第11話 雨ふりしきる時間

 お昼も終わると、今度は班で公園内を散策する、という段取りだそうだ。

「しおりに書いてある公園内の各スポットを回って、そこにいる先生からスタンプを貰って下さい。四時までに全部集められた班にはささやかながら景品も用意しているみたいなんで、頑張って下さいね。最終の帰館時間は四時半です。それまでには必ず、スタンプが集まってなくても帰ってきてくださいね」

 羽追先生の説明を聞き、班ごとに公園内へと歩き出した。

 まあ、スポット、と言っても。宿泊棟がある山の家付近は、キャンプ場などがあるいわゆる一般向けの公園とは違い、それほど娯楽に富んだものはない。ハイキングコースはあるけど。

「スポット……って言ったところでねえ……せいぜい塔とかポツンとある教室くらいしか……ねえ」

 茜も同じことを思ったみたいだ。やっぱり、滝野に研修に来たことがある札幌の高校生は鍛えられている。

「……まあ、先生たちもそんなのは百も承知でしょうね。ハイキングをみんなで楽しんでっていうつもりだと思うけど」

「絵見の言う通りだろうな。時間内に戻ってくればいいだけの話だし、気負わず行こう」

 ……と、まあ及川さん以外全員、のんびりしようという意見で落ち着いた。及川さんは旭川から来ているから、滝野はきっと初めてなんだろう。勝手もわからず、とりあえず僕らの言うことに頷いている、そんな感じだった。

 午前中は雲の間から太陽が覗いていたけど、正午を回って午後となった今、少しずつその雲間がなくなり、薄暗くなっていった。

 こうなってしまうと四月とはいえ寒く感じてもしまう。

「さっきカレー食べているときはいい感じに体がポカポカしていたけど、寒くなってきちゃったね」

「天気予報だと、雨も降るかもって言ってたしな。一応、五時まではもつらしいけど」

 茜が「寒い」と口にしたことで、少し本当に冷えてきた。

「はあ」

 両手に息を吐きつつこすり合わせる。焼石に水だけど。っていうか焼石があるなら近くに置いて欲しいけど。

「ねえ、及川さんって何か好きなこととかってある?」

 そのまんまの意味で冷えた空気を温めるかのように、恵一が一番後ろを歩く及川さんに話を振った。

「え、えっと……」

「なんか、趣味みたいなのって、ない?」

「……そ、そうですね……あまり趣味らしい趣味はないんですけど……強いて言うなら、本を読んだり、映画見たりとか……ですね」

「へえ、なんだ、陽平と趣味合いそうだな」

「陽平は本の虫だからねえ」

「そ、そうなんですね……」

「うん。陽平の部屋、本棚でいっぱいだし、たくさん本あるよー」

「……なんで僕のことみんな話したがるかなあ……」

 みんな僕のこと知りすぎじゃない……?

 逆に怖くもなったり。


「はい。じゃあここが最後のポイントだね。四時半までには施設に戻れるようなペースで帰って下さい」

 四つ目のポイントに到着。その場にいた先生からスタンプをもらい、施設へと足取りを進め始める。

 砂利道を五人連なって歩いていく。てくてくと歩みを進めていく。けど。

「あっ」

 一番後ろ歩く及川さんの、そんな声が響く。

 転がっていた小石か何かに躓いたのだろうか、及川さんは砂利道の上に両膝をつけて倒れていた。

「大丈夫か?」

 それを見て恵一がすぐに駆け寄る。

 痛そうに顔を歪ませる彼女は、すりむいたであろう右ひざを両手で抑えている。白い手の隙間から、ジワリと赤い色が広がっていた。

「擦りむいてるな……とりあえず止血しないと」

 恵一は背負っていたバッグを下ろし、ガサゴソと中身を探る。そこから無地のタオルを取り出し、出血している膝を押さえ始めた。

「あと、どこか痛いところ、あるか?」

「……えっと……その……」

 彼女は立ち上がろうとするも、左足に力が入らないようで、またしゃがみ込んでしまう。

「ああ、無理しなくていい」

 そう言いつつ、恵一は外れたタオルを右膝に当てる。

「左足、痛いんだな?」

「……は、はい……」

「歩けそう……ではないよな、立ち上がれないんだから」

 うーんと額に手を当てて考え始める恵一。茜と絵見も及川さんの側にしゃがんで「大丈夫?」と様子を見ている。

「時間も時間だし……でも、及川に無理させるわけにもいかないし……仕方ない」

 腕時計をチラッと確認したクラス委員兼班長は、こう告げた。

「陽平。及川とここに残って。俺と茜、絵見は先に施設に戻って先生に事情を話す。さすがに女子をこんな山のなかに残すわけにはいかないし、生憎女子を背負って帰れるほど俺頑丈でもないし……別に他意はないよ。すぐに俺が先生をここに連れてどうにかしてもらうから、それでいいか?」

 極めて冷静な判断だった、と僕は思った。それに、中学からの友達の言うことに、反対する気ははなからなかった。

「僕はいいよ、残る。及川さんも、それでいい?」

「……で、でもそれだと高崎君に迷惑が……」

「いいっていいって。及川さん一人残して行くわけにはいかないし」

 ……まあ、別な意味で少し不安はあるけど。仕方ない。

「おし、じゃあ決まりだな。タオルとかその他諸々必要そうなものは置いてく。すぐ、戻って来るから待っててくれよ、及川、陽平」

「オッケ―、恵一」

「ご、ごめんね陽平、あとお願い」

「頼んだよ、陽平」

 茜と絵見にも声を掛けられ、三人は先に施設へと向かっていった。やがてその背中は段々と小さくなり、そして、やがて生い茂る木々だけが視界に残った。

「……なんか、今日、及川さんと二人になること多いね」

 朝といい、昼といい、今といい。まあ、今のこの状況は好ましい状況ではないけど。

「……ご、ごめんなさい……ドジしたばっかりに、高崎君に迷惑かけて……」

 彼女は震える声で、そう謝る。体育座りをして、顔をふくらはぎのあたりに埋める。

「別にいいよ、仕方ないことだから」

 それからというもの、風が枝葉を揺らす音だけが僕らの間に流れ続けた。他の班の人たちも僕らのいるところを通過はしなかったから、ずっと無言。

「……血、止まった?」

 僕は彼女の膝を押さえていたタオルをめくる。

「止まってるね、なら大丈夫か……」

 恵一が置いていったビニール袋に今しがためくったタオルを入れ、袋の口を縛る。

「……ん?」

 ちょうど、その頃だった。

 ビニール袋を、一滴の水が叩いたのは。

 時刻は午後四時五十三分。予報よりも少し早い時間帯から、雨は降り始めた。


 こんなことなら、横着せずに傘を持ってくればよかった。及川さんも傘は持ってきていなかった。

「どうしようかな……」

 恵一の置いていったものにも、さすがに傘はなかった。

 僕が悩んでいる間にも、刻々と前は強くなっていく。

 チラリと横を一瞥。相変わらず及川さんは俯いたまま。雨を何も抵抗せずにただただ受け続けている。

 さすがに女の子を雨にさらし続けるわけにもいかないし……。

 僕は自分のバッグのなかから一枚上着を取り出した。薄手のものだけど、ないよりはましだろう。

 僕はその上着を彼女の体を覆うようにそっとかける。

「……え……そ、その……」

 その行動に驚いたのか、及川さんは久しぶりに顔を上げて、僕のほうを向く。

「そのままだと風邪ひいちゃうから、いいよ、使って」

「で、でも……」

「怪我している女の子を雨ざらしにするわけにいかないし」

「……あ、ありがとうございます……」

 雨が地面を叩く音が彼女の声をかき消す、それくらいには雨脚が激しくなってきた。

 辺りには水たまりもできてきている。

 恵一……なかなか来ないな……。

 段々と服が降り続ける雨を吸って重たくなるなか、僕と及川さんはひたすらじっと恵一と先生の到着を待っていた。

「……あ、あの……高崎君、大丈夫……ですか?」

 一体どれだけ時間が経っただろうか。僕は隣に座っている及川さんの一言で、ハッと意識を覚ました。……え? 覚ました……?

 僕、今何してた……? もしかして……寝てた……?

「……高崎君?」

 いつの間にか、体ひとつ分空いていた僕と及川さんの距離は、返事のない僕を心配した彼女が身を寄せ、こぶしひとつ分、それくらいになっていた。

 ──ま、まずい。

「だっ、大丈夫、大丈夫だよっ」

 僕は慌てて彼女にそう知らせ、近づいた分の距離をまた離す。

 体を動かすために地面につけた右手は、泥だらけになった。その右手をじっと見つめながら、

「……僕は平気だから、大丈夫、及川さん」

 口では大丈夫、と言うものの自信はなかった。かれこれ一時間くらいは雨に打たれ続けているし。スマホは施設に置いてきてしまったから、恵一と連絡を取ることはできない。

 何もかも状況は悪いんだよな……。

 及川さんは僕が渡した上着が効いて、まだそんなに酷いことにはなっていない。でもモロに雨を喰らっている僕は体が冷えてきている。

 そして、未だ桜の報せが届かない札幌の四月の夜。気温もどんどん下がっていく。

 ……これ、僕死なないよね……? 大丈夫だよね……?

 少なからず今は問題ない。動けたから。

 でも、この絶望的な状況をさらに絶望させる音が響いた。

 一瞬、視界が光ったのちに、灰色の空を二つに切り裂くように強烈な音がしたんだ。

「……マジかい」

 服と同じようにダボダボに湿った僕の声が、呟かれる。気づいたら、声を漏らしていたんだ。

「……お、及川さん……? 平気……?」

 隣に座っている彼女の様子を窺う。

「……だ、だだ、大丈夫……です」

 ……うん。大丈夫じゃないね。……カタコトになりかけているし。

 及川さん……って、雷苦手なのかな……。それはそれで、ちょっと可愛いと言うか……なんと言うか……。あれ、よく見たら……僕のシャツの裾、及川さん握っている……?

 ……なんか、ドキッとは……するよね……。

「……あ……れ……?」

 でも、僕の体はもう。大丈夫ではなかったみたいで。

「たっ、高崎君⁉」

 グチョっという音が響いた瞬間、僕の意識は闇のなかへと溶けていった。


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