3.5限目 どうやら俺の胃袋は……(後編)

「私の話を聞いてくれませんか?」


 そう切り出した白宮は、こんこんと話を始めた。

 白宮はとある事情で親元を離れ、1人暮らしを始めることにした。

 ちなみに白宮家は、代々著名な料理人を輩出する名家なのだという。

 とある事情とやらも、それが関係していると俺は考えたが、それ以上立ち入ったことは聞かなかった。


 家ではお嬢さまと呼ばれるほど、何不自由ない暮らしをしていたそうなのだが、白宮は思いの外すぐに1人暮らしに順応した。


 初めての1人暮らしは、順風満帆かと思われたのだが……。


「お恥ずかしい話なのですが……。意外と自分が寂しがり屋なんだと気付きまして」


「でも、お前。学校にはいっぱい友達がいるだろう。部屋に連れてくればいいじゃないか」


「学校のみなさんは、みんな私が大きなお屋敷に住んでいると思っているようでして。誘っても、気後れするのでなかなか……。それに、生徒のみなさんの夢を壊すのもちょっと――」


「俺ならいいのかよ」


「玄蕃先生はお隣さんじゃないですか」


「今日まで知らなかったけどな」


 俺は肩を竦めた。


「話ってのは、それだけか?」


「いえ。ここからが本題です」


 すると、白宮は自分のお腹を押さえた。


「実は寂しさからか、ここのところずっと食欲がなくて」


「そうは見えなかったけどな」


 白宮の前にある空になった皿を、俺は見つめた。


「おかげで、2ヶ月で10キロも体重が落ちてしまって」


「10キロ!!」


 俺は反射的に身を乗り出していた。


 いや、それはまずい。

 医者に言った方が良いレベルだ。


「あまりこういうことは言いたくないけどな。教師として言わせてもらうと、白宮――お前、実家に帰った方がいいぞ」


「…………それは、イヤです」


 白宮は目を背けた。

 ここまで明確に言葉にも表情にも、嫌悪感をむき出しにした白宮を、俺は初めて見た。

 よほどの事があったのだろう。

 ふと児相のことが頭によぎったが、まだ事を荒立てる段階にないと判断した。

 未成年がアパートを借りているのだ。

 少なくとも保護者は、白宮がここで暮らしていることは、把握しているはずである。


 俺は一旦気持ちを落ち着けようと、椅子に座り直した。


「わかった。で? 俺に話を聞いてほしいというからには、何か俺にしてほしいことがあるんだろ?」


「はい。どうやら、私。人が一緒だと、ご飯が食べられるみたいです」


「そのようだな」


 俺はもう1度、白宮の前の空皿に視線を向けた。


「だから、先生――」



 毎晩、うちでご飯を食べに来てくれませんか?



 白宮は花が咲いたように笑顔で言い放った。

 一方、俺は石像のように固まる。


「ま、毎晩……」


「はい。毎晩です。悪くないと思いますが」


「いや、だって俺とお前は」


「教師と教え子ですよね」


「嬉しそうにいうなよ。わかってるなら――」


「でもお隣さん同士です。お隣同士、助け合って生きていきませんか?」


「助け合うって」


「失礼ですが、玄蕃先生は食生活で困っていたりしませんか?」


「うっ――」


「毎晩、コンビニ弁当とか。ウィンダーをキメるだけの食生活になってませんか?」


「高校生が“キメる”とかいうなよ……」


「玄蕃先生は私に栄養満点のご飯を作ってもらう。私は玄蕃先生と一緒にご飯を食べる。これって立派な共生関係だと思いますが、いかがでしょうか?」


 白宮は畳みかけてくる。

 情けないことに、俺はJKにやられっぱなしだ。

 ぐうの音も出ない。

 口では否定しても、心の奥底ではその共生生活を望んでいる自分がいる。


 そもそも眼に焼き付いて離れないのだ。


 テーブルに並んだ白宮の料理が……。


「玄蕃先生?」


 気がつけば、白宮の顔が目の前にあった。

 大きな黒目には、戸惑いの表情を浮かべた俺が、ばっちり映り込んでいる。

 鼻先に香る匂いは、酸っぱいコールスローの匂いではない。

 フローラルなシャンプーの香りだった。


 甘ったるい匂いに、俺の理性は陥落寸前だ。

 それでも俺は――。


 ぐぅぅ……。


 腹の音が鳴った。

 むろん俺は驚いたわけだが、たぶんそれは俺の正直な気持ちだったのだろう。


 その音を聞いた白宮は頬杖を突いた状態で、鬼の首でも取ったかのように微笑んでいた。

 「玄蕃先生のお腹は、随分食欲旺盛なのですね」と、柔からな曲線を描いた口元から聞こえてきそうだ。


「わかった」


 結局、俺は完落ちした。


「だが、勘違いするな。お前がこのまま鬱とか拒食症になって、不登校にでもなれば、後々面倒だと思っただけだ」


「ふーん」


「なんだよ」


「玄蕃先生って、意外とツンデレだったんですね」


「誰がツンデレだ! 23歳新米教師のツンデレなんて、どこに需要があるんだよ」


「さあ……。でも、意外と需要があるかもしれませんよ」


 白宮は目を細める。

 勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 それでも、俺は反論できない。

 一瞬振り上げそうになった手を、自分の腹に置く。

 ちょうど8分目に収まった俺の胃は、俺自身をいさめるようにぐるぐると動いていた。


 ――こいつめ!


 どうやら、俺の胃袋は教え子が作る料理に懐柔されたらしい。

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