タコと、少女と、生き肝伝説。

壺天

始り

第1話 瀬戸の海、唄う山

 こぽり、こぽり。


 ここは波、穏やかな瀬戸の海。


 行き交う船舶が水面みなもに白波をたて、その上を渡る風は、柔らかな潮の匂いを運んでいる。

 朝焼けと夕焼けは海を赤と金に染めて、昇る月は、波を銀色に光らせる。


 そんな海に面した、地方の港町。

 そこには、岬の山にいだかれた、一つの神社があった。

 やしろの名は、『迎山むかえやま神社』。

 創建は古く、長く近隣の者に親しまれてきた神社であった。

 境内けいだいはこれと言って目立つものがあるわけではない。


 だが一つ――――特筆してあげるならば、拝殿前のつがいの石像。


 参道を守るその姿は、多くの社でよく見受けられる、いわゆる「狛犬こまいぬ」とは、趣を異にしていた。


 西日を受け、行儀よく台座の上に控えるのは『猿』。


 この辺りの土地には珍しい、山野の獣だった。

 古めかしく時を経た風情ふぜいの二匹の猿は、この迎山の神使しんし

 『神猿まさる』とも呼ばれる、神の御使みつかいであった。



 これは、夏の始まりの頃。

 梅雨が訪れる時節の話。

 迎山には自然の気がまつろい、ざわざわと海をそよがせていた。


 山の気は唄う。


『まつり、まつり、みやのおまつり』


『おのこ、めのこ、ついのよりしろ』


『しんしのよりしろ、ついのわかご』


『もどる、もどる、まさるのみたま』


『いわえやいわえ、いやさかの』


『みたまおろしのついのわかご』



 その声に意思はない。

 響きだけの唄に、空気はらぐ。

 近く訪れるであろう変化の気配に山は沸き立ち、木々が騒ぐ。


 そして、それを遠く眺める影が一つ。


 海に浮かぶその黒い姿は、夕日の中、じいっと迎山を見上げていた。

 辺りに、影を見咎める者は誰もいない。

 波に揺られる異形は、すっと目のようなものを細め、つぶやくように『コポポ……』と奇妙な声を発した。

 泡が立ち上るようなささやき。

 かと思うと、はくるりと身をひるがえし、次の瞬間にはとぽんと海に消えていた。

 立てた波はすぐにかき消え、後にはいつも通りの海が残るだけ。

 赤い海が、揺れるだけであった。

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