しだからってヤキモチなんてやいてない。

「来るけど、ご飯いらないって帰っちゃうんだ」

 遊びに来ていることはちゃんと話していても、それ以上の話にはならない。



 そんなある日、終わりの会が終わっておじいちゃん先生が教室から出たタイミングで私の前に男子が立った。クラスメートの名前は覚えていても男子は顔と名前が一致しない。

「お前さ、前山に変なことされてんじゃないの」

 目の端に映る斜め前の毬乃の肩が震えた。振り返る毬乃の顔は、はっきり分かるくらい青ざめている。

「なに言ってるか分からないよ。私、図書委員の仕事あるから」

 立ち上がろうとする私に男子は言った。

「いかがわしい行為ってやつだよ! お前もされてんだろ!」

 椅子が激しく倒れる音とぱんという音。

 私は生まれて初めて怒りにまかせて人を叩いた。

「そんなことされてない! 勝手に決め付けないで。いい年して言っていいことと悪いことの区別もつかないの!!」

 痛い。叩いた手がしびれてじんじんする。

「てめぇ」

 殴り返されて、つかみ合いのケンカになって、みんなに引き剥がされるまで叩いて叩かれて――先生に怒られた。

 しかも大騒ぎになったから親を呼ばれることになってしまった。

 親の呼び出しは車で来ている先生が呼びに行く――と話があって、それは本当のことだった。

 私と男子の二人とも親が呼び出されて、来たのはお母さんだった。


 両方の親がそろってケンカの理由を聞かれたから、言われたことを正しく伝えて友達が悪く言われて我慢できなかった、とはっきり言ったら男子のお母さんが青ざめていた。

 本の中でしか見たことのない言葉。ざまあみろって本気で思った。

 先に手を出したことは園山が悪いと他のクラスの先生に注意された。

 おじいちゃん先生は、暴力には力と言葉の二つがあり、どちらも悪いことだと話をして私と男子の二人を注意した。

 でも、怒られているうちに私を見る先生たちの顔色が変わってきた。

 私はグーで殴り返されたから。殴られた頬を触ってみるとピリッとして熱くて腫れている気がする。

「あんた、女の子の顔になんてことしたの!」

 男子のお母さんが頭を叩いているのをお母さんが止める。

「檜山さん、そのくらいで。娘が先に息子さんに手を上げていますから」

「でも女の子に」

 母親同士で話している間に保健室の先生が来て湿布を張ってくれた。痛くて張られる時に顔をしかめてしまう。

「今日の夜は熱が出るかも――ああ、私が言うまでもありませんでしたね。園山さん、元看護師でしたよね」

「ええ、熱が出るようなら明日は休ませるつもりでした。勝山先生、今日はもうよろしいですか?」

「結構です。二人とも暴力について、ちゃんと考えて反省するんですよ」

 おじいちゃん先生が優しく言ってくれても、なんだか納得できなくて私はむくれて黙っていた。

「ちえ」

 お母さんに頭をこつんとされて、しかたなくうなずく。

「帰るよ」

 お母さんが私の鞄を持って歩き出す。誰が持って来てくれたんだろう。多分、毬乃だろうな。

 大丈夫かな。あんなに青い顔して。

「しっかし、あンたが取っ組み合いの喧嘩ねぇ。しかも呼び出しだよ」

 廊下を並んで歩くお母さんは頭の後ろに手を組んで楽しそうにしている。私は頬が痛いのに。でも言ったら、お母さんに自業自得って言われそう。

「だって毬乃のこと悪く言うんだもん」

「子供は子供のネットワークかぁ。あンたも知っちゃったンだね」

「お母さん、知って――いたっ」

 横を向こうとして痛みに頬を押さえる。

「はいはい。大人しくね。そりゃあお母さンは大人だから。色々なことを知っていますよ。でもね。所詮、噂話だから。お父さンと話すのはやめようってなったンだ。ちえにはありのままの毬乃ちゃンを見させようって。お母さン達は毬乃ちゃンは良い子だと思っているし……」

 立ち止まったお母さんは頬を押さえている私の両肩に手を置いて頭を下げた。

「でも、ごめン。お母さン達は間違えた」

「…おかあ…さん?」

「ちえが人に手を上げるくらいに毬乃ちゃンが大事なンだったら、きちンと噂の内容を話してどうするか話をすべきだった。本当にごめン……」

 手を離したお母さんは自分の頭をかいている。恥ずかしそうなお母さんは珍しい。

「でもねぇ、内容が内容だけにどう伝えるかって問題もあったンだよ。言いにくい話しだし。勝手かもしれないけれど、そこは分かって欲しいンだよ」

 昇降口に着いて、お母さんは来賓用のスリッパを返しに行って、私は上履きを革靴と履きかえる。

 グラウンド側で合流してから歩き出す。もうほとんどの生徒は帰っていなかった。

「毬乃……どうしたかな…あんなこと言われて…」

「そこにいるじゃない」

 頭の中で思っていたつもりが口に出ていて、それを聞いたお母さんが後ろの昇降口の方を見もしないで親指で指差す。

 ぽつんと鞄を両手に持つ毬乃が昇降口にうつむいて立っている。

 走ると頬が痛いから小走りで近づいていく。段になっているところまで近づいても毬乃はうつむいたまま。

「毬乃、帰ろう」

 すぐ近くまで行って声をかけるとやっと顔を上げてくれた。

「…ごめんなさい。わたしのせいで……」

 のばしかけた毬乃の手が私に触れないで止まる。その手は震えている。

「こんなの平気。私が怒ってやったんだもん。毬乃のせいじゃないよ」

 のばされたままの手をとって、痛いのは分かっていても湿布を張られている頬に毬乃の手を触れさせる。

「本当に平気だから。毬乃のせいじゃないからね! 何でも自分のせいだって思わないで!」

 繰り返す私に毬乃があのひきつったぎこちない笑顔を返してくる。

 私は反対の手の平で毬乃の頬を包む。

「またそんな顔して。毬乃…泣くの…私の前で我慢しなくっていいんだよ」

 毬乃の左目に涙が滲み始める。

 頬の手を首の方まで回して、私の肩に毬乃の顔を抱き寄せた。

 それでも毬乃は声を押し殺して泣く。二人っきりの時に泣かせてあげれば良かった。


 毬乃が泣きやむまで黙って待っていてくれたお母さんとべそをかいてうつむく毬乃と手をつないで家に向かって歩く。

「毬乃ちゃンは、今日は家で晩ご飯を食べるンだよ」

 毬乃と別れる四辻を前にお母さんが言った。

「えっ、でも迷惑――」

「迷惑って思うなら丁度良いね。お見舞い時にあたしが頼ンだのバラしただろう。約束破ったから、おしおき。今日は一緒に晩御飯を食べよう」

 顔をあげた毬乃にお母さんは優しい顔で笑って――毬乃はまた泣いた。



 翌日になって登校するとクラスの雰囲気がちょっと違っていた。

 クラスの中でいくつかのグループができていて、その中だけで話をしている感じだ。

 好奇心とか好意的な感じもする。女の子の中には女の子をグーで殴ったひどい男子という話もあった。

 話しかけてくる女の子もいた。

 ほとんどは腫れものを触るように私には近づかない。私もその方がいい。話しかけられても頬が腫れてるのと痛くて話すのが大変だったから。

 顔の腫れと痛みはひどくて、本当なら今日は休むはずだった。夜に熱も出たし一晩たったら腫れもひどくなった。

 それでも私は絶対に学校に行くって言い張った。休んだら負けになるとかおかしな理由を言い張って。

 でも一番の理由は毬乃で、昨日の雰囲気の教室に一人にしたくなかったから。

 お父さんは、

「きっと痛いしつらいよ。でも一度決めたなら頑張りなさい」

 と折れてくれた。お母さんは特に何も言わなかった。

「おっはよー」

 毎朝のように毬乃が手を振りながらにこやかに教室に入って来た。無視されても毬乃は朝の挨拶を絶対かかさない。

「おはよー、ちえ」

「んんん」

 口を開けないように小さく手を振って返事をしたら変な声が出た。

 横を通り過ぎる毬乃の顔は帰ってからも泣いたんだと思う。目が充血して腫れて見える。


 授業を受け、毬乃と一緒にお昼を食べて午後の授業。

 放課後は図書室。


 毬乃はまた図書室に毎日来るようになった。

 いかがわしいことをしていないんだから、堂々といつもどおりにしていればいいだけ。難しいことなんて何も無い。

 興味本位で図書室に来る人がいても私たちはいつも通り。

 私はカウンターで本を読み、毬乃は窓辺に座ってうとうとしている。



 すぐにみんな飽きてまた誰も図書室に来なくなった。

 そして私は普段は大人しいけど怒ると怖いとか言われ始めた。

 教室であまり話さない私が怒鳴って人を叩いたんだから、そう言う評価になるのは当たり前なので大人しくその評価を受け入れていた。

 それでも話しかけてくる女の子達が前より増えた。友達のために怒った、と言うのが好意的に受け止められたらしい。

 ただ、毬乃の噂は消えることが無くて女の子達は不安がって――何かされるかもと――話しかけなかったし、たまに耳に入る話の中には胸が悪くなるような話もあった。

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