南国の花嫁 11-4 すてきな思いつき

「あぶないとこだったね……」


 足下に広がる、どこまで続いているのだか判然としない闇――ナルニエはふと、幻精界の中心アウラセンタリアで覗き込んだ『影の都』の領域の光景を思い起こした。


「けど、ここはあそこと違う……よね? 空気重くないし……それにホントにホントの真っ暗じゃないみたい。けど――ひゃっ!」


 ガクン、と出し抜けに高度が下がる。ほぼ同時にピュイの切羽詰ったような声が響いた。


「ピュリィィッ!」


 地上では、ピュイが心底焦っていた。キュイの胴の表面はなめらかで掴みにくく、ましてや友人の皮膚に爪を立てる訳にもいかず、今にもすっぽ抜けてしまいそうなのだ。


 高い知能と魔力を有する始原の龍である彼は、幾つかの初歩的な魔導の技を習得している。だが、身動きのままならぬ状況での行使は不可能に近い……魔法での状況打開はできなかった。


「ピュリリェ、ピュビィイエッ!」


「う、うん、わかった。はやく上――」


 ピュイの必死の呼び掛けに頷きかけたナルニエだったが、あることに気づいてしまった。


「だめ待って!」


 考えるより先に、口が動いていた。探し求めている匂いが濃くなっているのだ。今の位置より遥か下、闇の奥のまだ奥……さらにその向こうに、きらめくような光を見たような気がする。


「ピュイちゃん、ごめん。揺らさないでくれる?」


 頭上から降ってくる悲鳴まじりの唸り声を聞き流しながら、ナルニエは光を封じ込めたような眼をせばめた。


 距離の見当をつけて焦点を合わせてみると、茫洋と広がっているように思えた闇ばかりの穴底が、しっかりとした広がりをもつ巨大空間であることに気づく。それどころか――太陽の輝く真昼の光景に慣れていたはじめは真っ暗に思えたけれど、地の底にある場所にしてはずいぶんと明るい。きらきらと光り輝く場所や、ぞわりと動く大きな影もあるではないか。


 よくよく観察してみたあとで、ナルニエは驚きの声を上げた。


「ここ……って、すごいよ! 下に樹と水がいっぱいあるっ。それになんか居る!」


「ピ、ピュイィィ?」


 地表の穴の縁で踏ん張っていたピュイは、それどころではない。彼の感覚によると、穴の深さは相当なものだ。手が痺れきってしまう前に友人たちを引き揚げないと、本当に大変なことになってしまう!


 キュイはナルニエの衣服をくわえているので無言のままだが、息遣いが苦しそうなものに変わりつつあった。胴も、ぶるぶると震えはじめている――もう、あまりもちそうにない。


「ピュリリェ、ピィビビ!」


「あ、ごめん。このままじゃいけないよね。うん、ホントごめん。とりあえず上がろ」


 ピュイがナルニエのいらえに、ホッと息をつく。次いで渾身の力を全身に籠め、細長い胴体を力任せに引っ張った。


 彼自身の体躯がじりじりと穴の縁から後退するにつれ、掴んでいたキュイの胴が、白銀の煌めきと小さな体が順に現れた。


「ふはぁっ、ありがとッ!」


 ようやく地面に足がつき、ナルニエは大きく息を吐いた。脱力のあまり草深い地面に突っ伏していたピュイとキュイに飛びつき、感謝の言葉や賛辞とともに頬擦りをしたものだから、二体の魔獣の恐ろしげな相貌が、まんざらでもない表情にでれでれとゆるんでいった。


 引き揚げたばかりのときには息が整ったら抗議のひとつでもと思っていたピュイなのだが、深いため息とともに言葉を呑み込むしかなくなってしまう。彼の心の内を知ってか知らずか、ナルニエはまた鼻をひくひくとさせながら、彼の嗅覚には判然としない香りを探っているらしかった。


「さぁてっ」


 ナルニエは勢いよく立ち上がった。衣服についた草の切れ端や土を払い、細い腰に小さな手を当て、ぐるりと周囲を見渡す。


「どうやってあそこまで降りようかな? 階段とかあったらいいのにね。あ、もしかして、ピュイちゃんがナルたちを抱えて飛び込んだら、パタパタして下までたどり着けちゃったりしない?」


 あまりに唐突で楽観的な恐ろしい提案に、冗談じゃない、とでも言わんばかりにピュイが目をく。次いで、ぶんぶんと激しく首を横に振った。


「じゃあねぇ……。うーん、おねえちゃんがやってた魔法! あれどうかな?」


 ピュイは恨めしげな眼で、目の前の小さな友人を見遣みやった。


 トルテのつかう魔法は、複数の魔導の技を重ね合わせた特別なものなのだ。ピュイには逆立ちしたって行使することができない。『複合魔導』と呼ばれるその魔法を、トルテやハイラプラス以外の者が発動させている光景を見たことすらない。


「ピュリューイ、ピピピュリ、ピュルティイーユ」


「あっれれ、そうなのかぁ……残念。じゃあ、どうやって降りよう。お花が咲いている場所は、この穴の下にあるんだ。ゼッタイなの、間違いないの!」


 断言するナルニエの横を、キュイがすり抜けた。


「あん、待って、キュイちゃんも探してよぉ。下はね、暗いと思ってたんだけど、そうじゃないみたいだし、とにかく行ってみなきゃ!」


「ピュリ……」


「キューイッ!」


 決然と言い放ったナルニエに向けて口を開きかけたピュイであったが、それを遮るようなタイミングでキュイが鋭く鳴いた。何か特別なものを見つけたときに発する合図だ。


 ナルニエとピュイが、同時に勢いよく振り返る。


 穴から少し離れた場所で立ち止まったキュイの傍に、不可思議な大樹が一本生えている。周囲の巨大な樹々と比べると、幹の太さは同じほどなのに、なんだかずいぶんと丈が短い。まるでその樹だけ、ずっぽりと地面に深く深く埋まってしまったかのような印象で――。


「もしかして!」


 ふたりは急いでキュイのもとへ駆け寄った。伝説にも謳われている魔獣が思わず身を引いたくらいの勢いで。


「やっぱり! すっごい大発見だねキュイちゃん! あいしてるっ!」


 ナルニエはこの上もなく嬉しそうな歓声を上げ、飛び跳ねた。


 キュイの見つけた大樹は枝葉の多い真っ直ぐな幹をしており、その表面を蔓植物が流れ落ちる滝のごとく覆い尽くしていたのである。周囲にも同じ種類の蔓が地面まで生い茂っているので、どこまで伸びているのかは想像がつく。


「きっと、この穴の底まで降りられるよ!」


「キュイ、キュイ」


 蔓の太さや強度は、幼子たちにとって梯子や階段として使うに充分に足るものであった。試しにピュイが力いっぱいに引っ張ってみたが、千切れてしまう気配すら感じられなかった。


「ピュリリュ、リリュティ」


 緑あふれるソサリア王宮の中庭や北の庭園が遊び場である彼らにとって、木登りは朝飯前。これならば、落ちることなく下までたどり着ける――ナルニエとピュイは目を見交わし、キュイは嬉しそうなふたりにつられて上機嫌で身をくねらせ、賛成したのである。





「そういや、ここに来るまでにさ、地面にボコボコと穴開いてたけど。あれってなんなんだ?」


 『月狼王』スマイリーの背に乗って揺られながら、リューナは自分の後ろに座っている友人に訊いた。


 ディアンたちの住まいに向かっていた時には気にも留めなかったが、この土地にはそこかしこに崩落したような窪みが存在しているのだ。それも、ひとつやふたつではない。


 かなりの量の水が溜まっている窪みもあり、純度の高い宝石さながらに深みのある青の色彩に光り輝いてみえる。まるで特別な聖域のようでもあり、森深く樹々の枝葉によって覆い隠されている秘密の場所のようにもみえた。


 あぁ、と得心したように頷きながら、ディアンが口を開く。


「このあたりは地下水脈が豊富で、地面の下に洞窟が何百と存在しているんだ。水の透明度が高く、水深もかなりある。タリスティアル王国には地表の河川より、実は地下河川のほうが多いからね。大昔に抜け落ちた場所なんかには、奥のほうまで植物が入り込んでいたりするんだよ」


「空を飛んでいると、それらがとてもよく見えるの。気候で植生がどんどん変わったりする場所では、大きな陥没の跡を道標みちしるべの代わりに覚えておいたりするのよ」


 エオニアが笑顔で言葉を足した。


 友人たちの背にある白い翼は、太陽の光を受けて眩しいほどに輝いてみえる。本来ならば、ここタリスティアル王国では空を行くことの多い飛翔族なのだが、いまはリューナたちに付き合って地上を疾走する幻獣の背に座り、お喋りを楽しみながら移動していた。


 巨大な体躯に俊敏かつ高い移動性能を有するスマイリーは、地上の穴などお構いなしで驀進ばくしんしている。いつもはトルテを巡って張り合うことの多いナマイキ幻獣だけど、こういうときは素直にスゲエって思えるよな――リューナは深く息を吸い込んだ。


 風が耳元で渦を巻き、心地良さとともに後方へ吹き抜けてゆく。南国の昼下がりの陽の下でも暑さはほとんど気にならなかった。すずやかにどこまでも青く澄み渡った水面みなもの上を、強靭な脚力と速度に任せて滑るように平行に跳び越えると、思わず叫びたくなるほどの爽快感に満たされる。


「最高に気持ちいいったら! なッ、トルテ!」


「本当、とても気持ちいいですね。神秘的な場所……ナルちゃんたちも一緒に来れたらよかったのですけれど」


 リューナと同じく感動に目を輝かせていたトルテだったが、残してきたナルニエたちを思ったのだろう、すぐに表情を曇らせてしまった。その肩を、エオニアが軽快に叩く。


「大丈夫よ、トルテちゃん! あのね、わたしたちの家の近くにも、すっごいきれいな場所があるから、今度案内するわね。結婚式のあとにも、ゆっくり滞在してくれるんでしょ?」


 エオニアが明るく声をあげると、ディアンも言葉を重ねた。


「リューナ、すぐには帰らないよね? せっかく逢いにきてくれたんだ。ゆっくりしていってくれると僕たちも嬉しい」


「あぁ、そうだな。もし新婚の家に泊まりこんでお邪魔じゃなければ、ふたりを祝って祝って、祝いまくってやるぜッ!」


 リューナは腕を振り上げるようにして力強く答えてみせた。わざとらしいほどの勢いに、トルテがくすくすと楽しそうに笑う。その笑顔を見て、リューナはホッと息を吐いた。


「それにしても、地下の洞窟がたくさんあるのですね。探検のしがいがありそうですね、リューナ」


「だな!」


「タリスティアルにはね、それ専門の調査団がいるんだよ。季節の変わり目ごとに、冒険者を雇って地下の地図を作るために調べているの」


「冒険者を雇って、ですか?」


「そりゃあね、洞窟の中は魔獣たちのなんだもの。この辺りは夜行性が多くて、昼間から地上に現れるのは滅多にないんだけど、剣呑な種類もかなりの数が生息しているから」


「大森林アルベルトの南東部が焼けちまう前は、そんな感じだったよな。人肉喰らうヤツとか、一晩で畑全部掘り返して駄目にしちまうヤツとか。街道は滅多なことじゃ荒らされないけど、昔は酷かったらしいし」


「では、都市から離れて暮らしているおうちのかたは、大変な思いをされているのではないでしょうか。こちらでも、魔物除けと警戒の魔道具の配給は為されているのですか?」


「ソサリアはそういう面でも進んでいる国だと、僕は思う。タリスティアルではそこまで国が保障してくれるわけではないからね。でも大丈夫、こちらの人々はできるだけまとまって、大家族で暮らしていることが多いから。僕たちみたいにひとりやふたりで住んでいるほうが珍しいんだよ」


「それはもしかして、魔導士だから……なのか?」


「その通りよ。王国の中でうまくやっていくには、あまり目立つわけにはいかなくて……。両親もずっと、王都から離れた今の場所で暮らしていたの。幼い頃には同世代がひとりも居なくて寂しい思いをしたけれど、おかげで素敵な友だちと出逢えたんだし、あまり気にしていないわ」


 絶えず明るかったエオニアの表情が僅かにかげる。けれど、その「友だち」が寂しさを相当に慰めてくれていたのだろうか、それともかけがえのない大切な想い出でもあるのだろうか、口もとには温かな笑みが浮かんでいた。


「もうずいぶんと逢っていないけれど、今でもきっと互いに憶えていると信じてるの。そういえば、地下地図のことなんだけど、崩落で現れた新発見の入り口もあって、完成には何十年とかいわれてるそうよ。まだまだ調査されていない奥の洞窟もいっぱいあるから、ふたりとも興味あるんじゃない?」


「グルルルゥッ」


「あら、ごめんね。スマイリーくんも追加っ! 一緒に探検できたらいいわね。――あ、ほら、見えてきた! あの緑と茶色の縞々みたいになっているところ。あそこがメリダの丘よ」


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