09.ヒマリたち、高校を乗っ取る

 しばらく経ってから、あの男を連れて雪音が学校にやってくる。

 いくらタクシーだったとは言え、素性も知らない男を一緒に連れてきた雪音は素晴らしい人格の持ち主だった。ついでに、いろんなことに文句を言ってこなかったタクシーの運転手さんも大したもんだった。


「まったく、とんだ災難ね」

 そうして、ヒマリは雪音と共にこの知らない高校の廊下を歩く。今まで一度も来たことのないところなのに、なぜかその雰囲気はひどく懐かしかった。

 静かで、誰もいない廊下。30年あまりの歴史が積み重なってきた、様々な教室へとつながる通路。ヒマリもかつて、このような廊下を行き渡ったことがある。もう遥か昔のように思えるが、よく考えてみると、別にそんなに古い頃の話でもなかった。

「高校ってこんな感じか。中学とあまり変わらないね」

「そういや、ヒマリちゃんは中学までだったよね?」

「高校とか、よく知らないからね。中学と似たようなもんだろうけど……」

 雪音の話に、ヒマリは頷く。ヒマリは義務教育だけ果たしたため、高校とはあまり縁がなかった。それなのに、こんな状況になって初めて高校に来られるとは、なんとも皮肉な話である。

 まあ、時にはこんなのも悪くない。

 久しぶりにやってきた校舎を、ヒマリは思う存分味わった。


 あるくらい歩いてから、ヒマリはさっき良平に聞いたことを思い出す。

 その話によると、なんと、この校舎には未だに電気が入っているらしい。ついでに、水とかもまったく問題ない、ということだった。

「どういうこと?」

「それがですね。オレもよくわからないんですよ。もう壊れる建物のはずだから電気とかも使えないのが普通なのに、今までなんの問題もないんですよね。なんでだろ?」

 もちろん、ここの生徒である良平が知らないことをヒマリが知るわけがない。まあ、そのおかげで今はだいぶ助かっているわけだが。トイレも使えたし、手も洗ったし、とても素晴らしい。ヒマリたちは本当に運が良かった。

 ちなみに、未だにここ(校舎)に残っているあらゆるモノたちは、撤収(新校舎へと移動)の時忘れられたり、あまり重要じゃないからそのまま置かれたものだそうだった。これまた良平の話によると、「たぶん、勝手に使ったりしても怒られないと思われるっス」らしい。

 そもそも、30年も経った建物なんだし、いらないモノだって山のようにあったんだろう、とヒマリは考える。ヒマリも経験したからわかるが、掃除っていうのはものすごく面倒なことなのだ。


 そんなくだらないことをヒマリが考えていた時、ふと、少し遠くから人気がした。どこからどう見ても、ちっこい女の子たちがそこにいる。

 似たような仕草ではあるが、よく見るとあまり似ていないため姉妹ではなさそう。とはいえ、ひと目にはどう考えてもよく似ている、妙な二人組だった。似ているのはどうでもいいが、なんで服(薄いピンクのワンピースっぽい奴)もちょっと似ているのだろう。わざとなんだろうか。

 なぜだろう、あんまりよくない予感がする。ヒマリがそんなことを思っていた時だった。

「何しに来たの?」

「何がやりたいの?」

 いつの間にか近づいてきた女の子たちは、ヒマリを見上げてそう話しかける。似たような印象の女の子が似たようなことを喋っていると、ぶっちゃけ、まぎらわしいことこの上なかった。正直に言って、気が散らかる。

「怒った?」

「怒ったー?」

 そんなことを思っていると、女の子たちは楽しそうな顔で、ヒマリの周りをぐるぐる回る。ここまで来るとウザくてしょうがないが、ヒマリはなんとか我慢しようとする。暴力はダメだ。こんな状況で、暴力だけは振るっちゃダメだ。

 っていうか、この子たちはいったいどこから湧き出したのだろうか。ひと目で見ると、中学生くらい? ひょっとしたら、ヒマリたちのように潜り込んだだけかもしれない。あの振る舞いから考えると、間違ってもここの生徒ではなかった。

 あんたたちこそ、ここには何しに来たのよ。

 ヒマリはそんな苛立ちが漏れようとするのを、なんとか飲み込む。いっそう怒ってやろうか、とも思ったが、今はそんなところじゃなかった。こんなところで無駄に力を使うのはよくない。


「で、あれはいったい何だったの?!」

 女の子たちが騒ぎながら去っていくと、ヒマリは不機嫌な声で雪音にそう聞く。雪音はそんなヒマリを見るのが楽しいからか、こっちを見てニコニコと笑っていた。

「そうね、ここに住み着く妖精じゃないかしら」

「そんなわけあるか! だいたい、ここまで大きくてウザい妖精がどこにいる?!」

「それは失礼ね。わたしたちに比べるとまだまだ小さいんじゃない」

「いや、それじゃなくて、あの素性が知れないやつらは一体誰なのかー」

 さすがに妖精は言ってみただけ(普通の子供並みの背はあるため)だと思うが、なんであいつらがここ、壊される予定の校舎にいるのかがまったくわからない。近隣の小学生? さすがに中学生はないだろう、とヒマリは確信する。っていうか、むしろそうあって欲しかった。

 まあ、ともかく、今重要なのはそれじゃない。ヒマリたちの身の上のほうが遥かに重要だった。


 と思いながらヒマリたちが科学室へと戻ってくると、異常な光景が広がっていた。

 ヒマリはこの光景に覚え…というか、既視感があった。そもそも、どうしてヒマリたちはここまで「逃げて」来たか。あの男、羽月が「冴えない男」に入ってしまったから。そこまでならまだともかく、「声」すら変わっていたから。

 そう、目の前の「こいつ」のように。

「あの、これっていったい……」

 ヒマリはまるで夢でも見ているような気分で、その「冴えない男」を再びじっと見つめた。

 やっぱり、ヒマリの目に狂いはなかった。胸は膨らんでいるし、声は高いし、これは間違いなく「女」だ。ヒマリにももう、わけがわからない。


「……何、この変態シチュエーション?」

 状況を把握して、最初にヒマリが口にしたのは、まずそれだった。

 冗談じゃない。この事件に巻き込まれた人たちがこの男の中に入る、まではまだいいとしよう。で、男性が入ったら男の体が女になる?いったいなんのつもり?!

 当たり前だが、刹那も同じ顔をしていた。沙絵はあまりそんなのは気にしないタイプなのか、「まだ世界にはこんな不思議なことがあったんですね!」とのんきに感嘆してる。雪音は(自分がその輪に入らないから他人ごとだと思っているからか)むしろ、この状況を楽しんでいるような雰囲気だった。

 たぶん、さっき羽月が「この中に入った」時にも同じ風景が現れていたのだろう。それを今、ヒマリが初めて目の前にしただけで。

「いや、ですから、今はオレの方が……」

 と、良平(が入った冴えない男…なのか?)が戸惑っていた時に、またヒマリたちの後ろから拍手が聞こえてくる。その音には、間違いなく聞き覚えがあった。

「こいつ!」

と言いながらヒマリが振り返ると、そこには。

「いや、困ったよ。さすがの俺も、ああいう経験はまったく初めてでね」

 なんかを言いながらこっちを見ている、あの胡散臭い男、羽月が立っていた。やっぱり、雪音のところで見たあの光景は夢じゃなかったんだ。現実なんだ、あれ。


 この異常なシチュエーションにヒマリが額に手を当てていた時、さらなる災いが襲ってきた。そう、あのちっこい奴らである。

「なになに? 面白そう!」

「おお、なんかカオスになってるよ?」

「カオス? すごい! カオスだって!!」

「コントン! コントン!!」

 その声が聞こえてきた途端、ヒマリはめまいがするのを感じる。今度はお前らなのか。ついに来ちゃったのか。まったく、この世には神も何もいない。

 すでにヒマリたちのいる理科室は、ある意味混沌に化けていた。「理科室」なのにカオスとはなんてことだ。これでいいのか、これで。


 ヒマリがぼうっとしてると、今度は目の前の冴えない男が「元に戻った」。声とか、雰囲気とかか、いつの間にか元に戻っている。

 だが、その「中身」はまた違っていた。それも、ヒマリにとっては最悪の意味で。

「うわ、これ何? あたし、この人になってるよ? すごい!!」

「すごいすごい! どうやったの? 手品?!」

 そう、あのうるさい二人組の中の一人が「冴えない男」になっていたのだった。ついでに、残りの一人はものすごく驚いて…というか、めっちゃ楽しんでいた。はっきり言って、あいつらがこんなので困るわけがない。むしろ困るのは、この痴態を見せつけられるヒマリの方だ(大きな男があんなふうに騒ぐ風景は、はっきり言って狂気の沙汰だった)。

 つまり、これが意味するのは、たった一つ、「やばいことになった」である。

 たった一日で、いや、半日くらいで、なんでこんなことになったのか、ヒマリは到底理解できなかった。刹那はヒマリと同じような顔をしており、沙絵は「すごい! すごいです。ここまで仲間が増えるとは!」と感動し、良平は「もういいっス…」と現実逃避していた。

 ああ、これをどうしてくれよう。ヒマリは困った。「困る」という言葉にはとうてい足りないくらい、猛烈に困っていた。


 相変わらず、雪音がニコニコしながらみんなを眺めていた時に、ヒマリはこう宣言する。

「……みんな、ちょっとこっち来い」

 もちろん、その理由は言うまでもない。このぶっ飛んだ状況を、どうにかしないといけないからだ。

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