第2話

「どえくしっ!」

「リント、すごいくしゃみ」

「ああ――ったく、誰かロクでもない噂をしやがっているな」

 そう会話する僕たちは、すでにアパートに戻っていた。監視の目がないか確認するために、回り道をしたりしたので、大分、時間がかかってしまった。

 冷蔵庫から、氷出し緑茶を出す傍ら、フィアはきょろきょろと部屋を見渡しつつ、そっと帽子を脱ぐ。そして、するりと黒髪が滑り落ちる――。

「ああ、ウィッグをつけていたのか」

「ん、ついでに靴もシークレットブーツ」

 心なしか、得意げにも見える顔だが――表情はよく分からない。

 改めてみると、西洋人形のような顔立ちで、すっきりと顔が整っているが、可愛いという印象よりも、彫刻や絵画のような、造形美に感じてしまう。

 口数が少ないことといい、クールなタイプに見える。

 そんなすっきりとした顔立ちの少女はウィッグを鞄にしまうのを見ながら、一つ苦笑い。

「見事な変装だったよ。こっちも、分からなかった」

「でも、こっちは分かった――異境の力を、感じたから」

「ん? そうなのか?」

 思わず眉を寄せる。確かに、異境の住民同士は、その力を感じ取ることができる。

 その力は、その血筋にちなんだものだ。たとえば、僕だと〈竜人〉なので、火を噴いたりできるようになる。サラは〈人狼〉で、身体能力が飛躍的に伸びる。

 だが、それを感じ取れるのは、相手が何か異境の力――通称、〈異能〉を使ったときだ。僕はそれを使った記憶はない。そもそも、普段から使えないように封印してあるのだ。

 だが、フィアは無表情のまま、こっくりと頷く。

「それが、私の〈異能〉――相手の異能を、感じ取れる」

「へぇ、そんな便利な異能が……差し支えなければ、どこの出身――あるいは、どういう異能なのか、教えてもらってもいいか?」

「出身は、イタリア――プッリャ州ターラント。異能、は……おに……て……」

 最後は、聞き取れなかった。早口で、小声だったからだ。

 鬼だろうか? 夏の事件で知り合った、鬼の異能を持つ少女を思い出す。

「――鬼? 鬼の異能?」

「ううん……えと……」

 困ったように彼女は口ごもりながら、手招きする。顔を寄せると、彼女はそっと耳元で口を近づけ、息を吸い込み――そして……。


 どさり、という音が、玄関から響き渡った。


「――え?」

 振り返る。そこに立っていたのは、サラだった。

 呆然と目を見開く彼女の足元には、鞄が落ちている。唇をわななかせながら、サラは顔面蒼白になって――徐々に、その目からハイライトが消えていく。

「お、おに、お兄ちゃんが……女を、連れ込んで……っ」

 それと共に、何かをスカートから抜く――え、短刀……?

「なんでそんな物騒なものを持ち歩いているんだよっ! サラっ!」

「護身用だけど、まさか、こんなときに役に立つとは……っ!」

「それは役に立ったらダメなパターンっ!」

「お兄ちゃんどいて、そいつ殺せない!」

「その名言は今聞きたくなかった!」

 混乱する現場。修羅場に近いが、断じてこれを修羅場と認めてはならない。つんつん、とフィアが肩を突きながら、小声で訊ねてくる。

「追手……では、ないよね?」

「ああ、味方だから安心していい、けど……」

「また、お兄ちゃんといちゃつく……っ! この泥棒猫っ!」

「違う。私、猫じゃない。どっちっていうと、貴女の方が猫っぽい」

「失礼な! 私は犬!」

「違うだろ、サラは人狼だろ! ――じゃなくて!」

 余計に話がこじれてくる。はっとサラは息を呑み、きっと睨みつけてくる。

「そうだったっ、今はお兄ちゃんが浮気した話……っ!」

「ちがっ、おい、サラっ、メール入れただろ!」

 スマホを慌てて開く。チャットアプリを起動して確認――。

『兄さんからの命令で、一人匿うことになった。よろしく』

 それの返信にかわいらしい『了解っ!』という犬のスタンプが押されている。

 うん、とサラは頷きながら、肩を震わせ、涙目で言う。

「でも、女の子って聞いていなかったよ……っ!」

「そうだね、言ってなかったからな……!」

「それで、もしかしたら、って思って急いで帰ってみれば――まさか、二人で私がいない間に、いちゃいちゃと……!」

「いちゃついてなんて……」

 ふと言いかけ、間近な距離にいるフィアと目が合う――ああ、この距離感だと誤解されるなぁ……。

 思わず遠い目をしつつ、ため息をついてフィアに声をかける。

「フィア――とりあえず、誤解を解いてくれ」

「ん――私は、フィアンメッタ。今、私はリントと――」

 わずかに悩むように視線を泳がせ、告げる。


「秘密の、内緒話を――二人だけのイケない会話をしようと、していただけ」


 がびん、と音を立ててサラが固まった。僕は引きつり笑いを浮かべる。

「どうしてそういう言い方になるんだ?」

「だって、あまりおおっぴらにはできない話だし――後ろめたい」

「やっぱり、後ろめたいことをやろうとしていたんでしょおおおお!」

「あああ、もう、誤解だあああ!」


 その後、サラの誤解を解くのに一時間かかった。

 つーか、邪推するようなことは一切ないだろうて……。

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