ロビン・フォーカス

夏の夜の夢

 ロビン・フォーカスは猜疑心に満ちた生を送った故に風紀改善協会の一員となった。風紀改善協会とはピューリタンたちによって結成された、ロンドンの治安を守るための組織だ。

 この絢爛なる都ロンドンを脅かす犯罪の温床を見つけ出すために、彼は夜のセント・ジェイムズ公園に足を運ぶ。

 公園内はまるで綺羅星を集めたかの如く明るかった。

 煌びやかなガス灯に照らされ、絢爛たるロココ調のドレスに身を包んだ婦人たちが、露天に置かれた美しい宝飾品を紳士たちと共に眺めている。その脇では天使をかたどった噴水から清らかなるテムズ川の水が流れていのだ。

 美しく刈られた芝生の上を歩く、一人の少女がいた。月光を写し取ったごとく煌めく結い上げられた金髪。空色のダマスカス織のステイズの下に、濃い青のペチコートを幾重にも重ねた彼女は、蒼穹を想わせる眼をガス灯にゆらめかせ、可憐な声で鼻歌を口ずさむ。

 自分たちの世界に浸っていた人々は彼女の出現に大きく眼を見開き、皆一様に彼女をうっとりと見つめた。

 そんな視線を気にすることなく、彼女は樹木の茂った公園の隅へと吸い込まれていく。ロビンはそんな彼女を追っていた。 

 彼女の鼻歌を聞き取ることができたからだ。それは、モリーたちが使う秘密の言葉だ。その言葉の意味を、ロビンは彼女をひたすら観察することで体得していった。

 彼女、エドワルダはこのセント・ジェイムズに現れる謎めいた娼婦だ。誰も彼女がどこに住居を構えているかも知らず、彼女とどこで客と行為に及んでいるのか知らない。

 秘密のヴェールが蒼いドレスを着る彼女を彩り、その彩りに男たちは夢中になる。

 彼女の客になる方法はただ一つ。彼女の鼻歌を解読することだけ。 

 そしてロビンは、その言葉がモリーたちの間で交わされる秘密の暗号だということを知っている。

 モリー。女装をらしさ指すその言葉は、文字通り女装を好む同性愛者たちを指す言葉でもある。その彼らのもとへと人を誘う案内人がエドワルダというわけだ。

 公園の隅に聳える樫の林の中で、彼女は妖しい眼差しを月光へと向けていた。彼女の視線の先には、樫によじ登る一人の少女がいる。月からの逆光により顔を望むことはできないが、かすかに笑っていることが気配でわかった。

 煽情なる赤毛を翻して、シュミーズの上に真紅のコルセットを纏った娼婦は笑いながらエドワルドのもとへと降り立つ。そんな彼女を、何の苦も無くエドワルダは抱きとめていた。

 彼女を横抱きにし、エドワルダは妖しく笑ってみせる。

「エドワード、今日もお客さんはゼロ?」

「残念ながらそうだよ、ミス・レッド。モリーはなかなか見つからない」

「なら、造ってしまえばいいでしょうに。あなたを崇拝する男たちをことごとくモリーにするのよ。そうすれば、あなたの主人であるマダムも安心するでしょうに」

 エドワルダを嘲笑するようにミス・レッドは弾んだ言葉をはっする。エドワルダは苦笑しながら、そんな彼女を横抱きにしていた。

「僕らは生まれながらにモリーなんだ。そうでなければ、僕らのことは分からない。生まれついての男たちが、僕らを理解するのは大変だろうよ」

「だからあなたたちは隠れる」

「だから僕らは罰せられる」

「皮肉ね」

「運命は残酷だ」

 エドワルダがミス・レッドを地面に降ろす。二人は額を突きつけ合い、くすくすと笑い合っていた。まるで往年の恋人たちのように、薄い桜色の唇を吸い合い、彼女たちは笑う。

 その光景はまるで、シェイクスピアの夏の夜の夢に描かれる、いたずら好きの妖精たちが作り上げる一幕のようでもあった。

 赤髪と金髪の女がむつみ合う姿は、ロビンの心を捉えるほどに魅力的なものだったのだ。

 ああ、このまま時が止まってしまえばいいとロビンはそうにすら思う。自分が女になって、あの美しいむつみ合いの中に行けたら、どんなに幸福だろうか。

 けれどもそれは、記憶の中にとどめている母の冷たい声によって遮られる。自分を決してロビンと呼ばない母。自分を姿見の前に立たせ、美しい女の衣服で着飾った自分を抱きしめる母。そんな自分を見て、これは僕じゃないと泣きじゃくるロビン。

 暗い過去の記憶が彼の心の淀みから湧きあがり、彼を現実に引き戻す。ロビンは自らのなかにある誘惑を断ち切るために顔を振り、口を開いていた。

「もういらっしゃるの? まだ夜明けには間がありますわ」

 静かだが凛としたその声は、むつみ合う少女たちをこちらにむり向かせるのに十分な働きをしてくれた。

「ああ、あれが分かったの。あなた」

 ミス・レッドの髪をやさしく梳きながら、エドワルダが妖しげに微笑む。そんな彼女をじっと見据えながら、ロビンは言葉を続けていた。

「あれはナイチンゲール、雲雀ではありませんわ」

 それはエドワルダが秘密の言葉で口ずさんでいた、ロミオとジュリエットの1節。一夜を共にしたジュリエットが、去っていくロミオを引きとめたくて発する言葉だ。

「いやいや、雲雀だ、朝の先触れの。ナイチンゲールではない……。よくわかったね。お客さん。君は正真正銘のモリーだ。仲間が欲しくて、僕が紡ぎだす秘密の言葉を解読できた」

 エドワルドがロミオの台詞をそっと紡ぐ。彼は微笑みながら、ミス・レッドを放しロビンのもとへと近づいて来た。スカートの裾を持ち、彼は優美にお辞儀をしてみせる。

「君は、モリーなのか?」

 少女にしか見えないエドワルダにロビンは問う。そんなロビンにエドワルダは妖しく微笑んでみせたのだ。

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