第25話 封書と矜持
「レイラ様! レイラ様、大変です!」
アメストリア国第一王女、レイラ・ランフェストが従者、エルザ・ガンフォールの足音が屋敷中に響き渡っている。
怒りとも呆れとも取れるそれを一切隠そうとしない彼女が、食堂へと続く両扉を勢いよく開くと、周囲を
まるで体中から怒りの炎を撒き散らす様は激昂のイフリート。
その姿に両脇に控えていた使用人達は震え上がる。
ただ一人、一切動じず優雅に紅茶を傾けるのは屋敷の主、レイラ・ランフェストその人。
「エルザ、今はティータイム中ですのよ。そのように乱暴に扉を開けられると埃が立ってしまい、せっかくのダージリンが台無しだわ」
「そ、それは失礼しました……って、そんなことを言ってる場合ではありません! それよりこれをっ!!」
収まらない怒りと共に彼女が腰を下ろすテーブルに、指を震わせながら封書を置くエルザ。
震える指から少し乱暴に置かれた封書にはユニコーンの刻印が押されており、祖国アメストリアからの便りであることが一目で窺える。
それを3秒ほど眺めたレイラは、微笑みながらティーカップをそっと受け皿へと置いた。
その表情は何かを悟ったのか、決然とした態度である。
「お父様からかしら……?」
「中を……御覧になられますか?」
「ええ、拝見するわ」
エルザが血相を変えて持ってきた封書の中身をサッと確認すると、コクリと頷く。
気品と優雅さを決して失わない彼女の所作一つ一つに、王女たる者の力量が窺える。
「なるほど、政略結婚ですか……。アメストリアの現状は私が思っていた以上に深刻なようですわね」
「何を落ち着いておられるのですか!」
「エルザは何を慌てているの?」
落ち着いた様子のレイラとは対照的に、エルザの感情は風船のように膨れ上がる。
それはずっと幼い頃から彼女の側に仕え続けたエルザにしかわからない感情だった。
「レイラ様は幼い頃から仰っていたではありませんかっ! 学び、知恵と力をつけてアメストリアのすべての民を救うと。それが……志半ばで他国に……」
「確かに……残念ではあるわね。この手で民を幸せにできないことは……。だけど、私が嫁ぐことでアメストリアが救われるのであらば、喜んでこの身を捧げるつもりですわよ」
「国のために御自分を犠牲になさると、そう仰るのですか!」
「エルザ、私はアメストリア国第一王女、レイラ・ランフェストですわ。王家に生まれた時から覚悟は出来ていていよ」
「…………レイラ様」
「あなたがそのような顔をすることはなくてよ。他国に嫁げばあなたとも会えなくなってしまう……。最後くらい笑顔で居てくれないかしら」
「……はい」
その一言を残して、彼女は何も言えなくなってしまった。言える訳がなかった。
悲しみを堪えながら気丈に微笑む彼女をその目に映してしまえば……。
ことの始まりは一ヶ月以上前まで遡る。
アメストリア国――王都ストリアから南西に数キロほど進んだ小さな村で事件は起きた。
フレマセルと呼ばれる小さな村では連日の日照り続きで作物が十分に育たなかった。
そんな折り、困り果てた村人達の元に一人の行商人がやって来て、特別な種を差し出したのだ。
何でも、その種は水も肥料も必要とせず、植えるだけで食料となる果実を実らせると言う。
藁にもすがりたい村人達は半信半疑、その種を村の畑に植えることにした。
すると、一晩で種は芽を出し、3日後には巨体な大木へと成長を遂げた。
ここまでは良かった。
しかし、問題が発生する。
大樹の成長は止まることなく村中に根を生やし、それは王都ストリアまでおも覆い尽くしてしまうほどの急成長を遂げた。
慌てたレイラ・ランフェストの父、ライン・ランフェスト国王陛下の命令ですぐに根を焼き払うこととなったのだが、根を焼き払うことは不可能だった。
焼き払おうとする度に根は分裂して、被害は拡大する一方。
さらに、この謎の植物は水も肥料も必要としなかったのだが、あるものを栄養として必要とした。
それが生命力。
大地に根を張った植物は、その地で生きるすべての者達から生命力を吸い取ってしまうのだ。
このままでは一刻を争う事態となる。
しかし、アメストリア国の知恵を持ってしても、大樹を伐採することは叶わない。
そんな時、隣国から使者が訪れた。
『我々なら大樹を葬ることが出来ます』
だが、そのためにはアメストリア国第一王女と自国の王子との婚約が条件だと言う。
国を救うため、ライン・ランフェスト国王陛下は娘のレイラ・ランフェストを差し出すことを約束してしまったのだ。
アメストリア国は奇妙な植物に支配されており、直ちに隣国に大樹を除去してもらうため、レイラ・ランフェストの帰還を求める便りを寄越してきたという訳だ。
少し一人になりたいと言い残し、レイラは自室にこもってしまわれた。
そんな彼女にかける言葉が見つからないエルザは、悲しみからその場に立ち尽くしていた。
無力という二文字が頭の中を何度も交差し、無意識の内に握りしめられた拳が爪を立てる。
主君である彼女が涙を見せぬ中、自分がそれを零す訳にもいかない。
しかし、耐え難くやり場のない思いが鮮血となり滴り落ちる。
幼い頃から従者として、時に姉のように育てられてきた彼女からすれば、レイラは主君であり妹のような存在。
そんな彼女が自らの気持ちとは違い、他国に嫁ぐことは身を引き裂かれる思いだった。
だが、国のために他国に嫁ぐことは仕方のないこと。
どこの王家でも昔から当たり前のように行われていること。
わかっている。エルザも十分理解していた。何れこのような未来が来ることも考えなかった訳ではない。
でも、早過ぎた。
あまりにも早過ぎる未来に、現実を受け止めきれずにいる。
瞳を閉じれば瞼の裏に浮かぶのは先程の彼女の姿。顔色を悪くしながらも気丈に振る舞う華奢な体は微かに震え、白くなるほど握りしめた手がすべてを物語っていた。
「私は……何もできないのか」
この世の終わりを見たような目眩とは大袈裟かもしれない。
しかし、レイラにとってもエルザにとってもそれくらい辛い現実であることは間違いない。
打ちひしがれるほどの苦痛に耐えながらも、それでも膝を折ることはない気高き魂。
その誇りを守りたいと願うのは従者なら当然の思考である。
だから、彼女は考えることを決して放棄しない。
何かある、まだきっとレイラを……アメストリアを救う手立てがあるはずだと思考を巡らせる。
(考えろ、私はレイラ様の騎士になると誓ったのだ。彼女の誇りと尊厳を守ることこそが私の使命なのだから、諦めるなっ!)
どれほどの時間立ち尽くし考えたのだろう。
陽が暮れ、月が上り、小鳥の囀りが聞こえてきた頃、エルザの脳裏に一人の男の姿が浮かび上がる。
「ジュノス……ハードナー」
彼女は考えていた。
この街のスラムを、僅か一月で見違えるまでに変えてしまったあの異端児……リグテリア帝国の第三王子を。
(スラムを改革し、あまつさえ誰も手がつけられないと言っていたスラムの若者に支持される彼なら……あるいは……)
だけど、エルザは考える。
アメストリアを苦しめる帝国の王子に助けを求めるなどあっていいことなのか。
それは彼女の誇りを汚すことに繋がらないのかと……。
「いや、違う。レイラ様が頭を下げるのではない。この私が勝手に頭をさげるのだ! それならレイラ様の誇りが汚されることなど断じてない! あるものかっ!!」
義憤……悪魔と取り引きすることになったとしても、エルザはレイラを救うことを優先する。
何かを振り払うように走り出す彼女に迷いはなかった。
向かうは悪魔と呼ぶべき帝国の頂点に君臨する男、ジュノス・ハードナーの元。
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