五頁「捕食」

 雄志麻町にある築三十年、五階建ての廃ビルに、エリカ達は連れてこられた。

 来月には取り壊されるのだが、心霊スポットとして有名で、ホームレスや家出人も寝床として利用しているという噂をエリカは聞いた事がある。


 何年も放置されている割には、動画サイトへの肝試し動画アップ目的などで、人の出入りがそれなりにあるからか、空気はさほどカビ臭くない。

 正太郎の後をエリカ達が付いていくと、二階に上がり、東側の角部屋の扉を開けた。


 正太郎が懐中電灯で中を照らすと、そこには全裸の若い男女が一組、ほこりまみれの部屋の真ん中に居る。

二人の足元には、コンビニのビニール袋が置いてあった。

 中にはチョコレートやクッキーなど、甘いお菓子がいくつも入っていて、肥えた豚が一頭、袋の匂いをしきりに嗅いでいる。


「如月さんか! 久しぶり!」


 正太郎よりも少々若く見える男の方が、愛想の良い笑みを浮かべた。


「あれー。ドイツに居たんじゃないのぉ?」


 同じ年頃らしい女の方は、目を丸くした。

 どちらも大きな瞳と通った鼻筋に、引き締まった肉付きで、大変に優れた容姿をしている。

 廃墟で裸体という奇怪な状況も、二人が役者で今映画の撮影をしていると言われたら、大抵の人間が信じるだろう。

 涼葉と薫は、視線を逸らして気まずそうにしているが、エリカは存外平然としており、正太郎は豚を訝しげに眺めていた。


「なんだ、この豚は……つーか、人の縄張りで仕事する時は一報入れろ」

「ごめんごめーん。狩りに夢中になっちゃってさぁ。気付いたら獲物がここまで逃げ込んじゃったー」


 女が謝罪する一方、男の方は皮肉っぽく唇をしならせた。


「如月さんに言われる筋合いはないな。帰ってきているのすら知らなかったんだから」

「やかましい。こっちからしても、どうせ連絡付かねぇくせに。つか、その豚なんだ?」


 正太郎の質問に、女は豚を抱きしめて、丸々とした腹に頬ずりをしている。


「ペットだよぉ。その子達は?」

「生徒だ」

「どっちの意味ぃ?」

「両方だ」

「へぇ。かわいいなー。甘くて美味しそー。そっちの娘」


 女は豚から離れると、焼きたてのシフォンケーキに触れるような手つきで、エリカの左頬を撫でた。


「沙月エリカ。俺のクラスの生徒だ。火傷に気を付けろよ。激辛のスパイスだ」

「辛いのも好きよ? 火傷させて欲しいわー」


 やはり、この女は変態だ。

 エリカの理性は警報を出したが、しかし心は不思議と嫌悪を抱かなかった。


「おい。浮気は許さないからな」

「いいじゃん別に。おにいちゃーん」

「お兄ちゃん!? 兄妹なのに付き合ってるんですか!?」

「沙月さん、何言ってるの? 別に問題ないじゃないか」


 薫が真顔でそう言うと、エリカは冷めた視線をぶつけた。


「よかったね薫君。シスコン仲間が出来て」


 ――やっぱりアブノーマルな人達なのかもしれない。


 エリカが警戒心を強めると、女はからからとした声で笑った。


「ほんとの兄弟じゃないんだぁ。血の繋がりはないけどぉ、もっと濃ーい絆で繋がってる兄妹なの」


 女はエリカから離れると、再び豚の方へ歩いていった。


「それで如月さんの要件は、今朝のこと?」


 女の問いに、正太郎は破顔した。


「そうだ。死体なき殺人事件だっけか。あれ喰い散らかしたの……お前等だろ」

「せいかーい。チョコあげるー」


 ――え?


 正太郎の問いに対する女の答え。

 それを聞いたエリカと薫は、脳の命令伝達を待たず、反射的に人差し指の付け根を噛み切った。


「さっすが、よく鍛えてんねー。いい反応じゃーん」


 女は、賞賛を述べつつ微笑んだ。


「さっき戦った時も思ったけどぉ、いいコンビネーションだったねー。如月さん、先生向いてるかもぉ?」


 ――この人達が人間を食い殺した怪物?


 エリカは、右手で開襟シャツの胸ポケットからビー玉を取り出すと、女の表情から余裕が消え失せた。


「待って待ってぇ! さすがにここじゃそれ避けれなーい! もしかしてぇ私達がワードだと思ってるぅ? それか殺人鬼ぃ?」

「そうでしょ!」

「違うよぉ! 自分の先生信用してよぉ。イっちゃってる手合いと付き合いのある人じゃないよぉ」

「裸体の時点でイっちゃてるよ!」

「確かに否定出来ないぃ!! けど違うんだってぇ!」

「じゃあ、なんなのか答えなさいよ!!」

「あなた達とぉ、同じだよぉ」


 ――同じ?


「もしかして……グリムハンズですか?」


 涼葉の驚愕に、女は安堵の息を漏らし、再び笑顔が戻ってきた。


「あたし達のはぁ、二人でひとーつ」

「ヘンゼルとグレーテル。題名級タイトルクラスだ」


 エリカは、二人の話を許容し切れず、眉間に深いしわを作った。


「待ってよ。この人達が殺してたんじゃないの?」


 エリカの言葉に、グレーテルは呆れ顔を見せた。


「だから違うってばぁ。結構疑り深いのねー」

「こいつらは、お前等の言う連続殺人犯のワードを追ってたんだよ」


 正太郎の補足説明を受けても、エリカの困惑は増すばかりだ。

 納得しろという方が難しいのだ。

 エリカは、ヘンゼルとグレーテルが人を食い殺す現場を目撃し、戦ってもいる。

 正太郎の知り合いだとしても、簡単に彼等の言葉を信じる事は出来なかった。


「でもこの人達は、人を食べて!」

「まぁ待ってくれ。詳しい事情は、今から俺が説明しよう」


 そう言って、ヘンゼルは語り始めた。


「今回のワードは、白雪姫の魔法の鏡。美しい女の姿を映しとり、殺して成り代わってしまう。だが一週間で飽きて次の被害者を襲う。かなり強力なワードで、一度でも鏡に映した事のある人間なら肉体を構成出来てしまう。既に六名が被害にあっている」

「それで?」


 正太郎が続きを促すと、グレーテルが豚の頭を撫でながら言った。


「ワードはぁ、気に入った女の子の肉体のコピーを構築するとねぇ、コピーに憑依してから被害者達を殺しているのぉ。そしてワードがコピーした肉体から抜けると、コピーは数時間で死んじゃうんだぁ。あたし達が襲ったのはぁ、奴が脱ぎ捨てたお古ってわけー」

「それから何度もコピーの肉を喰らって、分かった事もある」

「やっぱり食べて……たの?」


 ヘンゼルの告白でエリカが青ざめると、慌てた様子でグレーテルが補足する。


「人間じゃなかったのぉ。あれは豚の肉だよー」

「豚? どういう事なの?」

「豚を媒介にして人間の姿をコピーしてるのぉ。ワードの力で姿だけじゃなくDNA的にも、人間に限りなく近くなってるだよねー。警察の鑑識結果を騙しちゃうぐらいだもーん」

「でも味は、豚?」

「能力の性質上、グルメなんだよねぇ。些細な味の変化も見逃さないの」

「それって人肉の味を知ってるって事じゃ……」

「うふふ」


 これ以上追及すると、ぞっとしない話が飛び出そうだと察し、エリカは口をつぐんだ。


「僕からもいいですか? ワードはなんで豚を?」


 薫が小首を傾げると、この疑問には正太郎が答えた。


「人間と豚は、将来臓器移植が可能になると言われる程、生物的に類似点があるんだ」

「それにぃ、物語とも関係あるんだよねー」


 グレーテルは、ビニール袋から板チョコを取り出して齧った。


「白雪姫にはねぇ、王妃の命を受けて、白雪姫を殺そうとした猟師が登場するのぉ。王妃はぁ、白雪姫を殺した証拠としてぇ、彼女の内臓を持ち帰るように言うんだぁ。でもぉ白雪姫をかわいそーに思った猟師は、替わりにイノシシを殺しちゃって、その内臓を王妃に献上したんだー」

「だから豚を使うと、俺とグレーテルは推理している」


 グレーテルが言い終えると、正太郎が腕を組んで豚を見やった。


「豚は、猪が家畜化されたものだから豚を使うってわけか。となるとワードは、材料となる豚をどっかから調達してるってわけだろ。出所は掴んでんのか?」

「それもぉ、生きてる豚じゃないと意味がないのぉ。だからぁ養豚場に問い合わせてぇ、豚が盗まれたところがないか、あたしとヘンゼルで探してみたわけぇ」

「見つかったのか?」


 ヘンゼルの口元に細やかな笑みが灯った。


「はい。千葉の農場から六匹盗まれていました。被害者は六人。如月さんの生徒と俺達が戦った時が六人目のコピーだった。素材となる豚のストックはなしってわけです」

「だからあたしらはぁ、別の農場からこの子を買ったってわけー」


 グレーテルに頬ずりされる豚を眺める正太郎の瞳に、同情が渦巻いた。


「まさに撒き餌か。かわいそうに」

「大丈夫だよぉ。この子が殺される前に、あたしとヘンゼルでワードを殺しちゃうもん」

「本当に誘き寄せられんのか?」

「あいつねぇ、生身の肉体がないとぉ、存在が安定しないみたいなんだよねぇ。コピーを失って彷徨っているはずだからぁ、あいつから一番近いここに、このハム子を盗みに来るよー」


 グレーテルが豚の名前を口にした瞬間、正太郎の胸を哀愁が貫いた。


「ハム子?」

「うん」

「ハムにして食うのか。仕事が終わった後で」

「飼うよー」

「ならなんでその名前を付けた!?」

「豚と言えばハムだからー」


 正太郎は、豚のつぶらな瞳を直視出来なかった。


「一ヶ月後には、腹の中に一万円賭ける」

「如月さん失礼だよぉ!! 食べないってばぁ! ねぇヘンゼルぅ?」

「え?」

「あんた食べる気だったのぉ!?」

「だって、ハム子なんてつけるからてっきり……」

「こんな可愛いのにぃ、食べれるわけないでしょー!」

「燻製キット買っちゃったんだよな……」

「鬼畜ぅ!! 悪魔ぁ!!」

「魔女を窯で丸焼きにしたお前が言うな」

「それはぁ、物語の話でしょ――」


 ――シャラン。


 ガラスの擦れ合う音が闇の中を泳いでいく。

 正太郎は人差し指の付け根を噛み切り、ヘンゼルはクッキーとチョコバーをビニール袋から取り出した。


「これだけグリムハンズが居るのに来んのかよ」

「こいつは、特に物語に沿おうとする本能で動いてる要素が大きいですからね。知恵が回る訳じゃない。しかも力は強いが、顕現は浅い。こっちグリムハンズの怖さを知らないんだ」


 計六人のグリムハンズが神経を研ぎ澄ますこの部屋は、ワードにとって絶命必至の死地である。

 けれど彼の者は、ヘンゼルの言葉通り、恐れを知らぬかのように天井を突き破り、侵入してきた。

 蚯蚓ミミズ状の肉塊が渦を巻きながら自転車の車輪程の大きさの輪を形成し、その中心に鏡が埋め込まれている。

 鏡は水面のように波紋を広げ、時折ひび割れては赤黒い汁を垂らし、やがて閉じてはまたひび割れた。

 ワードは、豚の姿を鏡に映すと、輪の部分の肉から針金のように触手をくねらせて豚目掛けて飛翔させる。


「私のハム子に――」


 グレーテルがチョコレートの欠片を口に含むと、


「手を出さないでよぉ!」


 喉の奥から炎が躍り出て、触手の前進を阻んだ。

 炎に触れた途端、瞬時に炭化した触手だが、すぐさま次弾が形成され、豚に襲い掛かる。

 ヘンゼルがクッキーをかじると、躯体くたいくろがねの光沢を纏い、盾となって豚への攻撃を受け止めた。

追撃を諦めないワードの触手だが、正太郎の放った茨姫リトルブライアローズは、速さと精密さで数段上を行く。

イバラは、触手に絡み付き、その進撃を縛り上げて留めた。


「豚肉は好きだが、解体ショーを見る趣味はねぇよ。ヘンゼル、グレーテルやっちまえ!」


 正太郎の掛け声に呼応するかのように、グレーテルが叫ぶ。


「グリムハンズ!」


 続いてヘンゼルが吼えた。


「ネクストページ!」


 ヘンゼルグレーテルは、ワードを睨みながら手にしたお菓子を一息に頬張った。


『顕現せよ! 白雪姫の魔法の鏡!』


咆哮と共に、二人の姿が先程エリカ達と対峙した時の異形へと変じ、ワードへ飛び掛かった。

 鋭い牙を肉と鏡の部分に突き立て、裂き、砕き、千切り、咀嚼し、喉を鳴らす。

 繰り広げられる狂気の食卓にエリカ・薫・涼葉が圧倒されている間に、僅かな破片も残さずワードは食い尽くされ、林檎のような真っ赤な光を放つ光球が宙に浮かんでいた。

 正太郎は、白紙の本を開き、光を吸い込むと、グレーテルに投げ渡した。


「いいの?」

「獲物を横取りする気はねぇよ。生徒が迷惑かけたみてぇだし、迷惑料も兼ねて取っとけ」

「じゃあ遠慮なく」


 正太郎と話している内に、二人は人間の姿に戻っており、グレーテルは口に付いた血を嬉々として拭っていた。


「怖い?」


 グレーテルの問い掛けに、エリカは深く考えもせずに頷いた。


「正直だねー」

「あ! ごめんなさい」

「いいよぉ。あたし達のファーストページはぁ、かまどに由来して、グレーテルが炎を出せるのぉ。ヘンゼルの方は、体を鉄のように硬化出来るんだー」


 ファーストページ?

 聞き慣れない単語に、エリカが意味を尋ねようとするも、グレーテルの解説は、流れるようで声を挟む余地はなかった。


「ネクストページはねぇ、二つの特性を一度に発揮してぇ、異形の姿へ変身出来んのぉ。能力の発動キーは、糖分の摂取ー。ちょっとならファーストページ、いっぱいならネクストページが発動するのぉ」


 ネクストページ。

 また聞いた事のない言葉だ。

 前後関係からすると、グリムハンズはいくつかの能力を持てるという事か?


「そういえば薫君は……」


 あまり疑問に思ってこなかったが、薫の桃太郎も二つの能力で構成されている。

 血を経口摂取した犬猿きじを象徴する動物を操る能力と、血で出来た犬猿きじを作り出す能力。


 ――私にも、もう一つの力がある?


 エリカが詳細を聞こうとした瞬間、正太郎の声が遮ってくる。


「悪いなグレーテル。こっちの女子二人には、まだネクストページの話はしてないんだ」

「そうなの? ごめんねぇ、混乱させてー」


 こっちの女子二人という正太郎の言葉。

 やはり薫は、ファーストページとネクストページについて知っている。


「先生」


 エリカが懇願するような声を上げるも、


「まぁおいおい教えてやるよ。じゃあなハム子。短い余生を楽しめ」

「絶対食べなーい!!」

「なぁグレーテル。燻製キットどうしようかな……」

「捨てちゃえばいいでしょーそんなのぉ!!」

「えぇ……高かったのに」

「ほら。行くぞ、お前等」


 正太郎は、何も答えてくれなかった。







 ――私、知らない事ばっかりだ。


 正太郎達と別れて、自宅への帰り道を歩くエリカの胸中をいきどおりが粘ついている。

 仲間ではないと言われ、グリムハンズの謎についても教えてくれず、大切に思っていたはずの人の事が分からなくなっていた。

 エリカと涼葉がグリムハンズとして未熟であるから、ファーストページやネクストページについても教えなかったのかもしれない。


 頭では、理解出来ている。

 けれど、感情では割り切れない。

 どうしても正太郎の行いを正当化したくない。


「先生……」


 なんで今更突き放すの?

 何を恐れているの?

 不安があるなら教えてほしい。

正太郎の抱える闇を教えてほしい。

 お互いに抱えている辛さを共有し合って、そして――。


「私……本気で愛してるんだよ? でも……先生は違うんだね……」


 夜の体温に冷やされた風がエリカの頬を撫で、自らの想いが叶わないと知らしめた。

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