第42話 思い出すことも忘れることもできない片想いだったから

 しばらく経って、恵一が落ち着いてきた。平静を取り戻した彼は、しっかりとした視線を僕に向けて聞いてきた。

「もう、全部ケリをつけようと思うんだ……。陽平はさ……及川のこと、どう思っているんだ?」

 全部、と言うからには、勿論ここもなんだろう。恵一は及川さんの話を振る。

「わからない……わからないよ。他の女の子と違って……そんなに一緒にいて気になるとか、そういうのはないけど……。それがどうしてなのか、僕には……」

「……多分、な。それ、わかったよ。俺」

 家の塀に並んでよしかかって座る彼は、空を見上げつつ答えた。

「え……?」

「わかった。俺、初めから認識を間違えていたんだ。問題は、意外と単純だったんだ」

 単純、だった……?

「陽平、もう記憶は戻っているんだよな?」

「う、うん……」

 この間の及川さんの話を聞いて、完全に思い出した。

「小六のとき、陽平は及川のこと、どう思っていた?」

「唯一の、友達……?」

「そこに、恋心は一切混ざっていなかったか?」

 僕は、その問いをきいて、恵一が言わんとすることを察した。

「……陽平は、真面目だからさ。だから、きっと」

 まるで、僕じゃない誰かに向けて言うような口振りで、恵一は言った。

「小六のときに好きになった及川のことを、諦めることができなかった。言ってみれば、『僕、好きな人いるからごめん』状態。そんな思いが残っていたから、陽平は誰とも付き合うことができなかった。……真面目で、一途過ぎたんだ。陽平は。でも、そもそも及川のことを覚えていないから、及川のことが好きだったという事実を思い出せないし、忘れることもできない。だからずっとこのままだった。……つまり、陽平は恋ができないのではなく、単に及川が好きだから他の女子を好きになることができなかった」

 頬に、心地よい風が吹きつける。そして、その風は、一人の泣き声を僕と恵一に運んできた。

「……そうだったんだよ、及川」

「お、及川さん……?」

 僕は立ち上がって泣き声の方を向く。

「もういいよ、及川。出てきても。俺が話したいことは大体話し終わったから……」

 その一言を聞いて、塀の陰から、涙で小さな顔を濡らした及川さんが出てきた。

「そうだったの……? 陽平君」

 その姿に、僕はドキッとする。

 だって、そうだろう。上目遣いで僕を見つめながら、小さな声でそんなこと言われたら、しかも、それが泣き顔だったりしたら。

 そんなの、反則だ。

 無言のまま、僕と及川さんの間に時間が流れる。恵一は、変わらず塀に寄りかかって干渉しようとはしてこない。

「……嬉しかったんだ。事故のとき、助けるために手を差し伸べてくれたこと。本当に。ずっと『ありがとう』って言いたかった。自分も危ない目に遭うってわかってたはずなのに、それでも助けようとしてくれたことが、何よりも嬉しかった。……でも、ね。きっと優しい陽平君のことだから、『僕が代わりに』とか『一緒に』とか思っているんだろうなあって。考えてた。……まさか、記憶が無くなっているとは、思わなかった。もう、幽霊になった私はパニックだよ……。結局、とりあえず普通に高校生活を送ることにしたけど……。戸塚君には、助けられちゃった。何年も人と話さずにいるとさ、もう関わり方忘れちゃって……」

「別に……俺は……ただ……」

「陽平君の親友が……戸塚君でよかった……って。じゃなかったら、そうでなかったら……」

 話し始めたときから、涙は流れていた。でも、今、この瞬間流しているこの涙は、決してマイナスの涙ではないはずだ。それは、恵一への感謝と、ようやく果たされた心残りのようなものへの別れと。嬉しさと。そういったものでできていたと思う。

 僕は、もう一度、涙を流しながら気持ちを吐露し続けている及川さんの方を向き直した。

「……最初はね、どれくらいの距離感でいればいいのかわからなくて、ずっと敬語使ってたり……とにかく慎重になっていて……でも……記憶を失くした高崎君も、やっぱり変わらず優しくて……一緒に森のなかで先生待ってくれたり……しつこい男の人からも助けてくれたし……もう、色々ありすぎて……これで好きにならない方がどうかしてるよ……」

 そんなことも、あったな……。

「茜が陽平君のこと好きなのは、知っていた。だから……私はただの友達でよかったはずだった。六年生のときと、同じような、単なる友達で。そして、そのうちお礼を言えればそれでいいって。思っていた。でも、ね……。守りたい約束、あったから……それは叶えたくて、そう思うと、どんどん、陽平君のことが……」

 誰かにこんなにも想われるってことが、今まであったんだなと、ふと思った。でも、ようやく。

 僕は、何の負い目もなくその気持ちと向かい合える。

「そうなったらさ……もう、どうしようもなくなっちゃってさ……だから、学校祭で、あんなこと……」

 及川さんは、タンポポの花弁のように可憐な涙を、僕に向けてこう囁いた。

「高崎陽平君……小学校のときから……私は……ずっと……あなたのことが……」

 ひとひらの、間を置いて。

「──好きでした」

 ――不思議な感覚だった。今までこういうときに感じていた恐怖とは違う、何か温かい……そのようなものを感じていた。

「僕は……」

 ふと、今まで僕が告白を断って来た女の子の顔がよぎる。

 向き合えずに、逃げてきたその気持ちに、僕はどう謝ればいいのだろうか。

 いまさら謝ったところで、相手の気持ちを逆撫でするだけかもしれない。

 でも、心の中のモノローグだけでも、せめて。謝らせてほしい。

 ちゃんと好意に向き合わずに断って、ごめんなさい。

「及川さんのこと……」

 これで、決着だ。これで、サヨナラだ。

「好き……です」

 その言葉を伝えた瞬間。温かい気持ちであふれていっぱいになるような感覚に陥った。

 彼女は、また僕を変えてくれた。

 お互いの気持ちを伝えたことで、向かい合う僕と及川さんはポッと頬を熱くしてしまう。

「あの……いい雰囲気になるのは勝手にどうぞって感じなんだけど……。あれかな、ここからキスとかするのかな。なら、俺は今すぐ帰るけど」

「きっ、キスってけ、恵一……ちょっ」

「ととと戸塚君いきなり何言っているんですか?」

 が、それも束の間、傍観者恵一の一言により僕も及川さんもオーバーヒートしてしまったみたいで、慌てて互いの距離を取った。

「あっ、そうだ。明日の豊平川の花火大会、どうすんだ? 一応、茜や絵見とは『五人』で行こうかーって話はしているけど……まあ、適当に口添えしてやってもいいけど?」

 もう完全に帰りますよという体勢を取りつつ恵一は僕らにちょっと悪戯っぽい顔をして話す。

「……ど、どうする……? 陽平君……?」

「え、ぼ、僕は……えっと……」

 少しの間、逡巡したのち、及川さんが提案する。

「わ、私は……『二人』で、見に行きたい、かな……」

 しおらしく言われてしまうと……拒否しようがない、というか……。少し俯き気味に両手の人差し指をちょんちょんとしつつ自信なさげに行きたいと言われてしまうと、ね……。

「わ、わかった……よ」

 僕がそう答えると、及川さんはそっと咲く花のように穏やかな笑みを浮かべ、

「ありがとう、陽平君」

 と言った。様子を見ていた恵一は満足そうな顔をしつつ、

「じゃあ、明日俺のほうからどうにかしておくから、あとは二人で仲良くしてな」

 そのままどこかへ歩いていった。

「……じゃ、じゃあ明日。……明日の夜七時に、四葉公園で待ち合わせに……しよう?」

 取り残された及川さんは照れたようにそう言って、僕の顔を窺う。

「お、おっけーです……」

「それじゃあ、私も……そろそろ帰りますね。ま、また明日ね、陽平君……」

 小さく顔の高さで手を振って、彼女も僕の家を後にする。

「うん、また明日。及川さん」

 見上げる空はもう陽が沈み切っていて、明るく照らす月が、僕にはやけに大きく見えた。

 明日が、ちょっとだけ楽しみになった。

 だからか、家に戻って食べかけだったカップラーメンが物凄く伸びていても、あまり気にすることはなかった。……冷めていたから美味しいとは思わなかったけど。


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