四頁「桃太郎」

 今年の春の出来事である。

 正太郎は、彩桜高校に赴任してすぐ童話研究会を作ったが、それには理由があった。

 亀城家の血筋は、グリムハンズを多く輩出しており、現在の当主である亀城和弘と正太郎は、古くからの知人である。


 元々は正太郎の父親と和弘が懇意こんいにしており、正太郎も息子同然に可愛がられた。

 正太郎が幼少の折、グリムハンズに覚醒した事を見抜いたのも和弘だ。

 和弘から薫の事を頼まれた正太郎は、童話研究会を発足。

 正太郎と薫は、意気投合し、一ヶ月弱で三体のワードを仕留めた。


 全てが上手く行っていたが、エリカが入部する三週間前、あるワードが現れた。

 そのワードは、物流センターやスーパーの倉庫に忍び込んで桃を鋭利な刃物で割って回る。

 桃を刃物で割るという行為から、すぐに童話『桃太郎』のおじいさんとおばあさんから発生したワードであると、正太郎は突き止めた。

 これは、近代の桃太郎のイメージである。


 近代以前の桃太郎は、桃を食べて若返った夫婦の間に出来た子供という説が有力だ。

 桃は仙人の果物と呼ばれる神聖な物で、中国では不老長寿を表す縁起物。

 漢方薬でも桃の種を女性特有の不調の薬として処方する事もある。

 それが子供向けに内容が改訂されるにつれて、桃から子供が生まれるという物語に変じていった。


 桃太郎のおじいさんとおばあさんから発生したワードは、人的被害も出しておらず、正太郎と薫は、簡単に討伐出来ると踏んでいたが、想定外の事態が起こる。

 もう一体、新たにワードの存在が確認された。


 それがエリカの両親の仇とも言えるワード『灰かぶり猫のゼゾッラ』だ。

 幾度も存在が確認されながら討伐し得なかった大物が上谷区に出現したのである。

 倉庫に忍び込んで桃をかち割るワードと、人の首を折って殺害するワード。

 脅威度は、比べるまでもなくゼゾッラが上で、正太郎と薫は、ゼゾッラ討伐を優先した。


 だがゼゾッラは、予想以上に手強く、討伐に手間取っている間に、別の事件が起きてしまう。

 亀城薫の妹であり、まだ九歳であった亀城桃子が失踪したのだ。

 親族から捜索届けが出された日の深夜、警察の捜索により、上谷区郊外の廃マンションの屋上で遺体が発見した。


 死亡時刻は、発見された日の午後六時頃。

 鉈のような刃物で頭を二十四ヶ所切りつけられており、下顎以外は粉々に砕けて欠損していたという。

 警察が身元確認のため、桃子の両親を呼び出されたが、遺体を直接見ない方がいいと忠告され、遺留品の服から確認を行った。


 淡いピンク色の開襟シャツと紺色のキュロットスカート。

 桃子のお気に入りの服である。

 薫の元に、妹の訃報が届いた時、正太郎と薫は、ゼゾッラを追跡している最中だった。

 正太郎自身、ゼゾッラを仕留め損ねていた焦りも手伝って、詳細を聞く事もなく、薫を帰してしまった。

 薫は、その足で警察署に行き、両親や担当の刑事から事情を聞かされたが、


「なんだよそれ」


 信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 だって最後に交わした言葉は――。


『僕も、お前みたいに言う事聞かない妹なんか大嫌いだ!』


 一番大切な人と喧嘩別れをしてしまう。

 三文小説のような安っぽい悲劇的な別離なんて、あってはならないはずだ。

 ずっと大切にしてきた何にも代えがたい宝物のような妹。怒鳴った事なんて今まで一度もなかったのに。


「間違いだよ。同じ服を着てるだけだって……モモじゃないよ!!」


 絶対に桃子じゃない。きっと気の毒な別の誰かだ。

 確かめずにはいられなくなって薫は、警察署内の霊安室に走った。

 署員は、懸命に薫を止めようとしてくるが、グリムハンズの強化された身体能力がそれを許さない。


 渾身の力で振り解くとグリムハンズである父、亀城和弘が抱き止めてくる。

 同じグリムハンズ、そして体格では上回る和弘に、薫はなすすべがなかった。

 このままじゃ、何も出来ないままで終わってしまう。

 桃子が死んでしまった事になってしまう。

 だから薫は、頬の内側に歯を立てて血を流すと、


「放せよ父さん!!」

「ダメだ――」


 わざと和弘が口を開くように話しかけ、彼が言葉を発した瞬間、口内に溜めていた血を和弘の口を目掛けて噴き出した。


「父さん動くな!!」


 和弘は薫の指示に、その場で石のように硬直し、立ち尽くした。

 その隙に薫は、霊安室に向かい、扉を開ける。

 白い布が掛けられた小さい遺体が一つ、ステンレス製のベッドの上に寝かされていた。

 遺体の頭の部分は、あるべきはずのふくらみがなく不自然に陥没していた。

 薫は、遺体に被せられた布に手をかける。


「違う……桃子のはずがない」


 桃子は、左肩に小さなほくろが三つ並んであるから、それがあるかないかを確認すればいい。


「冗談じゃない……最後の言葉が大嫌いなんて」


 きっとほくろなんて、ないはずだから。


「大好きなのに……あんな罵声が最後だなんて……」


あるはずがない。


「絶対に違う。どうした亀城薫。違うんだからめくれよ」


 この遺体は、桃子ではないのだから――。


「絶対違うから……確かめ……るんだ」


 けれど、布を掴んだ手は、それ以上動く事を拒絶し、震えるばかりであった。







 桃太郎から生じたワードは、顕現が進むにしたがって桃という単語の解釈が広くなってしまった。

 果実の桃だけじゃなく桃という字の付く全てを襲い始めたのである。

 正太郎や薫は、ワードの行動がエスカレートするのを予想していなかった訳ではない。

 しかしそのスピードがあまりに速過ぎたが故に起きた悲劇だった。


 より大きな標的に注視していたせいで正太郎の視界は曇っていた。

 その時は、ワードによる犯行であるとは思わず、警察の見解と同様、猟奇殺人者によるものだと判断してしまう。

 桃子の葬儀が終わった翌日、正太郎は童話研究会の部屋を訪れた薫に告げた。


「亀城。お前しばらく休め。ゼゾッラの方は俺が何とかする」

「何かしてないと気がまぎれないんです……」

「分かるよ。だけど今の状態でゼゾッラみたいな強力なワードと戦うのは危険だ。とにかくお前は休むんだ。今は和弘さん達の傍に居てやれ」

「分かりました……何かあれば連絡してください」

「ああ」


 正太郎は、薫に休みを取るように言い、薫もこれを承諾した。

 教師として出来る限りの気遣いのつもりだったが、


「みんな、桃子を……妹を殺した奴を教えてくれ」


 薫は、自身のグリムハンズを用いて動物達を操り、桃子殺害犯を探し出す事にした。

 相手が最初からワードだという確証はなかったが、桃太郎のおじいさんとおばあさんのワードである可能性は考慮していたし、万が一――。


「犯人が人間でもいいんだ」


 人間に復讐する事に異能の力を使えば、グリムハンズは薫から離れてしまう。

 それでも構わなかった。妹一人守れない力に未練はない。

 妹の復讐さえ果たせるならどんなモノでも手放してやる。


 正太郎に気付かれたらきっと止められる。

 だから内密に、けれど遠くないうちに正太郎がワードの関与に気付くはずだから迅速に。

 薫の予想通り、亀城に休むよう言った正太郎が翌日には真相に辿り着き、現場に駆けつけた時見たのは――。


「グリムハンズ!!」


 薫の血を媒介に生み出された三匹の獣が主の怨敵を微塵に引き裂いた様であった。

 腕の肉を削ぎ、足の肉を千切り、骨を断ち、皮を剥ぎ、断末魔すら許しはしない。

 特に頭は、念入りに。

 潰し、砕き、裂き、獣一匹ずつが、桃子の受けた二十四回の致命傷を、三匹で計七十二回刻み付け、粉微塵となった遺骸を踏みつけ、亀城薫は、高らかに笑んだ。

 これが不出来な兄が妹にしてやれる、たった一つの弔いと言わんばかりに。

 亀城薫は、復讐を再現しようとしている。

 封印しなければ何度でも復活するワードの性質を利用し、復讐の輪廻に身を投じるために――。







 上谷区の北東の外れにある廃ビルの屋上で薫は、出入り口のドアを凝視していた。

 嫌悪感の群れが針のように、頬を刺してくる。

 薫が肩幅まで足を広げて身構えると、軋むドアを開いて待ち望んだ異形が姿を現した。


 一見すると男であるが、向こう側の景色が透けて見えている。尋常のモノではない。

 古びて色褪いろあせた紫のぼろを腰に巻き、左半身は若く肌にも張りがあり、右半身は腐った枯れ木のように年老いていた。

 背中には老母の上半身を丸めたような肉塊が鼓動し、しわがれた二本の女の手が伸びて身の丈程もある鉈を引きずる年老いた男の右手を支えている。


「モモ……モモ……」


 枯草が擦れるような声を上げて、異形は薫を見つめている。


「モモは、ここだ! 僕がお前の求めるグリムハンズだ!」


 名乗りを上げた薫は、右手に特殊警棒を持ち、左手の人差し指の根元を噛み切った。


「やっぱり先生の言う通りなんだ。正直言って都合がいい。何度だって君に復讐出来る。何度でも憎い相手を殺せる。僕の心が癒えるまで殺され続けろ、化け物め」


 薫の指から血が一滴、地面に滴り落ちる。

 二滴、三滴と落ち、薫は傷口を親指で押さえ付けてさらに血を流し、いつの間にか足元には、掌ですくえる程の血溜まりが出来ていた。


「グリムハンズ桃太郎!!」


 薫が叫ぶと同時に血痕は膨れ上がり、三つに分かれて、姿を成した。

 一つは、血で出来た犬。見た目は、日本犬に近いが、秋田犬よりも、さらに一回りは大きい。

 一つは、血で出来た猿。見てくれは、日本猿そのものだが、身の丈は、チンパンジー程もあった。

 一つは、血で出来たきじ。これも見た目は、雉であるが、翼を広げた姿は、大鷲にも迫る。


 主演級メインクラスグリムハンズ・桃太郎。

 薫の血液を経口摂取した犬、猿、きじを象徴する動物を操作する事が可能なグリムハンズだ。

 操れる対象は、厳密に犬猿雉という範囲ではなく、犬はイヌ科の動物が所属する猫目。猿は、人間を含めた霊長類。雉に関しては、鳥類全般が対象となっている。


 そのため薫は、この能力を使用する際、原典通りの犬猿雉ではなく、猫やカラスに対して使用し、彼等を操って情報を収集させていた。

 動物は、人間より第六感覚に優れており、ワードの気配を本能的に感知出来る。

 しかし人間のような物語という共通認識は持っていないため、気配を感じられても、ワードを正確に認知認識する事が出来ない。

 故にワードの顕現を深めず、索敵が可能な薫の桃太郎は、世界的に見ても貴重なグリムハンズだ。

 そして今使用しているのが、もう一つの能力。

 戦闘能力に特化した血の家来を形成する攻撃型の力である。


「奴をいたぶれ家来達!!」


 主の指示を受け、血で象られた家来は、


「噛み砕け!!」


 牙を、


「切り裂け!!」


 爪を、


「貫け!!」


 クチバシを振るい、ワードへの突撃を敢行する。

 ワードは、迫る三体の敵の内、まずは血で象られた犬に目を付け、鉈を振るい下した。

 犬の頭をかち割る刹那、血の猿が限りなく音速の領域に寄り添い、ワードの懐に飛び込んで鉈を振るう右手の手首を掴んでいなした。


 狙いを外された鉈がコンクリートの床板をえぐると、犬の牙がワードの喉笛を、雉のクチバシがワードの背中にある老婆の肉塊に突き刺さる。

 悲鳴を上げ、後ずさるワードの背後に猿が回り込み、右の肩口に牙を立てた。

 血で出来た牙がめりめりと音を立てて食い込み、ワードの乾ききった白い薄皮を剥がしていく。

 その様を映す薫の瞳に浮かぶのは、復讐の甘美に飲まれた愉悦であった。


「お前は、あえて顕現させない。何度でも殺してやる」


 たった一度で終わらせない。

 一思いにも殺してやらない。

 徹底的に苦しめて、完膚なきまで痛め付けて、それでようやく欠片。満足という大器の欠片を得るに過ぎない。


「何度でも、何度でも。僕が飽きるまで――」


 だからまだまだ足りないはずなのに、薫の家来達は、血煙へと姿を変えていた。

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