第32話 「大切な」友達
六時間目の時間にあった委員会も終わり、俺は帰りのホームルームのため教室に戻る。委員会の内容は、ちっとも頭に入らなかった。
完全にお化け屋敷と化した一年七組の教室は、羽追先生が簡単に連絡事項を少し大きな声で伝達してホームルームが行われていた。
……いやいや、全員揃ってないのにホームルーム始めますか……。
場当たり的にそう思いつつも、まあどうでもいいかと開き直り、俺はスマホを手にしてある人物にラインを送る。
放課後、五時過ぎくらいに教室で待っていて欲しい。話したいことがある。
文面だけ見ればさながら告白のための呼び出しだ。告白と言えば告白だけれども。
「じゃあ、明日もいつも通りの時間に登校してください、明日からの学校祭、楽しんで行きましょうね。じゃあ、今日はこれで終わりです、気を付けて帰って下さーい」
先生のその一言で、ホームルームは終わり、放課後になった。帰る生徒、部活に行く生徒、様々いるが、俺は教室の中央、四方を机と暗幕で囲って誰も通らない当日の荷物置き場になる予定の場所に座り込み、白く点灯している蛍光灯を眺めていた。
教室には次第に人がいなくなっていき、複数あった話し声も気がついたらなくなっていた。誰もいなくなったことを確認し、俺は一度立ち上がり教室の電気を消した。
真っ暗な上カーテンも閉め切って光が入らないようにしているので、慣れるまで何も見えない。スマホの灯りを頼りに、また元にいた場所に戻り、約束の時間になるのを待つ。
返事は「わかりました」の一言。しかし、それだけで十分だった。今ラインであれこれ話してもちっとも理解できる気がしない。
……何を話そう。何を言えばいいのだろうか。
ごめんなさい? 申し訳なかった? 何様だよ。今更謝ったって、及川の事故が無かったことにはならない。
謝ることすら、許されないことをしたんだぞ、俺は。
体育座りをして待つこの時間、ひたすら俺は自分のことを責めていた。暇さえあれば自分の心を痛めつけていた。
そうでもしないと、生きていちゃ、いけない気がしてしまうから。
約束の五時になった。俺は今いる場所から立ち上がり、お化け屋敷のなかで一番広いスペースが取られている教室中心へと移動する。
五時五分ごろ。教室のドアが開く音がした。少し間を置いて、電気のスイッチが押され真っ暗だった視界が白く光り出す。
靴が床を叩く音が静かに響き、俺が呼び出した相手──及川遥香──は少し不思議そうにして俺を見つけて、言った。
「どうしたんですか……? 戸塚君……いきなり話したいことがあるって……。しかも、電気消して待ってたんですか?」
「……悪い、急に。でも、どうしても今話さないといけないことだったから」
振り絞るように、声を放つ。わからなくても、合わせる顔がなくても、それでも俺は、やらないといけないんだ。
彼女は俺の目の前に立ち、話の続きを待っている。
「…………」
ふと、すぐそばにいる及川の姿を見て思ってしまう。
何一つ変わらない。って。
だって、そうだろう? 今ここに立っている及川遥香は、もう死んでいるはずなのだから。
「あ、あの……戸塚君?」
なかなか話を切り出さない俺を不自然に感じたか、唇をギュッと噛み締め彼女は首を傾けた。
「三年前の……三月三十日」
口から出た言葉は、及川の表情を凍りつかせるのには十分だった。
「……なあ、及川。君は……一体、何者なんだ?」
「……ははは、気づいちゃいました、か……。さすが、戸塚君ですね……。高崎君の言うように、周りに気を遣う性格なだけ、ありますね……」
彼女は困ったように眉を下げ、力なく笑みを浮かべる。
「いつか……気づかれちゃうとは思ってましたけど……そうです。私は、三年前の三月三十日に、車に轢かれて死んでます。つまり、今ここにいるのは私の幽霊って、ところですかね」
半分諦めも入っているような、そんな口調で彼女は俺に説明する。
やっぱり、幽霊、なのか。
「……じゃあ、旭川からこっちに引っ越してきたっていうのも、嘘?」
「はい。……私は生まれも育ちも札幌です。今も、実家にこっそり、寝泊まりしてます。どうやら私が生きているときに会ったことのある人には私の姿は見えないらしいので……」
「……陽平と及川は、そのときから、もう知り合っていたのか?」
その問いについて答えるとき、及川は一瞬目を細め、右手で瞳を拭った。
「知り合っていた、とかそんなレベルじゃないです。……大切な、友達と言っても過言ではありませんでした」
「……そう、か」
それなのに、陽平は及川のことを覚えていない、と。やっぱり、事故が原因なのか。改めて自分のしでかしたことに頭を抱えたくなる。
「放課後の一時間とか、それくらいしか話す機会はありませんでした。でも、当時私の趣味についてあそこまで話が合う人はいなくて」
……そういえば、陽平と同じで本読むの好きって言っていたな。
「素の私でいられる、好きなことについて思い切り話せる陽平君……高崎君の存在は、大きかったんです」
「ようへい、くんね……」
言いかけた及川の陽平を呼ぶ二人称が、彼と彼女の距離感を示すには充分すぎる代物だった。
「……私のカバンについてる、キーホルダー、……あれ、私が死ぬ直前に高崎君が一緒に遊びに行ったときにゲームセンターで取ってくれたものなんです。きっと高崎君は覚えていないと思いますが」
「……ああ、あの鳥みたいなキャラクターがついた?」
「はい。……まあ、私が死ぬ原因にもなったキーホルダーなんですけど、ね」
……ひとまず生前の及川と陽平の関係について話を聞くのはもういいだろう。かなり仲が良かったんだ。
「一番、聞きたいことなんだけどさ……。どうして、幽霊になってるんだ……?」
及川は、教室に花でも咲かせたかのように穏やかな笑みを浮かべ、こう言ったんだ。
「守りたい、約束が残っているから、です」
その笑顔は、いつも見ている及川の素顔の数倍、淡く映った。
「きっと、それを叶えるために、私は今こうやって高校生をやっているんだと思います」
「……それは、陽平も関わるものなのか?」
「……はい。そうです」
俺は、彼女のその芯の通った態度に、押し潰されそうになっていた。
言えない。言えるわけがない。及川が死んだのは、俺のせいだなんて、言えるはずがない。
「戸塚君は、私が幽霊って、あっさり信じているみたいですけど……疑わないんですか?」
ある種当たり前ともとれる疑問を、及川は俺にぶつける。そりゃあそうか。自分は幽霊です、はいそうですかなんてスムーズに話が進むなんて、及川自身うますぎる話だと思うよな。
俺の場合、信じる信じないの次元ではないんだ。
加害者になってしまっている俺は、それを信じるのは当然として、どうそれを、償うか……いや、もしかしたらそんなこと許されないのかもしれないけど。でも、とにかく。
俺は信じないわけにはいかないんだ。
「……し、新聞記事、見ちゃってるからさ、事実としてもう受け入れているというか……だから、もう予想はしていたんだ」
当たり障りのない返事をする。
「そうなんですね……」
「あのさ、野暮なこと、聞くかもしれないけどさ」
「はい」
「……その約束、叶ったら及川は……消えたり、するのか?」
「どう、なんでしょう? ……多分、心残りが無くなった、っていうことで戸塚君の言う通り消えてしまうんじゃないかとは思いますけど……」
俺は、俯きつつ、唾を呑み込む。
及川はいずれ陽平の「目の前からいなくなる」。これが確定してしまった今。
これ以上及川と陽平を関わらせていいのか? 万が一、陽平にとって及川が特別な存在になってから、及川が消えてしまったら。陽平はどうなる?
……この五角形を維持する方法は、俺に残されているのだろうか?
「……そ、そっか……」
「あの、戸塚君……このことは、他の人には……」
「ああ、言わない。秘密にする」
誰にも言えない。こんなこと。
及川の秘密は、即ち俺の十字架で。ああ、きっと。
俺は、及川の願いも、叶えるために奮闘しないといけないのかな、それはできるのかなってぼんやりとチカチカと点滅しかけている教室の蛍光灯を眺めながら思ったんだ。
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