第3話 新しい家族

 優斗は朝の光に誘われて目を覚ました。

 目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こす。

 優斗が眠っていたのは、巨大な天幕付きのベッドだった。

 ベッドが置かれている部屋はリビング並みの大きさの木造の部屋で、床には赤い絨毯が敷かれ、壁には絡みつく二匹の蛇の紋章が掲げてあった。

 もう、何度目かに見る朝の光景だった。


 優斗は絹のローブを僅かに床に引きずりながらベランダへと出て周りを見渡した。

 

 優斗がいる部屋は大きな屋敷の二階。石の塀で囲まれて大きな庭は綺麗に整備され、いくつもの花が植えられていた。

 塀の向こうの通りには既に沢山の人々と馬車が行きかっていた。

 優斗は深呼吸をし、肺一杯に朝の空気を吸い込んだ。

 このように心地よい空気は、元の世界では吸ったことがないような気さえした。 

 

 優斗は欠伸をひとつして、離れた場所に見える大きな城に視線を移した。魔王トモエの住む城だ。だが、その姿はゲームなどで見るようなおどろおどろしい外観ではなく、白を基調とした美しいものだった。


 優斗がベランダから部屋に戻った時、扉がノックされた。


「殿下、失礼してよろしいでしょうか」


 若い女の声だった。

 どうやら、ベランダに出た際に誰かに姿を見られ、起きたことを悟られたようだった。


「どうぞ」


 優斗が返事をすると、扉が開けられ一人の女の子が入ってきた。


「おはようございます、殿下」

 

 その女の子、エマは深々と頭を下げた。

 エマは、優斗の身の回りの世話をしてくれる専属の召使だった。年齢は十六歳だと聞いていた。

 エマは魔族ではなく、人間だった。


 最初は数人の女性の召使がつけられ、着替えの時も果ては入浴の時も優斗について回っていた。

 優斗はこれには困り果てて何度か抗議した結果、意見は受け入れられたようで、エマだけが世話をするようになった。


「どうぞ」


 そう言ってエマは水の入った陶器の桶を差し出した。

 優斗は顔を洗い、その後にまた差し出された布で顔を拭いた。


「ありがとう」

 

 優斗が礼を言うと、エマは笑顔を見せながらも、少し困ったような顔をした。


(どうも、俺があまり下手に出るのに戸惑ってしまうみたいだな)

 

 この態度はエマだけでなく、どの召使、いやこの屋敷の人間は全て同じだった。

 着替えをする際に数人の世話役に取り囲まれ、思わず


「止めて下さい」

 

 と口にした時は、エマを含む世話役全員の顔が引きつった。

 

 この世界の優斗の立場は次期魔王候補であり、王子のようなものなのだ。そのような身分の高い者が敬語を使うということ自体が、エマのような召使の立場からすれば恐怖なのかも知れなかった。


「では、すぐに朝食をお持ちしますね」


 そう言ってエマは部屋を後にした。

 一人になると、優斗は鏡の前に立った。

 鏡には、これまで何年も眺めてきた自分の顔がある。ただ、右の瞳が赤色に変わってしまっている事を除けばだが。


 優斗は小さくため息をこぼした。

 この世界に召喚されて数日。優斗は慣れてきてしまっていた。自分の瞳の色の変化や、魔王候補――つまり貴族として振る舞い、生活することに。


 優斗がいる屋敷は魔王候補を預かる名家の一つ、フレイスフェン家のものだった。

 この世界に召喚された魔王候補はそれぞれの名家の当主となり、その一族のサポートを受けて現魔王に仕える事になる。そして、次の魔王を目指す。

 それは、三人の召喚者たちの次の魔王の座をめぐる争いだけではなく、次の世代の覇権を狙うそれぞれの一族の争いでもあるという事だった。

 そのためか、優斗はここフレイスフェン家において非常に手厚い扱いを受けていた。


 優斗はこの屋敷にきて以来、この世界の事や礼儀作法を学んだり、乗馬の訓練をして過ごしていた。ちなみに、この世界の文字を読むことはできなかったため、その勉強もさせられていた。人々が話す言葉は不思議と理解できるし、優斗が口にする言葉も人に伝わっている。その現象も含めてこの世界への召喚システムのなのだろうが、文字は例外であるようだった。

 

 元の世界では英語を勉強していたが、今は異世界言語というわけだった。

 

(結局、あちらの世界でもこっちでもやってる事は変わらんな)


 だからこそ、優斗は現状を受け入れ始めているのかも知れなかった。


 優斗が寝間着から着替え終えた後、再び部屋のドアがノックされた。

 部屋へと入ったエマは、朝食を持っていなかった。


「殿下、ご朝食ですが、ご当主さま……あっ、クラウス様がご一緒にとの事ですが如何なさいますか?」


 クラウスとは、エマが言い直したようにフレイスフェン家の前当主だ。名目上、現在は優斗が当主ではあるが、事実上はフレイスフェン家で一番偉い男だった。

 優斗としては朝食は一人でゆっくり食べたいというのが正直なところだったが、一族の一番の有力者の誘いを断る事は出来なかった。




「おはようございます、殿下」


 クラウスの姿を見るなり、椅子の横に立っていたクラウスは笑顔でそう挨拶をしてきた。

 クラウスの年齢は四十代半ばといったところ。


「どうぞ」


 とクラウスは席に座るように促したが、クラウスは席に座らずに、わざとらしく大きく咳ばらいをした。

 優斗としては目上の人間であるクラウスに対して自然に出た行為だったが、この世界ではあくまで優斗の方が立場は上なのだ。

 仕方なく、優斗は先に椅子に座った。そうするとクラウスも席へとついた。



「殿下、勉学のほうは如何です?」


 大きなテーブルの真向かいに座るクラウスが、パンをちぎりながらそう聞いてきた。


「まだまだ分からない事だらけです。こちらの風習は俺の世界のものとは違いすぎますし。礼節一つとってもなかなか慣れません」


「そのようですな。乗馬のほうは如何です?」

「ええ、そちらの方は多少は。俺も馬に乗るのは楽しいです」

「なるほど。周囲の者から、とても筋がよく憶えも早いと聞いております」


 乗馬が楽しいというのは本当だった。優斗はこれまで馬に乗った事などなかったため、とても新鮮な事として乗馬の訓練に取り組めていた。


「いやはや、頼もしい限りです。おいおい魔法の訓練も取り入れてゆきましょう」

「魔法……」


 その言葉に優斗の心は高鳴った。元の世界にはなかった概念であり、その不思議な力はこの世界で何度か目にしていた。

 素直に、それを自分が学ぶという事に興味が湧かずにはいられなかった。

 だが残念ながら、自分に魔法の才能が乏しいという事は、先日の『残り火』で証明されてしまっている。

 その事はすでにクラウスにも伝えてはいたが、表立っての反応は特にはなかった。


「クラウスさん、俺は……」

「殿下」


 言いかけた優斗の言葉を、クラウスが遮った。


「殿下、まだ私の事は父とは呼んでいただけませんか」


 優斗は思わず手を止めた。

 魔王候補である優斗は、今はフレイスフェン家の当主という立場になる。それをより自然でスムーズなものとするために、かねてよりクラウスには計画があったのだ。

 それは、優斗がフレイスフェン家の養子、正確には婿養子となることだった。


「殿下、本日にはわが娘のセシリアが領地より参ります。是非、会ってやって下さい」


 つまり、優斗の結婚相手の事である。


「ま、待って下さい。先日も言いましたが俺は……」


 優斗にとって、何もかも突然すぎる事だった。


 異世界に召喚され、魔王候補とされ、さらに結婚相手まで押し付けられてしまうのだ。


「クラウスさん、先日も言いましたが、正直俺は次の魔王を目指せと言われても、何と言っていいのか分りません。はいそうですかと納得はできません。それに会ったこともない人と結婚だなんて」

「ふうむ、まだご決心はつきませぬか」


 クラウスは小さなため息を漏らした。というのも、同じ内容の会話は数日前、初めてこの屋敷にやって来たときにされているのだ。だが、その時の優斗はまだこんなに冷静に話してはいられなかった。


「元の世界に返してくれ!」

「魔王候補など知った事じゃない!」


 と好き放題喚いたものだった。


「殿下、まだ向こうの世界への未練がありますか?」

「当たり前です。俺の今まで生活があります。両親も、友達も向こうにいます」


(それに、ゲームに漫画もな……)


 優斗は心の中で呟いた。

 それに、元の世界への未練も当然だが、魔王候補というのは突然重責を背負わされたようなものだ。ただの高校生に過ぎなかったのに、すんなりと受け入れられるわけがない。


「確かに、突然国元から引き離されるのは辛い事です。殿下の戸惑いも最もです。ですが殿下、こう考える事は出来ませんか。殿下は選ばれてこの世界にやって来た。何かの役目が必ずあるものだと」


 トモエもそんな事を言っていた事を思い出す。


「トモ……いえ、魔王陛下もそんな事を仰っておられました。魔神ガルスの意志だと」

「ええ。この召喚の儀式は魔神の御業です。必要ない者を魔神様はお呼びになったりはしません。確かに、異世界から来られた殿下にとっては、魔神様と言ってもピンとは来ないかもしれませんが。ともかく、元の世界に戻る術はありません。もはや、今のお立場を受け入れる他ないのではありませんか?」

「まるで誘拐ですね」


 優斗はわずかに怒気を含んだ声でそう呟く。


「これは手厳しい。確かに見方によっては誘拐かもしれませんな。しかし、そうだとしてもそれは些事に過ぎないのでは?」

「些事ですか? 俺にはとてもそうは思えません」


 優斗の心臓が高鳴る。頭に血が上りそうになるが、なんとか冷静に言葉を発した。


「もっと大局を見て頂きたいのです。殿下、この国の置かれた状況はご存知だと思います。この国は、人間の国に取り囲まれています。今でこそ表立って争ってはいませんが、これまでの歴史で何度も戦争を行ってきました。人間と魔族は決して相容れぬ存在なのです」

「俺のいた世界では、魔王といえば悪者でした」


 そっけなく答えた優斗に、クラウスは小さくため息を漏らす。


「問題は、この世界の人間の多くもそう考えている事です。更に悪いことに、この魔国は人間の国に取り囲まれています。しかも、人間と魔族では人間の数の方が圧倒的に多い。そんな状況のなか、この魔国は何千年も在り続けています。勿論、幸福だった時期もあれば、苦しかった時期もあります。それでもこの魔国が繁栄してきたのは、魔王の元、すべての魔族が一つとなって国を、いえ、魔族という種族そのものを支えてきたからです。今や、ご自分の意志とは無関係に、殿下の存在は全ての魔族にとって希望そのものです。その事は紛れもない事実です。どうか、その事はご理解下さい」


 クラウスは言い終わると、座ったままではあるが深々と頭を下げた。


(確かに、俺が望んだわけじゃないが、魔王候補として俺の存在はクラウスの言う通りなのかもしれない)


 クラウスの言う通り、多くの人々が優斗に期待をしているという事は間違いないのだろう。確かに自分が望まない重責ではあるが、だからと言ってそれを放り出していいのだろうか。

 そんな考えがこの数日、この屋敷で過ごしていく内に優斗の中に芽生えてはいた。

 だが、優斗はクラウスの事をまだ完全に信じているわけではない。


「確かに、俺は色々な人の希望なのでしょうね。特に、俺の後ろ盾となる一族にとっては」


 ここ数日で優斗が得た知識によれば、フレイスフェン家は、四名家の中では最も勢力が弱いという。何代も魔王を輩出していない。

魔王候補から選ばれる一人の魔王。新しい魔王の時代。無論、後見している一族の時代の到来でもある。

 クラウスもそれを期待しているはずだ。

 


 気が付けば、優斗もクラウスも食事を終えていた。

 優斗はここで昨夜から考えていた事を口に出してみた。


「クラウスさん、今日は少し街に出てみたいです。手配をお願いします」

「街に、ですか?」


 クラウスは、少し考えるような仕草をした。


「俺は乗馬の訓練も含めてこの家に籠りっきりですよ。まるで囚人です。気晴らしにもなるし、一度はこの王都を見て回りたいんです」

「なるほど、確かに。私もご一緒致しましょう」

「いえ、結構です。さすがに、元当主様に案内を頼む事は出来ませんよ。エマを一緒に連れて行きたいと思います」

「エマを? 承知しました。すぐに馬車を手配します」

 

 エマを連れて行く事に対して一瞬考えたかもしれないが、クラウスは即答に近い形でそう答えた。

 


 クラウスに頼んだ馬車はすぐにやって来た。そして、甲冑に身を包んだ騎士とエマも一緒だった。


「殿下、お望みの物はこちらで宜しいでしょうか?」


 そう尋ねた騎士は、優斗の護衛長を務めているロブ・ホランドだった。

 ロブは人間で、優斗がフレイスフェン家にやってきた際にクラウスから最初に紹介された人物だった。

 それ以降、ロブはおおよその場面で優斗の側にいた。乗馬の訓練の際はすぐ横に控え、アドバイスなども行ってくれていた。夜も、優斗の隣の部屋で交代で警護しているとの事だった。


 護衛の騎士、そして召使のエマ。優斗の周りは全て人間、それも優斗と同じくらいの年齢の者で占められていた。

 クラウスの配慮であろう事は間違いなかった。

 だが、優斗と同じくらいの年齢だとしても、クラウスはロブの事を、剣の腕前は抜群、と評していた。

 名目上の当主である優斗の護衛長に任せているのだから、それは事実なのだろうと優斗は考えていた。


(俺の監視も役目なんだろうけどな……)

 

 優斗はエマも事も含めてそう勘ぐってはいたが、年齢も同じくらいであるロブとエマには、ついつい気を許してしまっていた。


 馬車には、優斗の望んだとおりエマと二人で乗り込む事になった。


「で、殿下のお供をできて光栄です」

 

 馬車に乗り込む際、エマはそう言っていたが、実際はかなり緊張している様子だった。


「殿下、まずはどちらに向かいましょう?」

「俺はまだこの王都には不慣れなんだ。エマに任せるからこの街を案内して欲しい」

「承知しました。では、まずはお城に向かいますね。お城は街のほぼ真ん中ですので」

 

 エマが御者に目的地を伝えると、すぐに馬車は動き始めた。ロブは別の馬に乗って続いた。

 

 

 向かいの席に座るエマは、まだ緊張している様子だった。


「そんなに緊張しないでくれ。言葉使いなんかも、屋敷ほど固くなくていいから」

「そ、そんなの恐れ多いです。わたしは人間の単なる召使ですっ……」


 そわそわとした様子で、たまに目が合うと慌てて逸らしていた。

 エマの立場からすれば、ずっと地位が上の者と密室に二人きりという状況はかなり辛いのだろう。優斗は少し悪い事をしてしまったなと感じた。

 

 街に出たのは、実際の街の人々の様子を見てみたかったからだった。エマを連れてきたのは、魔族ではない、人間のエマの実際の声を聞いてみたかったからだった。

 馬車はしばらく進み、外に見える人々の数が多くなった。


「ここは大通りです。お城へはまっすぐに続いています」

 

 外にはたくさんの露店が見える。食べ物を売る露店が一番目に入ってきたが、服や装飾品などの店も見られた。行きかう人々も多種多様で、魔族が一番多かったが、人間もその次に多く見ることは出来た。また、数人ではあるがオーク族の姿もあった。

 

 そんな中、優斗は何かの店に行列が出来ている事に気が付いた。

 

(なんだ?)

 

 少し気にはなったが、優斗はすぐに他へと視線を移した。


「見てください殿下、あちらの方はエルフ族ですよ。珍しいです」

 

 エマに促された方には確かに魔族よりももっと大きな耳、綺麗な金髪の男がいた。確かに、優斗が映画や漫画見るエルフ族だった。


「エルフは珍しいのか?」

「はい。エルフ族はもともと数が少ない上に、違う種族との交友をあまり持たないそうです。ですから、あちらの方はエルフの外交官かも知れませんね」

「この国には色々な種族が暮らしてるんだな。魔族に、人間族、そしてオーク族か」

「はい。この魔国は主にその三種族が暮らしています。といっても、オーク族も南の方に集まっているそうですので、それ以外の地域で見かける事はあまりないですね。ここはさすがに王都ですので珍しいという程ではないですが」

「この魔国の周りは人間の国ばっかりだと聞いたけど、そこにも魔族はいるのか?」

 

 この質問に、エマは困ったような顔をし、少し思案をしていた。

「居ない……と思います。絶対とは言い切れませんけど、外交官以外でこの魔国以外で暮らしている方はいないのではないかと。ああ、商人の方ならいるかも知れませんね」

 

 エマの話はこれまでも聞いてきた話だが、魔族と人間は長い間敵対関係であり、現在は戦争こそしていないものの、お互いの不信感と憎しみは根強いという。特に、人間と比べて数の少ない魔族は人間の国では迫害の対象となりやすいという。

 優斗は訊くべきかどうか考えたが、次の質問をぶつけてみた。


「魔族と人間の仲が悪いってのは分かった。それでも、エマやほかの人間達はこの国で暮らしていけるのか? 違う国に行こうとは思わないのか? 不躾な質問かも知れないが、俺はこの世界の事が率直に知りたいんだ」

 

 エマは特に思案もせずに、すぐに答えた。

「この魔国で暮らしている人間は多くは、元奴隷の子孫です」

「奴隷?!」

「はい。元々、この魔国には人間の奴隷制度があり、多くの人間が奴隷として暮らしていました。しかし今から七十年ほど前に、魔王陛下が奴隷を禁止なさったと聞いています。私のひいお婆ちゃんとひいお爺ちゃんは奴隷だったんですよ」

 

 エマはそう言ってにっこり笑った。

 優斗は、その笑顔は自分を気遣ってのものだと思った。

 奴隷という言葉や存在は、元の世界では優斗からは程遠いものに過ぎなかった。


「すまない、妙な事を聞いてしまった。不躾すぎた……」

 

 そう言った優斗に対して、エマは目を丸くしていた。優斗は、また不味いことを言ったのかと悔やんだが、そうではなかった。


「初めてです、そんな事を言われたのは……」

「えっ……?」

「わたしのように、祖父母が元奴隷という人間はこの国では珍しくはありません。かつての戦争で魔王陛下に降伏した人間の諸侯と、その領地の人々以外では、この国の人間は皆、何かしらの形で奴隷の血を引いている言っても間違いはありません……。同じ人間でも気にかける人はいないのに、ましてや魔王候補様からそのようなお言葉を頂けるとは……」

 

 優斗は、この世界の在りようが元の世界とは全く異なるという事を改めて思い知らされた。


「今は奴隷もなくなり、魔国の法律では人間も魔族も平等となっています。税金を払えば魔神ガルス様以外の神様を信じる事も許されています。人間に対する差別は勿論あります。でも、フレイスフェン家の皆様にはとても良くしてもらっています。何より、我々人間にも色々な機会を与えて下さっている魔王陛下には生涯の忠誠を誓います」

 エマは最後に、そう纏めた。


(あいつが、そんな事を……)


 優斗の脳裏に、魔王であるトモエの顔が浮かんだ。思い出すのはあの深紅の眼と、不敵な笑み。

 そしてトモエへの恐怖だった。

 あの時、優斗はこの世界に突然召喚され、混乱したまま、魔法というものを見せつけられた。実際に、何かをされた優斗はその場に崩れてしまった。今思うと、体の熱を上げて熱中症のような症状を起こさせたのかも知れなかった。

 優斗のトモエへ感情は恐れが殆どを占めているが、この魔国に暮らしているエマたちは全く違うようだった。


 馬車は進み、やがて王城へと到着した。王城の門前はとてつもなく広大な広場となっていた。

 王城の巨大な門は開け離れていたが、一列に並んだ数十人の衛兵がその通路を塞いでいた。

 

「昼間でしたら門はいつも開け放たれていますが、入れるのは一部の方々だけです。魔王候補の方々も無断で入るのは難しいと思います」

 

 まるで観光バス内の説明のようなエマの言葉を聞きながら、馬車は広場でUターンした。


「この広場で、半年後に殿下たちの王子就任の儀式が執り行われる事になります」

 

 その話は、優斗もクラウスから聞いていた。

 優斗達三人の魔王候補が召喚された事はすでに周知の事だが、魔国の民衆に対しての正式な顔見せはその儀式が初となる。


燈火ともしびの儀式ですね。言い伝えによれば、とても綺麗な儀式だと聞いています。自分が生きてるうちに見られるなんて幸せです」


 魔王候補就任の儀式の事だ。名前からして火を使うであろう事は分かったが、具体的にどんな事が行われるのかは聞いていなかった。


 馬車はその後も進み続け、王城から少し離れた場所にある商店街に差し掛かった。大通りの露店ではなく、立派な店舗が並んでいた。

 優斗はここでもとある店に行列ができている事に気が付いた。


「あれは小麦を売ってるお店ですね。ここ最近、小麦が値上がり気味ですから」

「それで行列ができているわけか……」


 次に、馬車が向かったのは外国の外交官などが多く暮らしている地区。この地区では人間の数の方が遥かに多く、それらの人々の服装から高貴な身分の人間であることが伺えた。

 

 どの場所も活気に溢れ、子供から老人までもたくさんの人々が行きかっていた。それは、人々の外見こそ少し違うが、優斗が元の世界で見てきた日常だった。

 そして、馬車は港に向かった。水揚げされた魚も多かったが、それ以上に様々な交易船からもたらされた色々な物資が並んでいた。

 それらの物資に興味が沸いた優斗は、馬車から降りようとした。だが、馬車の外にいるロブが何かをエマに言うと、エマは


「殿下、もうお屋敷に戻らねばなりません」

 

 そう言って有無を言わさずに馬車を出発させた。


(なんだ?)


 港の群衆に優斗が紛れることによって、護衛が難しくなるとロブが判断したのだろうか。


(それともまさか、俺が逃げると思った? いや、港に俺に見られては不味いものがあった?)

 

 優斗は色々な可能性を考えたが、エマはそれとはまったく違う事を口にした。


「もう、お嬢様がお屋敷に来られている頃です。急いで戻らないと……」

 

 そう言われて、優斗もクラウスがそんな事を言っていたのを思い出した。

 エマの言うお嬢様とは、クラウスの娘セシリアの事だ。つまり、突然押し付けられた優斗の婚約者だ。


「まったく、次から次へと……」

 

 優斗は事態の進行の速さに思わず呟いてしまっていた。まだ、この世界、この魔国についても整理できていないのだ。ほんの数日前、この世界に来る前はこんな事は予想すらできなかった。


「セシリア……さんはどんな人なんだ?」

 

 しばらく馬車が進んだところで、優斗は思い切ってエマに切り出した。


「お嬢様は凄い方です! まず、とっても綺麗な方です。魔王陛下に次ぐ美しさだと、貴族様の間では物凄い評判だったんですよ!」


(魔王に次ぐ……)


 優斗はトモエの顔を頭に思い浮かべた。確かに、トモエは優斗がこれまで見てきた中でも、一番といってもいいほどの美人だった。それに次ぐと言われ、優斗の感情が僅かに高ぶった。


(だめだだめだ……)


 優斗はすぐに自分を戒める。いくら思春期の男子とはいえ、こんな事で舞い上がってしまうなど、いわゆるハニートラップに簡単に引っかかってしまうようなものだ。

 そんな優斗の内心など分からないエマは、まるで自分の事を自慢するように、嬉しそうに話を続けた。


「お嬢様は綺麗なだけじゃないんです。クラウス様が領地を空けられる際は、お嬢様が政務を全部取り仕切っておられます。クラウス様からも信頼されていて、領地の方々にも凄い人気ですよ。そんなお方なので、今まで色んな貴族の方から求婚されてました」


 ここまで褒められると、優斗はとても自分に釣り合わない存在だと圧倒された。


「まったく、俺には勿体なさすぎる人なんじゃないか」

「そんな事ありません!」


 エマは突然優斗に詰め寄った。


「セシリア様に相応しい方はユウト殿下の他に居られません。わたしも数日しかユウト殿下の事を見てはいませんが、わたしには分かるんです」

 

 ここで、エマはハッと我に返ったようで、慌てて優斗から離れた。


「も、申し訳ありません。でも、本当にそう思うんです。わたしはセシリア様の事は何年も前から知っています。何というか――殿下とセシリア様は似ていると思います。雰囲気というか、佇まいというか……。わたし達のような身分の低い者にまでお優しくしてくれる所など……。その……すいません、出過ぎたことを申しました」


 最後に、エマはそう言って顔を伏せた。



 


太陽もすっかり高くなってしまったとき、優斗たちはフレイスフェン家の屋敷に戻った。

 セシリアの存在が頭にあり、優斗は緊張して屋敷に入ったが、出迎えたのはクラウスのみだった。


「お嬢様はまだ来られていないのですか?」


 優斗の代わりに、エマが尋ねてくれた。


「殿下、少し領地で問題が発生しまして……」


 クラウスが言うには、領地の問題でセシリアが王都に来れなくなったという。

 クラウスの説明によればフレイスフェン家の領地には、隣国であるエスぺランド王国からきた難民であるアルバ人、二千人が定着しているという。

 アルバ人とは、主にエスぺランド王国に暮らしていた少数民族で、エスぺランド人の大多数が信じる宗教、アイリス教とは異なる神を信じており、エスぺランドなどのアイリス教を国教としている国々からは迫害されているという。

 そのため、徐々に魔国への亡命者が増え、数年前にトモエが魔国への定住を認めたのだという。

 

 問題なのは、そのアルバ人の食糧だった。

 昨年の魔国の小麦は不作で、魔国内での麦の価格は高騰しており、貧しい人々の間では食糧難気味だという。顕著なのが、難民であるアルバ人達で、このまま放っておくと餓死者が出ることになるという。そのため、領地の外から小麦を手配していたのだが、その小麦を積んだ船が座礁してしまい、セシリアはその対処のため、まだ領地を離れる事が出来ないとの事だった。

 

(難民か……。人間同士でも民族によっては敵対してしまうのか。元の世界と同じだな)


「娘の顔見せができずに申し訳ありません。ところで……」


 クラウスは神妙な面持ちで言葉を続けた。


「今やフレイスフェン家の当主は殿下です。この件に対してのご指図を仰ぎたいのですが」

「え?」

 

 優斗は思わず声を出してしまっていた。


(俺に? こんな事態の対応を俺が決めるのか?)


 優斗は、数日前まではただの高校生に過ぎなかった。そんな優斗が、適切な指示など出せようはずがなかった。だが、クラウスはそんな優斗の考えなどはお見通しなようで、更に言葉を続けた。


僭越せんえつながら、私も後ほど意見は述べさせて頂きます。まずは、殿下の方針をお教え下さい」


(つまり、とりあえずは俺の意見を聞かせろという事か? 結局のところはクラウスが決定するのか?)

 

 実際のところ、名目上のフレイスフェンの当主は優斗になっているが、未だに実権はクラウスが握っているはずなのだ。クラウスとしても、いくら優斗の決定だといっても滅茶苦茶な指示には従わないのではないか。


(くそっ、どうにでもなれ)


 優斗はクラウスに質問をぶつけた。


「アルバ人のための小麦ですが、フレイスフェンの領地内の分では足りず、どこからか用意する必要があるという事ですか?」

「そうなります。しかし、昨年の小麦の不作により、小麦を用意できる可能性がある場所は限られてきます。まず、魔国西方の大穀倉地帯を領地とするヴァルムス家でしょう」

「ヴァルムス家? という事は……」

(トモエの一族か……)

 ヴァルムス家は魔王候補を預かる四名家の一つであり、魔王の直轄領を除けば魔国一の広大な領土を持つ強大な貴族であった。かつてはトモエが当主を務めていた、つまりは魔王を輩出した魔国で最も権力を持つ一族といっても良いだろう。


「トモ……魔王陛下のの一族という事ならば話は早いのでは。陛下に相談してみるのは?」

「実は、魔王陛下は召喚の儀式で膨大な魔力を使われたようで、儀式の後に休養を取られ、しばらくは誰とも会わないとされています。また、魔王陛下は魔国全土を支配するお方です。現在のヴァルムス家の当主は別にいます。そちらに当たってみるのが良いかと」


 優斗は、表情には出さなかったが内心は驚いていた。今の考えはそんなに深く考えて出したものではない。だが、クラウスの発言からして、優斗の案を受け入れた事になる。

 優斗の安易な考えを、権謀術数の世界で生きているはずのクラウスのような貴族が受け入れた事が不思議でならなかった。


(何か考えがあるのか?)


 優斗は訝しんだが、答えは出なかった。


「では殿下、善は急げとも言います。すぐにヴァルムス家の屋敷へと向かいましょう」

 

 そう言って、クラウスはすぐに馬車の手配をエマに命じた。

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