事件の謎~その先にあるもの 《傍らに奏でるラブストーリー》

彩川カオルコ

第1話 『一期一会 or 運命の出逢い』

      ーモノローグー

 今この瞬間、命の炎が燃え尽きようと

 している。

 その傍で、それを待っている自分がいて…

 自分の奥底から、それを止めようとする

 天使が湧いてくるのを……

 密かに待っている。

 でも、もう天使は浮上してこないようだ。


 かつての自分達は、こちら側の人間では

 なかった。

 善人だった。

 日々、起こり続ける事件に興味もなく、

 ごく普通の生活の中で時折、たまたま

 テレビで見てしまった猟奇的な事件を

 「世の中は物騒だ」と思って見たり、

 まるで物語のように感じたり。

 そちら側の人間だった……

 そのはずなのに。

 人の命を尊いと、そう思っていた

 はずなのに。

 どうして…

 どうしてこちら側の人間になって

 しまったのだろう。



ー 第1話ー『一期一会 or 運命の出逢い』



  人の心って、わからない。

  時に、自分の心すらわからない事も

  あるけれど……


  運命の出会い?


  出会いが遅くても早くても、

  両者の歯車が合わなければ、

  一生噛み合うことはない。


  何をもって運命と言うのだろう。


  一期一会?


  もしも「あの日あの時」が

  ほんの数秒ずれていたとしたら……

  それだけで、後に大きな変化を

  もたらすことになる。

  人生が「たった一瞬」で変わる事も。


  今、歩んでいるこの人生は、どう?

  偶然が折り重なって、ここに今、

  たどり着いた…ただそれだけ。

  その記録の一つに過ぎない。

  そしてその行く末は……




カバンの中で携帯電話が光っていた。

「もしもし、蒼汰?」

「絵梨香、ごめん、ちょっと会議が長引いてて…遅れそうだ。先に店に入っとくか?」

蒼汰がひそひそ声で話す。

「え…そうなの?…まあいいわ、しばらくこの辺りをウロウロしてから店に向かうから」

「そっか、ごめんな。時間が見えてきたらまた連絡するよ」

「わかった」


 急いで仕事、切り上げてきたのに……

 でもまあ、会議なら仕方がないわね。


今日は久しぶりに、親戚の江藤蒼汰と会う約束をしていた。

親戚といっても、今絵梨香が同居している、父方の従姉妹の相澤由夏の、母方の従姉弟に当たる蒼汰は、親族相関図上はほとんど血の繋がりがあるとは言えない遠い存在だ。

しかし、この従姉の相澤由夏を介して、お互い一人っ子だった絵梨香と蒼汰は、幼い頃から頻繁に遊ぶ間柄で、まるで兄妹のような関係だった。


ちょくちょく会うのが定番になっていたが、絵梨香も転職したばかりでここしばらくお互い仕事が忙しく、少しインターバルが開いていた。


 まあせっかくここに出て来たんだし、

 ゆっくりショッピングでもしよっかな。


転職して2ヶ月、それまではあまり責任のない部署で、一介のWebデザイナーとして自由に仕事をしてきた絵梨香だったが、従姉で同居人の相澤由夏が専務取締役を務める、業界最大手のイベント会社『ファビュラスJAPAN』に引き抜かれ、これまでとは違う毎日を送っていた。


パソコン画面が相手ではなく、人との関わりが増えた新境地、感性だけでは全く歯が立たない、人間力の必要性を痛感する日々だ。


人付き合いって……本当に難しい。


ただ表面的なコミュニケーションを取るだけでは、人の心は動かないと気付いたり、心の奥底の温度が人に伝わって初めて、共感を得られるのだと、身をもって体感したり。

あらゆることにぶち当たっては、体制を整える、そんな毎日だった。


『ファビラス』に転職する一年ほど前から、由夏にすすめられて執筆していたエッセイがなかなか人気で、入社してからも変わらず担当することになった。

思えばその頃から、由夏は絵梨香の採用を念頭に準備していてくれたのだと、後から解った。

その期待に120%応えようと、構想を立て戦略を練るのだが…こんなに毎日忙しくては、そこに書くネタすら見つからなくなってきて、絵梨香を苦しめる。


由夏には多くを求められている気がする。

視野を広げるために、と色々な事に挑戦させられる。

従姉妹だからか、そうでないのか分からないが、時にはちょっと無謀な課題をも課せられる。


例えば……

「街に出たら、モデルをスカウトしろ!」と。

そんなミッションまで発令されて、最初は唖然としてしまった。


由夏のご所望は、特に男性モデル。

今や『ファビュラスJAPAN』の専務として運営を含む手広い仕事をこなしている由夏も、会社設立当初は敏腕プランナー兼、敏腕スカウトウーマンだったそうだ。


モデル事務所も抱えるようになった『ファビュラス』の盲点は、メンズモデル。

ブライダル事業部も個別に立ち上がった今、ショーのメンズモデルは必要不可欠だった。

由夏の注文点は、あまりにも現実離れしてると言うか…

「そんな条件の人間、そうそう街に転がってるわけがない!」

…そう思うこともある。


創刊した女性誌『fabulous』は、ただの女性向けファッション誌ではない。

情報やエンターテイメント性、そして『ファビラス JAPAN』で行われる数々のイベントのリポートも盛り込まれ、幅広い層から指示されている。

それだけに、毎号矛先を決める会議は難航する。

スタッフは猟犬のごとく、もはや街に出ても手ぶらでは帰れない。

いつの間にか、ファッションだけではなく、何か落ちてないかな…と、そういう目を持ちながら歩くようになってしまった。

そう、まるでジャーナリストのように。


とはいえ、久しぶりにこの辺りをウィンドウショッピング出来る貴重な機会なので、それなりに楽しんでしまった。

そろそろ蒼汰と待ち合わせしているレストランに向かおうと、人波に身を任せながら歩いていたその時、自分の斜め前に周囲よりも頭が一つ出た人影が見えた。


小さな頭、細い首、細身のスーツを着て……よく見ると足の先まで洗練されている。


 若そうに見えるけど……

 何歳ぐらいかな?


後ろから見ただけでは判断ができなかったので、人の流れをかき分けながら、なんとか前に回り込んだ。


絵梨香は思わず目を見張る。


まるで彫刻のような気品のある 顔立ち、少し憂いをたたえたような聡明さがあった。

自分と同じぐらいか、もしくは少し若いか……そう思った時に由夏の言葉が頭に浮かんだ。


「スカウトは一期一会」

こんな綺麗な人にズカズカと声をかけるのはかなり気が引けたが、由夏の言葉と由夏から圧力をかけられているミッションのせいで、絵梨香は勇気を振り絞ることにした。


「あの…すみません」


随分高い位置に顔があるせいか、存在すら気付かれていないのかも知れないと思えるほどに、彼はスピードを緩めることもなく、そのまま歩き続ける。

折れそうな心を奮い立たせ、もう一度声をかけた。


「あの……すみません。ちょっとお話し聞いてもらえませんか?」


ようやく聞こえたのか、彼は歩きながら絵梨香の顔を見下ろした。

その瞳はどこを見ているのかわからないような色素の薄い、冷たい目だった。

表情ひとつ変えず、彼の口が動いた。


「何か?」


とにかく話を聞いてもらわなければいけないので、人波から少し外れてもらった。

絵梨香からすれば随分勇気を出した精一杯の行動だったが、依然として彼の目は何も語らず、説明している間も、ただただ気まずい時間が流れるだけだった。


「……ということで、あの……モデルの経験はありませんか?」

視点が合っていないような目を見つめる。

返事がなかなか来ないので、絵梨香はどんどん焦ってきた。

「あの、次のワールドファッションコレクションで、モデルとして出場していただけないでしょうか……」

最後まで聞くか聞かないかのところで、「興味ありません」と、たった一言そう言って、彼は立ち去ろうとした。


「ちょっと待って下さい!」


こんな逸材はなかなか居ない。

私でも判る。

そう思って彼を追いかけようとしたその時、携帯が鳴った。

蒼汰からだ。

「もしもし、あ、蒼汰ごめん。店の近くは近くなんだけど……」

蒼汰は自分も近くだと言った。


「今ね、ちょっと由夏ちゃんのミッションが…あ、ごめん取り込んでて!」

そう言いながら、長身の彼に遅れまじとついて行くと、向こうに携帯を耳に当てた蒼汰が立っていた。


「あ!」

声をかけようとした時、蒼汰が言った。


「零、どうしてここに居るんだ?」


そしてすぐ絵梨香を見つめる。


「あれ?絵梨香と知り合いだっけ?」


今までろくに口も聞かなかった彼が、怪訝そうに蒼汰に向かって言った。


「蒼汰、お前、このナンパ女と知り合いなの?」


ー 第1話 ー

『一期一会 or 運命の出逢い』 ー終ー

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