第17話

 医者は点滴パックが証拠品となって即日逮捕された。天斗は免罪と言うか冤罪、はれて警察署から出て来たところで百合とハグ始めたので弁慶の泣き所を蹴っておいた。天斗の両親は早く行くわよ、と言って俺達と天斗とを車に乗せる。トランクに無理やり突っ込んでいる折り畳みの車椅子がいつ落ちるか分からないと冷や冷やしているその日。爺ちゃんの遺言書は八月朔日弁護士により開封された。存在を知らなかった親族がざわざわする中で、赤の他人の俺は肩身が狭い。勿論義両親には内緒で来た。天斗出所お祝いとして。まあ元々ブタ箱には入っていなかったそうだが。はて、留置所もブタ箱と言うのは間違っているだろうか、俺。

「当家の財産は法律にのっとって処理する。事業で得た分は三人の息子たちに三等分、医者として世話をしてくれた早蕨氏に一億。そして――」

 とりあえずホッとしている息子たちとその家族。殺人犯の医師には相続権がない。細かな分類、弟妹の医療費確保。それから、と言葉が続く。

「百合籠天斗、御園生百合、喜世盛勇志に各一億円ずつ。これは我が社の将来を負って立つ者たちへの投資であると考えて欲しい。以上です」

 ざわざわ見られるのは真っ青な髪とぽりぽりトランキライザーを齧っている百合。

 そして俺である。

 あー。面倒くさいもの遺される前に殺しておけばよかった、百合籠の爺ちゃん。

 振り込まれた銀行の残高は桁が違った。今までになく、百合を犯したコンドームと同じ場所に通帳を仕舞い、印鑑は別の小箱へ移してみる。少しは安心できるが、百合の方はどうなんだろう。現金そのままアタッシュケースに入れて持って来ちゃったけど。名目は遺産相続で間違ってもないけど。首から下げたキーなんて寝てる間に外されたら覿面だ。そんな百合の寝顔にキスしてから部屋を出てみると、客間にいるはずの天斗が何故か仁王立ちしていた。

「遺産。どーするつもり? 勇志君。これで君、百合籠グループの傘下の会社に入るしかなくなっちゃったよ? リリィとのんびり暮らしてなんていられないぐらい面倒になる」

「それは百合に決めさせる。俺は百合のおまけの介護人ですからね。返せってんなら返すし天斗にやっても良い」

 俺の後ろからやってきたパトローネがぐる、と小さく喉を鳴らす。ステイステイ、ぽんぽん頭の毛並みを撫でてから、きゅーんと牙を収めるのを眺め、天斗に視線を戻す。胸を押さえてくすん、と芝居じみた仕種でパトローネを見ていた。

「パトローネ冷たい。俺だって三才の頃までは殆ど毎日一緒に遊んでたのに」

「頭の良い犬ですからね。齧って良い物悪い物は弁えてる」

「えー俺超いい奴じゃん。サイコーじゃん。リリィの旦那にだってなれるよ」

「駄目だ」

「ふぅん?」

「それは俺が許さない」

 くっくっく、と天斗が笑う。

「いーのかねえそんなこと言っちゃって。さっきまではリリィの意志におもねるようなこと言ってたのに、その一点だけは外せないんだ」

「外さないんだ。俺は百合を愛してる。多分あんたよりだ、天斗」

「愛情は千差万別だよ、勇志君。傷付ける愛も庇護する愛もある。君が一番よく知ってるんじゃないかな?」

 すっと頭から血が下りる。殴ろうかと思って止めた手には力だけをただ込める。爪が当たって痛い。それだけだ。血も出ない。百合を傷付けないために深爪にしているからだ。百合もタブレットを叩くのに邪魔になったら俺に切らせている。自分で出来るだろうに甘えられてる。外さない一点。俺が百合の傍にいる事。ふうっと溜息で落ち着き、俺はパトローネの後ろ頭をくしくしと擽ってやる。

「俺の将来は百合が決める。百合の将来は俺が付きそう。それだけです」

「そんなにリリィが好き?」

「愛してる」

「俺が従兄になっちゃっても?」

「……なっちゃっても」

「その一瞬の沈黙が痛いなあ。じゃ、俺そろそろ帰るね。玄関先に両親待たせてるからさ」

「迷惑駐車するんじゃねえ」

「こんな郊外で渋滞もないでしょ。じゃね、勇志君。次はリリィと散歩でも行かせてね」

「ぜってーやだ」

「大丈夫だよ、取ったりしないから。リリィへの好きは家族の好きだからね。君と違って」

「どういう意味、天斗」

「そのまんまの意味」

 そうして二重廻しを着た死ぬ気ゼロの青髪太宰治は去って行った。

 似合わなすぎて逆にすがすがしいほどだった。

 パトローネが不安そうに見上げて来るのを、俺は良い子良い子と撫でてやる。

 留学までに二・三回は来そうだな、と言う俺の予感は当たるだろうか。名探偵じゃないから感覚で物を言わない方が良いかもしれない。それでも許されるなら言いたい。

 二度とくんな。

 ここは俺と百合の家なんだ。

 お前には関係のない家なんだ、と。

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