第3話

 百合をレイプしたのは俺だった。学校でコンドームの付け方を教わった丁度一か月後、塾帰りに手ぬぐいを噛ませて目隠しをした。そして土手の陸橋下まで連れて行って、抵抗するのに興奮して、そのまま。当たり前だけど中学三年生は処女で、自分が奪ったそれが嬉しくて、しばらく袋に入れたコンドームを持ち歩いていたぐらいだった。勿論ショック症状で入院していた百合を見舞う時にも。一週間はその状態が続いて、結束バンドで落ち着いた百合に薬を飲ませると、やっと大人しくなって。その時にはもう、薬物治療しか手が無いと、医者も百合も俺も解っていた。そして心身症の脚を補うための介護者が必要なことも。それには幼馴染で近所に住む、俺が最適だと言う事も。

 以来百合は我が家で預かる機会が多くなった。元々自分の家だと思って良いからね、と言っていた義母は娘が出来たようだったし、義父は迂闊な親父ギャグが言えなくなってしょんぼりとするようにもなった。もっとも百合がいない時は倍喋るようになったが。俺は兄妹なんかに思われているようだけど、嫁にするつもりはレイプした時から変わらない。でなかったら傷ものにしてまで、他人を寄せ付けなくなるようなことはしない。あの頃から百合は人気者だったのだ。長い黒髪、大和撫子じみた控えめさ。見たら忘れられないだろう長いまつげに隠された眼。だから俺は襲った。他の誰より早く、百合を自分の物にした。

 そう、百合は俺の物だ。死体の物にもさせない。


「と言う訳で『名探偵』。機動しろ」

 猟銃の展示してある玄関ホール。ぺしっと叩かれた百合はぼんやりしながらも、ぅん、と頷いて見せた。

「被害者は岸原真二郎。加害者も岸原真二郎」

「なっ」

「なんだって!?」

 まあ驚くわなあ。自殺に見せかけるためと思われた密室が、本当の自殺に使われてたんじゃ。

「ナイフは水平に入れられていた。肋骨を避けるため。手には血がついていたけれど、出血は少なかったから、おそらく自分で刺したもの」

「そんなっ」

「じゃあ指輪はっ」

「多分司法解剖の胃にでも入ってると思う。おそらくあなたへの反抗の為に」

「バカ息子が……ッ!」

 かちゃ、と。

 ケースの開く音がする。

 猟銃を入れていたケースを、亘理さんが開けていた。

 そうして構える先は――敏純氏。

「わ、亘理?」

「私にとってここでの生活は楽しい物でした。坊ちゃまたちが来なくなっても、本家の執事としてお二人の成長を見守って来られた、どんな暴君的行為があったのも覚えています。暴力や私物の勝手な売却。ここに戻ればまた小さな子供を見守るあなたに戻ると思っていましたが、それも無駄でした。この屋敷は子供の物ではなくなっていた。疑心暗鬼の館になってしまっていた。ならば私は、最後までこの家の執事でいるしかない。敏純様。執事は主に意見することも許されているのですよ」

「亘理、何をっ」

「おさらばです、ご主人様」


 そうして構えられた猟銃は。

 はじけるように、爆発した。


「は――はは、そうだ、ここは子供のための館だ。猟銃にも鉛が詰めてあるに決まっているじゃないか。馬鹿め」

「あ、うわあああああ!!」

 発狂したようにドアから出て行く雄一郎氏。血まみれで火傷だらけ、硝煙臭い亘理さん。白い髭は赤黒く濡れて、所々チリチリしているようだった。しかし鉛と弾を両方込めていたと言う事は、自分を狙う誰かをやはり猜疑していたんだろう。それが亘理さんだった。子供たちの館はやがて疑心暗鬼の館に姿を変えて、そしてこの様だ。ほんの遊びで作った館は、ほんの遊びの会場になった。『名探偵』が必要な、遊びの場に。

 ふうっと息を吐いて、俺はがりがりティーカップの中の精神安定剤を飲む百合を、車椅子の向きを変えて真後ろを向かせる。そんな俺の仕種に、訝っているのは敏純氏だ。俺はポケットからありふれた形のナイフを取り出し、刃を伸ばす。なっ、と、敏純氏が驚く気配があった。別に今更死体が増えたって構わないだろうに、何をしているんだか。

「『殺人者』は一人で良いんですよ」

 すい、と刃を向けて、俺は呟く。百合がぼりぼりと精神安定剤を貪る音が響く。

「それを求めるために百合は『名探偵』でいる。だから他の殺人者はいらない。百合が追い求める自己の殺人者は、俺だけで十分なんです」

「何を、言って」

「簡単に言いましょうか」

 にこ、と俺は笑った。

「死ね、人殺し」


 俺はシャツに血が飛ばないよう、手を伸ばしてフェンシングのような要領でその胸を水平に突いた。

 殺人者はこれで、俺一人。

 百合が求める物は、これで俺一人だ。

 それで良い。


 二階から荷物を持ってきて、薬の袋も忘れないようにして、俺は百合の車椅子を押してスロープでバリアフリーになっている玄関を潜り外に出る。かつてここで遊んでいただろう兄弟の幻覚を見ながら、里に向かって歩いていく。そんなに遅い時間じゃないし、まあ大丈夫だろう。行きは車で十五分ぐらいだったか。一時間は、かかるまい。こうしてみんな一緒に行動すればもっと早く事件は解決したのだろうが、今更だ。それに敏純氏は内々で済ませたがっていた節がある。ならばこれはこれで、自業自得なのだ。金に目の眩んだ、よくある犯罪。

 百合は暗い色のワンピースだから熱そうだったが、十五分もするとすぅすぅと眠りだした。思えばテレビも携帯端末も新聞もない、と言うのは百合にとっては快適な状況だったのかもしれない。疑心暗鬼の館。そのうち夏が来たらまた訪れてみたい場所だ。それまでに死体が片付いていれば、だけど。

 俺はそこら辺の柔らかい土に折り畳みナイフを埋める。これでここに来る動機が出来た。凶器の回収だ。勿論指紋はしっかり拭き取ってあるが。

「被害者、亘理節夫。加害者、亘理節夫……」

 ぽつりと呟く百合は、あの現場を見ていてもそれしか感想を得ることが無い。だから怖くなかった。人殺しがいる。今はもういない。それも、犯人と被害者が同一だったら出ただけの言葉だったのだ。犯人だったから、百合は叫んだ。犠牲者だったから、百合は叫ばなかった。それだけだ。ムクゲの生垣を通り過ぎながら、俺は黙って百合の車椅子を押していく。途中でパトカーと擦れ違った。多分雄一郎さんが呼んだ物だろう。サイレンの音に発作を起こさないよう、俺はその耳を塞いでやる。目も塞いで口も塞いで、出来たらどんなに素敵で最悪だろう。俺も汗ばんできたシャツをパタパタ言わせて、駅まで歩いていく。バリアフリーじゃないのが田舎の不便な所だ。点字ブロックなんかは仕方がないけれど、張り直したアスファルトなんかは最悪だった。百合も目を覚まして、不機嫌に錠剤を呑み始めるぐらい。ぼりぼり。がりがり。やがて駅舎に着くと、早くも岸原邸の事件が人々の口の端に上がっていた。人の口に戸は立てられない。なるほど。

 思いながら俺はグリーン車の切符を買う。勿論二人分だ。結局タダ働きだったな、思いながら俺は百合と手を繋いで眠りの態勢に入る。幸い田舎の電車だから、百合の車椅子が邪魔になることはなかった。


 それから二週間ほど経って、夏休みも終わる頃、百合に手紙が届いた。親展だったが気にせず開けると、差出人は岸原雄一郎の代理人だった。曰く、真二郎氏の胃の中から出て来た指輪で開けた金庫には遺書があり、この謎を解いた者に『疑心暗鬼の館』の相続権を渡す、との事だった。つまりは百合に、疑心暗鬼の館が法的に手に入ることになったと言う訳だ。

 俺はその手紙を一回り大きい封筒に入れて、百合の代理人である八月朔日ほずみ弁護士に送る。十五歳の俺達には何も出来ないことだからだ。ただ、あの館にはまた行ってみたいな、と思った。鏡で繋がる廊下、鍵のないドア。宿題をするには最適の環境かもしれない。もっとも、いちいち百合を動かすのはちょっと手間かもしれないが、そこそこ筋肉も付いてきたし、どんどん軽くなる百合ぐらいどうという事もないのも知れない。

 喜世盛、と呼ばれて、俺はサンルームに出る。

「郵便。何」

「お前に『疑心暗鬼の館』をくれるってよ」

「ふーん」

「嬉しくないのか?」

「微妙。人、死んでるし」

 その声は自殺した真二郎氏か、自爆した亘理さんか。

 それとも俺が殺した敏純氏か。

 誰の事を言っているのだろうと一瞬ぞっとなって、その細首を絞めたくなる。

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