05.事件が止まらない
この現実から目をそらすため、ヒマリはちょっと家を出てまわりを歩く。その場しのぎだというのは自分でもわかっているが、こうてもしないと、ヒマリは頭がパンクしそうだった。
っていうか、今、いったいどうなっているんだ。そう慌てていたヒマリは、正面から歩いてきた誰かとぶつかるそうになる。
「あ、すみません……」
と謝ろうとしたところ、ヒマリは自分を見上げる女の子の鋭い目と視線が合った。どこかぶっきらぼうで、あまり好意的な態度ではない女の子だった。そりゃ、ぶつかりそうになった相手に好意的な視線をもらえないのは当たり前である。紫を思い浮かべさせる、ポニーテールの長い髪が印象的だった。歳は……ざっと見て、高校生くらいなんだろうか。
「……別に」
ヒマリと目が合うと、女の子はそう言いながら過ぎ去ろうとする。かなり急いでいるようだったか、どうなのかはわからない。そもそも、初めて出会った女の子の事情なんて、ヒマリが知るわけなかった。
その瞬間、ヒマリは意識が飛ぶことを感じる。
「な、何?」
意識が戻ったら、ヒマリはなんと、自分の部屋に瞬間移動していた。なにを言っているのか自分でもわからないが、ほんとのことだった。それに、問題はそれだけじゃない。
「え、えっと、ヒマリさんですよね?」
周りを見ると、今までいなくなっていたお嬢さま、沙絵が目を丸くしていた。ひょっとして、と自分の体を見てみると、あまり信じたくない光景が目に入ってきた。
なんと、ヒマリがさっきのあの、意識のなかった冴えない男になっていたのである。
冗談じゃない。これはほんと、「冗談」なんかじゃなかった。
……いったいこれはどういうことなんだ。
ヒマリが初めに思ったことはそれだった。いや、実感はある。あるのだが、その「実感がある」のがあまりにも衝撃的で、どんな表情をすればいいのかすらわからない。
背は伸びた(と言うか、体ごと変わっているため当たり前だ)。試しに出してみた声はすごく低かった。なんか体はゴツくなってるし、それに、それに、その……ともかくそんな感じだった。別に男に関して無知であるわけでもないのに、こんな状況になってみるとものすごくこそばゆい……というか恥ずかしい。
なんだこれ。まさにそれだった。自分じゃなく他の人間になっている、というのは考えていたもの以上に変な経験である。こんなこと、誰も経験できない。ヒマリだって、こんなの経験できると思ったことは一度もなかった。
そんなふうに一人で照れていたヒマリは、ふとさっきの女の子を思い出す。目が離れてほぼすぐの出来事だったから、あの子も自分が突然「消えた」のに気づいているはずだ。
ヒマリがさっきまで自分のいたところまで駆け出してみると、そこにはまるで、魂が抜けたような顔でぼつんと立っているあの女の子がいた。どうやらヒマリがいきなりいなくなったことに気づき、ずっとそこでぼうっとしていたらしい。
そりゃ、おかしな話じゃない。もしヒマリだったとしても、さっきまですぐとなりにいた
二人の視線が、ぴったりと合う。
「……あんたって、ひょっとして」
ヒマリと女の子は、しばらく何も話さない。というか、話す必要がない。全部、わかっているからだ。ついでに、今の状況が「異常」であることも、お互い知っている。
そんな感じで二人が何も言わずにぼうっと佇んでいると、急にキュルルルーとお腹のなく音が聞こえてきた。どうやら、それは目の前の女の子のものらしい。
「で、うちに来る?」
こうなった以上仕方ないな、と思いながら、ヒマリはそう話しかける。決して本意ではないという顔をしながらも、女の子はうなずいた。
こうして、今、ヒマリの家には沙絵と女の子、そしてヒマリ……と冴えない男の四人(?)が集まった。
もう暗くなる頃なのに、この女の子は晩ごはんもとってないらしく、三人で夕ご飯を取る。おかずは冷蔵庫にあった卵を使った目玉焼きくらいだったが、沙絵は「こんな目玉焼き、初めて食べます!!」と激しく喜ぶし、女の子は何も喋らずにただごはんを食べる。
ご飯の準備をしてたらいつの間にか元に戻っていた(謎の男は、まるでぬいぐるみでもあるようにヒマリんちのソファーに座らされていた)ため、ヒマリも自分の姿でご飯を食べた。雪音じゃない人、それも女の子二人といっしょに自分の部屋でご飯を取るのはずいぶん久しぶりだった。
「で、なんでこういうことになってるわけ?」
そんなふうに食事をとってから、女の子はヒマリたちをじっと睨んでくる。こうなった以上、仕方ないと思ったヒマリは「今までの出来事」を女の子に説明する。自分で話しながらも「そんなバカな」と思ってしまう出来事だった。
「とんだ災難ね」
だが、自分もそれを「経験」しているからか、女の子は呆れた顔ではあったけれど、そう受け入れてくれた。というより、「それしか今の状況を説明できない」とわかっているから、しぶしぶ受け入れた、と思われた。
当たり前だが、「今までの出来事」を話したということは、ヒマリの事情、つまり「吸血鬼」についても説明したということになる。これを話しておかないと、後に面倒なことになりそうだったからだ。
ともかくヒマリがそれを話したら。
「ほんとですか? 吸血鬼さんが実際にいらっしゃるなんて、素敵です!!」
沙絵は(予想はしていたものの)ものすごく興奮した口調でそう感動してきたし、女の子は「もう勘弁してくれない?」という顔でヒマリをじっと見つめている。
まあ、そうだろうと思っていた。自分で言いながらも、これがぶっ飛んだ話だというのはよくわかっているため、ヒマリはものすごくモヤモヤした気分だった。この状況を理不尽だと思っているのはヒマリだって同じなのに。
そういや、ヒマリにはまた、この女の子に聞くべきことが残っていた。
「で、そっちは? こうなった以上、お互いの名前くらいは知ったほうがいいんじゃない?」
「……
女の子も仕方がないと思ったからか、ヒマリから目をそらし、そう名乗る。こう話し合うのも本意ではないという、愛想ひとつない口調だった。
あ、これは絶対にあたしと合わないやつだ。
その刹那という女の子を見て、ヒマリは確信する。ヒマリもそこそこ生きてきたため(50年も生きてないが)、自分と相性が合わない人はすぐわかった。
「これで仲間が増えましたね!」
沙絵はそんなヒマリたちの心も知らず、一人でそう喜ぶ。このお嬢は平和でいいな、ヒマリは心からそう思った。
「で、あんたは何をそこまで急いでいたわけ?」
「……家出だけど」
ともかくヒマリが聞くと、刹那は相変わらずぶっきらぼうな表情で、そんなことを口にする。
「つまり、家族となんかトラブルがあって、あてもなくこの街にやってきた、ということ?」
ヒマリがそう聞くと、刹那は頷く。それを見たヒマリは、
「ま、しょうがないか。あんたにも事情っていうのがあるし」
「あ、そ」
ヒマリはそれ以上、何も聞かない。もっと質問攻めにされると思っていたのか、刹那は目を丸くするが、すぐに興味なさげな顔をした。
そうして説明もすませたヒマリが、ようやく楽になろうとしていた時だった。
「な、何? あいつ、いったいどこいった?!」
急に目の前から、刹那が消えてしまう。悪い予感がしたヒマリは、すぐ後ろにあるソファーに振り向いた。そしたら、実に予想通りの光景が目に入ってくる。
さっきまではヒマリだった冴えない男が、「……どういうこと?」という眼差しでヒマリたちを見ていた。
ヒマリは黙って、となりにいる沙絵と視線を交わした。沙絵も状況がわかったのか、「大変なことになりました」という顔でヒマリをじっと見ている。
ひょっとしたらこの事件は、ヒマリの考えてよりももっと深刻なやつかもしれない。
ここまで見たヒマリは、顔が白くなる。当たり前だった。こんなことを目の前にしてるのに、慌てないわけがない。
「ちょ、ちょっと、あんた、聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
と、ヒマリは思わず沙絵の肩を強くつかむ。ヒマリの引きつった表情がわからないのか、沙絵は能天気にそんなことを聞いてきた。
「あんた、自分のいる屋敷では、夏に雪が降ったり、夜に幽霊が出てきたり、とか言ったんでしょ?」
「ええ、たしかにそうだったんです」
「じゃ、あんたの話によると、今あんたはここにいるから、その、ここにも夏に雪が降ったり、幽霊が現れたり、そんな……」
「えっと、そうかもしれません」
ヒマリが震える声でそう聞くと、沙絵の、あまり聞きたくなかった残酷な答えが戻ってきた。当人の沙絵はいつものような、不思議そうな顔でヒマリを見つめている。
ああ、この世の中は地獄だった。なんてことだろう。あの冴えない男になっている刹那も、状況を把握したのか、ものすごく渋い……というか固まった顔をしている。あいつのことは好きになれないが、今だけは、ヒマリも刹那と同じ気持ちだった。
しばらく、ヒマリは黙り込んだ。どれくらい時間が経ったのだろう。少し考えてから、ヒマリは口を開く。何か、覚悟を決めたような顔だった。
「ちょっと待ってて。信じられるやつと話してくるから」
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