20.5限目 アイアイガサ(後編)

「まったく……。お前というヤツは……」


 悪態を吐きながらも、玄蕃先生は私から傘から傘を取り上げた。

 警備員のおじいさんに礼をいって、私たちは歩き出す。

 1本の傘の下で、私たちは寄り添った。


 玄蕃先生はさりげなく車道側を歩く。

 顔は相変わらず仏頂面だったけど、私に対する気遣いだけは忘れない。

 ほんの些細なことだけど、何か守られているようで私は素直に嬉しかった。


「それで? なんで俺が傘を持っていないって知ってたんだ?」


「見ましたから」


「見た?」


「玄蕃先生が、部員に傘を貸すところ。ちょうどその時、私も下校する間際だったので。だから、たまたまです」


「そうか。――で、相合い傘は?」


「それはさっきも言ったじゃないですか。傘が1本しかなくって」


「普通の傘は1本でも、お前なら折りたたみの1本ぐらいは持ってるだろ?」


「ああ、そういえば……。失念していました」


 ニコリと微笑む。


「まったく……」


「そんなに相合い傘がイヤなんですか?」


「教え子と教師が、1つ傘の下にいることが問題なんだ」


「すでに私たちは1つ屋根の下で、ご飯を食べているじゃないですか? 屋根も傘も一緒です」


「むぅ……。耐久性が違う」


 玄蕃先生は無理矢理抗弁する。

 ついには口を尖らせてしまった。

 子どもみたいに拗ねた顔も可愛い。

 寝顔も悪くなかったけど……。


 ――それにしても……。


 こうして並んで立ってみるとわかる。

 玄蕃先生って意外と背が高い。

 私も背が高い方ではないけど、ちょうど頭を一個分ぐらい玄蕃先生の方が大きい。


 思えば、こんなに接近したことがあっただろうか。

 スマホを買いに行った時も、これほど近づかなかった。

 今にも肩が触れそうになる。

 触れたい……。

 そう思うのに、躊躇してしまう自分がいる。


 ――いつもそうなのだ。


 何か今1歩のところで踏み出せない。

 私を才女だという人がいるけど、違う。

 私は臆病者だ。


 先生が隣に住んでいるのに、2ヶ月も声をかけられなかった。

 進路のことにしてもそうだ。

 自分が親に言えばいいだけだったんだ。


 今もこうして側にいても、玄蕃先生の手に触れることすらできないでいる。


 私はぼんやりと顔を上げた。

 傘を持った玄蕃先生の手が、糸で吊された人参みたいに下がっている。

 すぐ目の前にあるのに、私は手を出せないでいた。


「白宮!!」


 不意に玄蕃先生の悲鳴が聞こえた。

 視界が真っ白に染まる。

 光だ。

 強い輝きに目が一瞬眩む。

 世界が遠く感じた。

 何も音がせず、ただパタパタという雨音がだけが耳朶に残る。


 瞬間、ふっと人の匂いが、自分のものと混じる。

 私は力強く抱きしめられていた。


 ぶろろろろろろ……。


 排気音を残し、車が立ち去っていった。


「危ないなあ。前を見て、運転してんのかよ」


 頭の上で声が聞こえた。

 すぐに玄蕃先生だとわかる。

 でも、理解したのはそれぐらいだ。


 理解できないのは、今私の前に玄蕃先生の胸があるということだった。


 汗とかすかな制汗剤の匂いがする。

 香水のような甘い香りではない。

 男の人の匂いだった。


 そして、今玄蕃先生の手は私の背中と肩にある。

 密着していた。偶然のこととはいえ、抱きしめられたのだから当然だ。


「大丈夫か、白宮?」


 教え子を車から守った勇者は、心配そうに私の方へ顔を向ける。

 それだけ見ると、頼りげのない勇者だ。

 けれど、世界の誰よりも頼もしかった。


 その時の玄蕃先生は私の勇者で、私はお姫様といったところだろう。


 ひどく現実感のない距離感に呆然とする。

 そして夢はすぐに覚めた。


「「あっ」」


 声を重なる。

 同時に我に返り、そして同時に目をそらした。


「す、すまん。つ、つい――」


「いいい、いえ。大丈夫です。気にしてませんから」


「や、やっぱ……。お前が傘を使え。俺は濡れて帰るから」


 私に向かって傘を突き出す。

 吊り下がったヽヽヽヽヽヽ玄蕃先生の手を見ながら、私は首を振った。


「それはダメですよ」



 私、1人で使ったら、今度は誰が私を助けてくれるんですか?



 キュッと玄蕃先生の顔が赤くなるのがわかった。

 からかっているわけでも、先生の反応を見て楽しんでいるわけでもない。


 本当に、私は心の底からそう思っていたのだ。


 玄蕃先生は、世界でたった1人の私の勇者なのだから。


「わかったよ」


 玄蕃先生は矛を収めるように手を引いた。

 そして私たちは並んで歩く。

 もう1度ぶら下がった玄蕃先生の手にんじんを見つめた。


 ――今、これでいい。……これがいい。


 この距離感がいい。

 私を大事にしてくれている。

 それがわかっているだけで、私は今十分幸せだった。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


小説家になろうで連載中の『ゼロスキルの料理番』コミカライズ版最新話が、

ヤングエースUP様で配信されました。

こちらもよろしくお願いします。


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