彼女の事情1

ヴィオレッタ=ガーランド公爵令嬢は、幼い頃から少し特殊だった。少し先の事が瞬間的に視えるのだ。なので、かなりの頻度でその日の夕食の献立だったり、次の日の天気だったりをぴしゃりと言い当てる。両親は驚いていたが、その力を“ヴィオレッタは勘がいいんだなぁ”程度に受け流していた。



けれど八歳になったある日、いつものようにメイドの一人であるリーシャにお茶を淹れてもらっていた時のことだ。リーシャはヴィオレッタが昔から姉のように慕っている女性で、公爵家のメイドの一人だ。

リーシャがお茶をヴィオレッタの前に置いた瞬間の事だ。急に後ろから頭を殴られたようなグワリとした感覚があったかと思うと、ある光景を脳裏に視た。

視たものは彼女が彼氏であろう―――親密そうに見えた男に言い争いの末にこっぴどく振られるという内容だった。

そこでは自分は第三者のように全てが見える位置にいたような感覚だった。当時のヴィオレッタには彼らが話していた言葉や事情はよく分からなかったが、その中でリーシャがずっと泣いていたので凄く悲しいことなのだと感じた。そうしてリーシャは悲しみの末、そのままメイド用に与えられている彼女の私室で首を吊って動かなくなる。



最初はヴィオレッタもきっとただの悪い夢……白昼夢だ――と忘れようとした。けれど、どうしても彼女が此方に笑いかける度に、動かなくなる瞬間の顔がフラッシュバックする。思い悩んでいる内に数週間が経過した頃、リーシャが急に何も言わずに公爵家の奉仕に来なくなってしまう。

リーシャが定時になっても来ていないと聞いたヴィオレッタの脳内に浮かんだのは、忘れようとしても忘れられなかったあの光景だった。



彼女はすぐに行動を起こす。リーシャのメイド部屋の鍵をメイドに頼んで取りに行かせ、自分はそのまま部屋に向かう。とてつもなく嫌な予感がした。


「リーシャ!リーシャ!!聞こえてる!!?」


ドアを幼い力で叩きながらも大声で叫ぶ。そうしている内に鍵を頼んでいたメイドが到着し、鍵を開けるとそこにいたのは、椅子に上り今にも首を吊ろうとしているリーシャだった。ヴィオレッタは咄嗟の判断で、椅子の上にいたリーシャの腰のあたりに抱き着く。当然、幼い子供と言えど立ったまま腰にいきなり飛び込んでこられれば、バランスを崩してしまう。

床に頭をぶつけはしなかったが、主に腰のあたりをそれなりに強く打ったリーシャはヴィオレッタに押し倒されるような形になる。ヴィオレッタも肘を床に強かにぶつけ、出血もしていたがそんなことは気にしてられない。


「リーシャが……私のリーシャがいなくなるなんて、絶対嫌!!私の大好きなリーシャを取らないで…………私と一緒にいてよ」


ヴィオレッタは泣きじゃくりながらも、最後の方は消え入りそうな声でそう叫んだ。その言葉に、リーシャは雷を打たれたように固まった。そうして、自然と涙が零れてくる。“自分にはこんなに泣きじゃくるほどに心配して、必要としてくれる人がいる”それを改めて知ったリーシャは、ヴィオレッタと同じくらいに涙をこぼしながらも抱き着いてくる幼い主人を抱きしめ返した。



その日からリーシャは完全にヴィオレッタ専属のメイドになり、両者にとってなくてはならない存在になったのだ。その後ヴィオレッタはリーシャと両親に、リーシャの未来を視たこと、そしてそれが現実になりかけたことを話した。リーシャは夢の中で視聞きしたことをそのまま伝えられると、驚きに目を見開いた。彼女が言われたこと・行動共に、言い当てられていたからだ。

そして、そのリーシャの反応を見て、事を重く受け止めたヴィオレッタの両親である公爵夫婦はヴィオレッタに約束させる。

今後この能力……未来視の事を自分たち家族以外の人間には絶対に言わない事、そして視た未来を不用意に人に伝えたりしない事、最後にこの能力を悪用したりしないことを約束させられた。


***


しかし彼女は子供だったが故に未来が見えること……そして、それを他人に伝えてしまう事で起きる事の危険性を楽観視してしまっていたのだ。



そうしてある日事件は起きる。それは彼女の母である公爵夫人の主催するお茶会でのことだ。公爵夫人は庭で他の懇意にしている伯爵家や子爵家、侯爵家の婦人方とお喋りをしていたが、子供にとっての大人の会話など退屈のきわまり。なのでヴィオレッタはいつも、連れてこられている他の家の子供たちと公爵家の広大な庭で遊んでいた。


そうして遊んでいる内にまたしてもグワリとした感覚の後、ある光景を視る。一緒に遊んでいた仲の良い同い年ほどのある伯爵令嬢が橋の上を通った途端、老朽化していたのだろうか――木製の其の橋の一部が折れ、彼女は川に落ちてそのまま……。

それを視た後、ヴィオレッタはすぐに行動する。彼女を呼び止め、”危ないから橋の方へ行ってはいけない”と忠告する。だがしかし所詮は子供同士。いくら忠告したところで「なんで?どうして?」と問い返され、事情も説明することのできないヴィオレッタの言葉は聞いてはもらえず仕舞い。


彼女は彼女は迷いに迷った結果、母に頼ることにする。すぐに庭の木陰で他の夫人とお茶を飲んでいる母に抱き着き、小声で事情を説明した。

すると母は血相を変え、近くにいた執事を呼び寄せるとすぐに橋に向かう。すると案の定、件の伯爵令嬢は大声で泣き叫びながらも溺れていた。貴族令嬢など泳げる者の方が希少だ。この伯爵令嬢も例に漏れることなく更に恐怖で泣き叫ぶせいで口に水が入り、空気を吸う気道が塞がれ、より苦しい状態になっていく……。

一瞬で判断した公爵夫人は、大人の執事に川から伯爵令嬢を救うように指示する。執事が入って分かったことだが、この川は存外に深くそれなりに背が大きいはずの執事の胸辺りまであった。泳げない小さな子供など簡単に命を失ってしまう深さだ。

そうして救い出された伯爵令嬢はすぐに公爵家の客室に運ばれた後、公爵家お抱えの腕の良い医師からの適切な処置を受けたことによって、どうにか命を繋ぎとめた。



そしてその数日後。最後まで止めることが出来なかったことが心残りだったヴィオレッタは全快したという件の伯爵令嬢の見舞いに行くことにする。本当は母には止められていたが、彼女の無事を自分の目で確かめたいがために先ぶれも出さずに会いに行った…………会いに行かずにはいられなかった。

しかし伯爵令嬢の部屋に通され、瞳が合った瞬間――――予期もしなかった一言を受ける。


「近寄らないで!!気持ち悪いっ!この化け物」


伯爵令嬢は言った。”ヴィオレッタはまるで私の未来が見えていたかのように忠告した。そんなの怖いし、なにより気持ちが悪い。それに前から思っていたけど、貴方のその瞳……金色なんて異質で不気味よっ”……と。本来彼女を救ったはずのヴィオレッタが受けたのは、謝罪の言葉でも感謝の言葉でもなく、ヴィオレッタとその能力に対する拒絶の言葉だった。


思いもよらぬ拒絶に頭が真っ白になったヴィオレッタは、その後どうやって公爵家に帰ったか覚えていない程に放心していた。覚えているのは帰った時、ヴィオレッタがいなくなったことで彼女を心配して探していたらしい母とリーシャに強く抱きしめられたことだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る