【First Album】3rd Track:あさびきの
早朝から父に呼び出された伊織。話によるとどうやら中華系のマフィア(チャイニーズ・マフィア)との話し合いがあるらしく、父に長男として立ち会って欲しいとお願いされた。彼は久しぶりのヤクザ案件に渋々承諾した。そして眠気をかみ殺しながら、後部座席に座ってバックミラーに映り込む父の目を見ていた。
父の仕事をする姿を幼少期から見てきたが、眼光の鋭い父が仕事に励むとさらに険しい顔になる。コワモテ系チョイ悪親父と世間では言うのかも知れないが、そんな姿を若い女性が見たら「イケオジ」と惚れ直してしまうくらいの格好良さがあった。
ただ、そんな父だが、未だに楼雀組の敷地には数え切れないくらいの猫が住み着いている。そのギャップを知るのは、家族だけだ。組員は知らない。
朝日の昇る海岸線を黒塗りのセダンが走り抜ける。黒光りするボディに日光が反射して眩しく輝いていた。助手席で険しい顔をしながら腕を組む京介と、組員の護衛役が運転する車に同行すること一時間。父、京介の顔は目的地に近づくにつれ、険しい表情に変わっていった。
「この仕事に赴任して、もう二十年経つのか……国際的な問題も絡んで、今回は手強そうだな」
「今回はチャイニーズマフィアですからねぇ。取引のブツはなんっすか?」
「……それがだな、中国では手に入らない脱法の『アレ』らしい」
「アレっすかー」
緊張感のない伊織は、後部座席で手持ち無沙汰を覚えた。スマホを弄ろうかとパーカーのポケットに手を突っ込んだが、見抜かれたのか、バックミラー越しに父に睨み付けられ、慌ててポケットから手を引き抜いた。その直後に手に当たって出たのは「例の撥(ばち)」だった。
柔らかい車のシートにその撥が落ち、反射してキラリと光った。伊織は拾い上げ、よく見ると文字が彫り込まれていることに気付く。
「なんだ?この彫り込んである文字は……」
眉間にしわを寄せながら、撥を睨んでいる伊織に、組員は質問を投げかけた。
「若、さっきから何を見てらっしゃるんです?」
「あ、ああ。ちょっと三味線の撥を拾ったんだけどな、持ち主に返そうと思ってるんだが、彫り込んである文字が掠(かす)れてて読めないんだよ。お前なら読めるか?」
運転中の組員。ちらっと伊織を見ると、後ろ手から撥を受け取り、信号待ちの合間に撥を見た。しかし、その文字は埃(ほこり)が詰まっており、使い込まれていて削れていたのか、読みづらくなっていた。
「ん、んん??カタカナっすね。ノ……フ…イ……?ちょっと、あっしには読めないです」
「ばかやろうっ!ちったぁ頭使えよなぁ!」
助手席に座っていた京介が組員を小突いて、撥を奪い取った。車が蛇行して運転手が慌ててハンドルを戻した。冷や汗を掻きながら呟いた。
「……人使いが荒いなぁ」
「バカヤロウ!危ねえじゃねぇか!」
京介の怒号が車内に響いた。そして京介は咳払いをして撥の模様を見ていると、象牙の削り方と磨き方に見覚えがあったらしい。伊織に怪訝な顔をしながら質問を投げた。
「おい、伊織。これ……どこで拾った?」
「高校の屋上校舎。ツンデレ女と会って、ぶつかった時に落としていきやがってさ」
「おい、今すぐ持ち主に返せ!これはかなりの業物だ。それに……あー、めんどくせぇ!説明してる場合じゃねぇ!!急ぐぞ!!」
「御頭、奴らとの用事は……」
「それどころじゃねぇんだって!!神崎家と楼雀組の関係に泥を塗ったらやばいことになる!!行くぞ!!」
京介は組員に強引に命じてハンドルを切らせた。伊織は少し車に酔ってしまった。
**
「オイ、キョウスケサン!!ドウイウコトネ?!」
「悪い。この埋め合わせは必ずするから!!」
「タカクツクヨ!!」
非通知着信に対し、京介がペコペコと頭を掻きながら頭を下げる。中華系の黒社会(ヘイシャーホェイ)は、怒らせるとかなり怖い。ひのの祖父の代から取引していた「あるブツ」を今日中に届ける予定だったらしく、急遽、京介は代役を立てて、腕の立つドライバーと共に届けさせた。
伊織は、和楽器店の大きな黒塗りの軒先に息を呑んでいた。「神崎楽器店」と書かれた白塗りの彫り込み文字と、黒く光る瓦。店の看板の代わりに胸の尺ほどある、箏(こと)の飾り物があった。
「……ったく伊織。お前は色々、事を起こすよな。俺が来たくなくても来る羽目になっちまったじゃねぇか」
京介は深い溜め息を吐きながら、店ののれんをくぐった。中に入ると、材木に鉋(かんな)がけをし、ノミを当てている職人が数人。漆と木の独特の匂いが漂ってきた。目つきの悪い袴姿の男性が京介と睨み合うようにして、店に出て来た。
「おう、キョウちゃんじゃねぇか。なんの用だ?また楽器の発注に来たのか?」
「壽(ことぶき)さん。お久しぶりっす。……実はうちの倅(せがれ)が、妙なものを拾いやしてね」
そう言って、京介は伊織を前に突き出すと、撥を出すようにけしかけた。慌てて伊織はポケットをまさぐっていると、撥が堅い石畳の床に落ち、コトンと音を立てた。慌てて拾う伊織に京介は軽い叱責を垂れた。
「まぁまぁ……」
**
一行は座敷部屋に通され、志乃絵が立ててくれた濃いめの抹茶を呑みながら、伊織は顔をしかめていた。京介は飼われている三毛猫を膝に乗せてデレデレ状態。ルーペで壽(ことぶき)が撥の模様を見ていると「うちの撥に間違いないね」と言って、畳の上に置いた。
それを聞いて伊織は身を乗り出して言った。
「持ち主に返したいんだが……」
「ただいまぁ」
鞄を肩がけにし、相変わらず髪を乱した紫吹(しぶき)が帰宅する声がした。伊織は声に反応し、姿勢を正した。階段を駆け上がる音がし、間もなく襖(ふすま)が激しく開いて紫吹が血相を変えて部屋に入ってきた。
彼女は正座をして向き合っている男四人の前に置かれた撥を、脇目も振らずに奪い取った。
「おい、親父!!これどこにあった!!」
「お前なぁ……帰ってきて早々なんだ。客人に失礼だろ」
「あー、アタイの撥。探してたんだぞ」
呆れ顔で頭を抱える壽(ことぶき)。伊織は彼女の顔をまじまじと見て、呟くように言った。
「お、お前……あの時の……」
「て、てんめぇ!隠してやがったな!!」
紫吹は伊織の襟首を掴んで掴み上げた。筋肉質でずっしりとした彼の身体をものともしていない。伊織は苦しそうに紫吹の手を叩いた。京介は慌てて止めに入っているようだが。
「紫吹!!いい加減にしろ!」
「……この撥がどんなに大切だって……探したんだ……」
「紫吹っ!!分からないのか!!」
壽の怒号と共に、紫吹の頬を叩く音が部屋に響いた――。
**
紫吹は頬に手を当てて父を睨んでいた。手を離された伊織は、その場に倒れ込み咳き込んでいた。京介は伊織の背中をさすっていた。紫吹は黙ってその場を後にした。
「悪い。……今日は帰ってくれ」
「壽(ことぶき)さん、いつもこんな感じなのか?」
京介が質問を投げかけようとしたが、黙って行ってしまった。その背中には哀愁が漂っていた。
伊織はその後、職人のおじさんに楽器を触らせて貰ってから、家まで歩いて帰ることにした。「歩いて帰れる距離」にこの場所があることを京介から前もって聞いてあったようだ。京介は組員と一緒に、黒社会の所へと急いで行ってしまった。
**
「お前が父親の立場だったら……言うことの聞かない娘に手を上げるか?」
「恐らく反抗心で、グレているのかも知れませんね……お家の事情はあっしにも分かりませんよ」
組員と京介が話し合っていた言葉が、夕焼けに照らされて、考え込む伊織の脳に何度も反芻(はんすう)されていた――。
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