13.5限目 はい、あーん……。(後編)

「じゃあ、次は私ですね。はい。あーん」


「な! 俺もやるのか?」


「私がやったんですから。おあいこです」


「おあいこですって……」


 小っ恥ずかしい。


 だが、白宮は準備万端だ。

 口を薄く開け、顔をこちらに向ける。


 そして、そっと目を閉じた。


 ――お、おい。何故、目を閉じる必要がある。


 これじゃあ、まるでその……。



 キスをせがまれているみたいじゃないか。



 いかん。

 考えたら、余計に恥ずかしくなってきた。


「玄蕃先生、まだですか?」


「ちょ、ちょっと待て。今――」


 慌てて、俺の方にある弁当箱の中から鶏の甘酢あんかけを取り出す。

 だが、手が震える。うまく掴めない。

 おかげで1個取り逃し、俺の指先を伝って、弁当箱からこぼれ落ちてしまった。

 拾い上げようとした時、俺はあることに気付く。


 もう1度、目をつむったままの白宮を見つめた。


 ――待てよ。


 俺の中でちょっと悪魔的な発想が思い付く。

 白宮の方にある弁当箱にそろりと箸を忍ばせた。

 俺はまだ白宮が手を付けていない梅干しを拾い上げた。

 これを油断している白宮に食べさせて、驚かせてやるのだ。


 ――ふふふ……。たまにはこういう悪戯心もいいだろう。


 最近、散々俺をからかっているのだ。

 たまには教師の恐ろしさを思い知らせてやろう。


「玄蕃先生、まだですか?」


「おう。ちょっと待て」


 俺は梅干しを白宮の唇に近づけていく。

 ぐふふふ……我ながら悪い笑みが浮かんだ。

 いよいよ梅干しが白宮の――。


「玄蕃先生、ダメですよ」


 すると、白宮の目が開く。

 ちょうど目が合った。

 純真なブラウンの瞳が、俺を射貫く。

 瞬間、俺は金縛りにかかったように動けなくなった。


「うっ――――」


 ――くそ! あと一歩というところで。


「私が食べたいのは、甘酢あんかけの方です。だから――――」


 すると、白宮は首を伸ばす。

 俺の箸ではなく、俺の手に顔を近づける。


「ここにあんがあるじゃないですか?」


 それは先ほどのトラブルで俺の手に付いたあんだった。

 白宮はそれを――。


 ぺろり……。


 まるでリスのように小さく舌を出し、舐め取ってしまった。


「うわあああああ!!」


 思わず仰け反る。

 箸で摘まんでいた梅干しが転々と転がった。


「ダメですよ、玄蕃先生。食べ物を粗末にしちゃ。もったいないお化けがでますよ」


 がおぉ、と怖さの欠片もないお化けが、俺の前で小さく吠える。


「お、お前、今……そそそそ、そのぺろって……」


「ええ。しましたけど」


「そ、そそそそういうのは、彼氏ができた時とかに取っておけ!」


「何を言うんですか? 一緒にデートした仲でしょ」


「あれはスマホを買いにいっただけだ」


 と抗議するのだが、白宮はますます微笑むだけだ。

 慌てふためく俺を見て、楽しんでいた。


 全く……。

 白宮は一体俺に何をさせたいんだよ。



 △ ▼ △ ▼ △ ▼



「じゃあ、俺は先に戻るわ」


 そう言って、玄蕃先生は生徒会室を後にした。

 引き戸が隙間なく閉まり、先生の足音が3階の階段にさしかかる。

 その瞬間、私は心臓を抑え深く息を吐いて、蹲った。


「な、なめちゃった……」


 今、思い出すだけでも顔が熱くなる。

 きっとあの時の私は正気でなかったのだ。

 場所は学校。

 主たる生徒会役員がいないとはいえ、決して生徒が来ないわけではない。

 その中で、いつも通り玄蕃先生と2人で食事した。


 そして、あの……。


 “ペロリ”


 ああ! あああああああああああ!!


 恥ずかしい。

 恥ずかしすぎる。

 我ながらよくやったものだわ。


 でも……。

 でも!


「我ながらよくやったわ」


 思わず私は、玄蕃先生の皮膚を撫でた舌を指で触れた。

 自分とは明らかに違う。

 それは確かに人の皮膚だった。


「お嬢さまにしては、なかなか大胆でしたね」


 どこからともかく声が聞こえる。

 すると、いきなり掃除用具が入ったロッカーが開いた。

 ぬらり、と現れたのは、ミネアだ。


「み、ミネア! なんてとこに隠れているのよ」


「何を言うんですか。私が生徒会で涼んでいたら、あなたたちが勝手に入ってきて、空気を読んでずっと隠れていたんじゃないですか」


「なんでクーラーが付けっぱなしになってるかと思ったら、あなたが……。勝手にクーラーを使うんじゃありません」


「何を言っているのですか、お嬢さま。わたしくも生徒会の会員であることをお忘れなく。ところでお嬢さま。玄蕃先生を舐めるなんて高度プレイ――」


「そういう言い方やめてくれる」


「お嬢さまにしてはなかなか大胆でしたが、少々詰めを誤りましたね」


「え? それは――」


 ミネアはスマホを取り出す。

 画面に映像を流した。

 そこに映っていたのは、弁当を食べる私と玄蕃先生だ。

 どうやらロッカーの隙間から撮影していたらしい。


「あなた、盗撮を……」


「お忘れですか? わたくしの任務はお嬢さまの監視役ですよ。これぐらいは当たり前です」


「う……」


 実はミネアは決して私の味方というわけではない。

 私の素行や態度を報告させるために、白宮家が雇った使用人なのだ。

 とはいえ、本人がそれを真面目にやっているかといえば、微妙だろう。

 教師と一緒にご飯を食べていることも、どうやら白宮家には伏せているようだし。


「ほら。ここですよ、お嬢さま」


「何よ、もう……」


「ほら……。玄蕃先生のほっぺ」


「玄蕃先生のほっぺ…………が、…………なに………………」


 な、なんですって!!


 私は心の中で叫んだ。

 玄蕃先生のほっぺにあんがついていたのだ。

 おそらく食べているうちについたのだろう。


「ほっぺの方を舐めればよかったのに……。お嬢さまも、まだまだですね」


 ミネアはスマホをスリープ状態にする。

 画面は真っ黒になった。

 そして私の頭は真っ白になった。


「ほ、ほっぺを舐める」


 そそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそ、それは――。


「ほっぺにキス……」


 ……きゅうっ!


 私はその場に倒れるのだった。


~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~

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