12限目 教え子のお弁当

 二色ノ荘ではやたらと俺に絡んでくる白宮だが、学校では大人しい。


「玄蕃ちゃん、おはよう」

「玄蕃先生、元気? 鬱になったりしてない」


 新米教師だからか。年が近いせいか。

 それとも優柔不断な性格が災いしたのか。


 生徒の間で、俺はいじられ役になってた。

 校門で朝の登校を見守っていると、俺を教師と認識しているかわからない発言が聞こえてくる。


「玄蕃先生、おはようございます!」


「うっ――」


 俺は思わず心臓が止まる。


 ふわりと揺れる色素の薄い髪。

 瞳はほぼブラウンに近く、白い肌には燦々と朝の太陽が照りつけていた。


 3人の女子高生の中に、白宮が混じっていたのだ。


「お、おはよう、白宮…………さん」


 白宮はにこりと微笑む。

 二色ノ荘で見せる笑顔とは、また異質だ。

 蝋細工のように作られたものだった。


 さっと俺の前を横切っていく。

 湿気と熱気を吸った空気が、一瞬爽やかな涼風に変わったような気がした。

 そして白宮は他の生徒と一緒に校舎の中へと入っていく。


 もう1度言うが、白宮このりは学校では大人しい。

 むろんそれでいいのだ。

 そもそも学校では白宮との接点は少ない。

 受け持ちの授業はあるが、担任でもない。

 授業内の問答以外で、こうして学校の中で会話をしたのも、実は今のが初めてだったりする。

 学校では白宮は必要以上に、俺に近づかない。

 うん。それでいい。


 それでいいはずなのだが……。


「はあ……。俺は何を考えているのだろうか?」


 思わず頭を抱えると、一緒に立っていたベテランの教師に怒られてしまった。



 △ ▼ △ ▼ △ ▼



 頭を切り換えるしかない。

 教え子の白宮ができているのだ。

 教師の俺ができないのはおかしい。


 軽く職員室で気合いを入れると、着信のランプが光っていた。

 学校のスマホではない。

 最近買い換えたスマホである。


 職務中の私用のスマホ利用は控えるようにいわれているのだが、今は昼休みである。

 中には準備室などに引っ込んでソシャゲをやってる教員もいるのだ。

 着信の確認ぐらい問題ないだろ。


 俺は画面を起動させる。

 すると――。



『白宮このり よりメッセージがあります』



 ガタッ!!


 思わず椅子から立ち上がった。

 職員室中の教員の視線を奪う。

 奥で広い机に座る教頭の目が光ったのが見えた。

 俺は「あ」とか「う」とか言って、どう言い訳しようか悩んだ後、ようやく口を開く。


「ちょっと……。実家から。緊急みたいなんで、かけてきます」


 俺はすたこらと職員室から出ていった。



 △ ▼ △ ▼ △ ▼



 早速、RINEを開く。

 画面に映ったのは、メッセージではない。

 画像だ。

 しかも、弁当の写真である。


「おおっ!」


 思わず声を上げる。

 腹も「ぐぅ」としっかり反応した。

 涎が溢れ出てくるのを必死で吸い込み、画面をよく目を凝らして見る。


 可愛いピンクのお弁当箱には、ぎっしりと料理が詰まっていた。

 黄色い卵焼きに、これは酢豚だろうか。カラフルな赤のパプリカに、ピーマン、玉葱、揚げ物に、ねっとりとしたあんが絡んでいる。

 夏らしい枝豆の緑は爽やかで、定番のタコさんウィンナーには目がついていて、カメラ目線でこちらを見ていた。

 胡麻がかかった白米には、大きな梅干しがどすんと鎮座している。


 思わず食い入るように見つめてしまった。

 思えば、手作り弁当なんて久しく食べていない。


 どうしようか悩んだが、俺は返信することにした。


『うまそうだな』


 すると、すぐに返信が来る。


『食べたいですか?』


 うっ……。


 俺は思わず怯んでしまった。

 これはきっと白宮が俺をからかっているのだ。

 お腹が空いている俺を。

 学校では大人しいと思ったら、どうやらRINEで絡んでくることを覚えたらしい。


 どうしようか悩んだが……。


『食べたい』


 素直に返してしまう自分の愚かさに涙が出る。

 だが、料理が上手な白宮の弁当だ。

 きっとおいしいに違いない。


『じゃあ、東棟で待ってます』


『え? 学校で食べるのか?』


 俺はてっきり二色ノ荘に帰って食べるのかと。

 いや、待て。

 弁当は案外傷みやすいものだ。

 加えて、今日も初夏とは思えないほど暑い。

 二色ノ荘に帰って蓋を開けたら、腐っていたなどとは目も当てられない。


『じゃあ、私1人で食べちゃいますね』


『待て待て。わかった。今から行く。東棟でいいんだな?』


『待ってます』


 最後は絵文字付きで返ってきた。

 白宮はわかっているんだろうか。

 俺たちは教え子と教師だぞ。

 いや、それは俺も同じか。


 なんせ弁当で釣られるんだから。


 やや複雑な想いを胸に俺は、東棟へと向かうのだった。



 △ ▼ △ ▼ △ ▼



 東棟は化学実験室や音楽室、他に文化系の部室が集まる棟である。

 昼休みでも生徒の通りは決して少なくない。

 部室でご飯を食べたりするものもいるからだ。


 東棟へと向かうと、白宮が何気ない仕草で、東棟の入口から出てきた。


「あら、玄蕃先生。ちょうど良かった」


「へ? いや、おま――――」


 お前が呼び出したんだろうと言おうとしたが、間髪入れずに白宮の言葉が、俺の耳に滑り込んできた。


「実は、サッカー部の予算についてご相談がありまして」


「は? あ、ああ……」


「生徒会室に来ていただけませんか?」


「わ、わかった」


「では――」


 白宮は「どうぞ」とばかりに俺を東棟に案内する。

 そう言えば、生徒会室も東棟にあるんだったな。

 俺はそのまま白宮の後に付いていく。

 途中、生徒と会ったが、特に何かあるわけでもない。

 傍目から見て、単に白宮が俺を生徒会室に案内しているようにしか見えないのだろう。


 部屋の前にやってくる。

 白宮は鍵を開けた。

 涼風が吹き込んでくる。

 どうやらクーラーがかかっているらしい。

 職員室よりも効きがいいようだ。


 他の生徒はいない。

 生徒会の会員たちは、ここでお昼を食べないのだろうか。


「いつもなら、3年生の生徒会長や副会長がここでご飯を食べているんですけど。今、3年生は修学旅行でしょ?」


「あ。そういえば……」


「他の会員の人は滅多に来ないので。ご心配なく……」


「そうか」


 少し安心したら、また飢餓感がこみ上げてきた。

 忘れるなよ、とばかりにお腹が鳴る。

 その音を聞いて、白宮は微笑んだ。


 作られたものではない。

 生きた――いつも俺がよく知る白宮の笑顔だった。


「うふふふ……。そんなに私の弁当が食べたかったんですか?」


「あんな画像見せられたら仕方ないだろう」


 タコさんウィンナーが決め顔で「食べろ」と言っているような弁当なのだ。

 我慢できるはずがない。


 俺は周りを見渡した。

 生徒会室に来たのは初めてだ。

 意外と狭い。でも――。


「なんだか落ち着くな」


 何故だろうか?

 1度も来たことなかったのに。

 ……ああ、そうか。

 一緒なのだ、広さが。

 うちの部屋の広さと。

 白宮と一緒にご飯を食べる部屋と。


 しゅるり……。


 衣擦れの音がする。

 白宮は弁当を包んでいた花柄の手ぬぐいを解く。

 写真で見たピンク色の弁当箱が2箱並べられる。


 黄色の卵焼き。

 緑の枝豆。

 褐色の揚げ。

 赤のパプリカ。

 真っ白な白米と、日の丸のように浮かんだ梅干し。


 蓋を開けると、写真そのままの光景が広がっていた。


「おお……」


 人間の本能なのか。

 はたまた反射行動なのか。

 俺の口内に涎が垂れる。

 腹はすでに危険域に達し、ゴロゴロと警報を鳴らし続けていた。


「見ているだけでいいんですか?」


 そう言って、白宮は割り箸を差し出す。

 ちょっと挑発するように薄く口を開けて微笑んでいた。


「そ、そんなわけないだろ?」


 俺は割り箸を握る。

 何故か、賄賂という言葉が脳裏をよぎった。


 何せ、ここは学校だ。

 誰もいない部屋で、教師と教え子が2人っきり。

 しかも目の前にいるのは、二色乃高校の誰もがうらやむ美少女である。


 後ろめたいこと、この上ない。

 教師としてどうかと思う。

 それでも、白宮の料理には目を引くものがあった。


 いや、違うな。


 それは言い訳でしかない。


 たぶん、俺は――。


 ちらりと白宮の方を見る。

 本人は生徒会室に常備されている電気ポットを使って、お茶を入れていた。

 急須から椀に注ぐ、白い湯気が上がる。


 湯気の向こうの白宮と、ふと目があった。


「玄蕃先生、どうしました?」


「あ。いや、なんでもない……。すまん。馳走になる」


「はい。じゃあ……」


 俺たちは手を合わす。

 いつも通りに。


「「いただきます」」


 初めて俺たちの声は、学校という場所で重なった。 

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