歴史の宝珠 7-12 時のヴェールを越えて

「だ、大丈夫なんですか。ケンカ、ではないですよね?」


 すさまじい一部始終を見せられたトルテは、目をまんまるにしている。リューナも目を開きっぱなしだったので、まぶたを押さえて軽くマッサージをした。


「とんでもない。良い上司と部下ですよ」


 ハイラプラスが裏表のない微笑を浮かべる。その顔をみて、いちいち反応していたら疲れるだけだから気にしないほうがいいな、とリューナは心に留めておくことにした。


「それで、あんたが『歴史の宝珠』を作っているという話だが――」


 さっそくリューナは話を切り出した。


「本当なのか? 時間を越えて移動する装置を、何故作ろうと思ったんだ。それにコードとか言っていたのは何のことだ?」


「やれやれ、若い人はせっかちですね。まずは順に説明させていただけませんか。お茶はもう少し時間がかかりますから、その間に、ね」


 ハイラプラスは口元から笑みを消した。


「まず、この状況から説明しておきましょう。先ほどの場所は、トリストラーニャエリア百八十七番街区、第一の塔です。この場所はミッドファルースエリア十番街区、ガンダルアルスの塔内部フロア八になります。時代は、そうですねぇ、王国の建国から数えると今年で三千二百年になりますか」


 これで伝わると良いのですけれど、とハイラプラスは肩をすくめた。


「あたしたちは」


 トルテが言いかけたが、ハイラプラスが手を挙げてそれを制した。


「未来のことは知らなくても良いと思っていますから。すでにいろいろ情報は頂きましたし、これ以上聞くつもりもありません」


「情報って、『歴史の宝珠』のことか」


「のちに伝わっている名前が、それなのですか。ちょっとセンスがありませんけれど」


 ハイラプラスは苦笑して話を続けた。


「作っているほうは、もう最終段階です。後世まで残っているなんて光栄ですよ。こうしてあなたたちに逢えたのですから。あとで実際に、お見せしましょう」


 ハイラプラスはゆっくりと微笑み、ソファーに背を預けた。


 すぐに、コンコンとちょっと力の込められたようなノックが聞こえた。部屋の主の「どうぞ」という声に、扉が開かれる。先ほどの女性が、トレーを手に戻ってきたのだ。トレーにはカップが四つ載っていた。


「自然の香草のお茶です。ルエイン自慢のブレンドですから、疲れもきれいに取れると思いますよ」


「ありがとうございます」


 トルテが微笑んだ。リューナも感謝の意味で軽く頭を下げた。


 テーブルにカップを並べた女性は、トルテとリューナにはにこやかな笑顔を向け、ハイラプラスには上目遣いの睨むような視線を向けた。


「先生、くれぐれも気をつけてくださいね。ゼロ番街区では先生を探し回っているとか、今朝から妙な動きがあるんです。もしかしたらドゥルガーが……」


「わかったわかった。気をつけますよ。あの男のことも、あとから確認させましょう。さて、と――どこまで話しましたか」


 ハイラプラスはリューナたちに向き直った。立ったままのリューナとルエインに向け、座るようにと手を振って、おもむろに口を開いた。


「あなたたちの目線から、この時代のことを説明しておきましょう。文明の名は『グローヴァー』、主に魔導という技術によって支えられている、全世界を統治している王国です。王国といっても、ひとりの王ではなく、五つの種族から選ばれた五人の王が共同統治を行っています」


 そこで言葉を切り、香草茶をひと口飲んだ。カップの中で揺れている水面を見つめながら、ハイラプラスは言葉を続けた。


「小さな権力争いはありますが、建国以来、大きな戦争は起こっていません」


 ルエインは不思議そうな顔をしていたが、口を挟まなかった。なぜそんなわかりきったことを説明しているのか、と疑問に思っているのが表情にありありと出ていたが。


「魔導技術による便利な道具や建造物が世にあふれていますが、真に魔導そのものを行使できる者は多くはありません。一般的な市民は、その技術を使うことはできても、同じ現象を自分で作り出すことができないのです」


 リューナとトルテがわずかに首を傾げているのを見て、ハイラプラスはカップを置いて立ち上がった。すっと手を掲げると、部屋の照明が落ちた。窓がない部屋の中は一瞬にして闇に沈んでしまった。


「明かりが欲しいとき、どうしますか?」


 ハイラプラスが言い終わらないうちに、リューナの手のひらに光の球が浮き上がり、部屋のなかを照らし出した。『光球ライトボール』という、光属性の初歩的な魔法だ。


「そう、明かりを作り出せばよいのです」


 ハイラプラスは微笑んで頷いていた。ルエインはまじまじと、光の球に照らされている男の子の顔を見つめている。


「あなた、よく見るとコードがないのね。でも――」


 その言葉に、リューナが反応した。


「ここに来る前にもコードがどうとか言っていたな。いったい何のことなんだ」


「あなたね、ガキんちょのくせに、おとなに口を利くときの態度ってものがあるでしょうが」


 ルエインの表情が変わった。目の端がつりあがっている。


「まあまあ、あなたも他人のことはいえませんから。そのへんで」


 火に油を注ぐようなことを言ったが、たぶんハイラプラスはなだめようとしたのだろうとリューナは思った。


「魔導を自ら操れない者には『魔導識別コード』というものが体に付与エンチャントされています。わたしたち――いわゆる統治する側の者たちが視ることができる番号なのですが、それは同時に身分証としての役割がありまして」


 ハイラプラスがもう一度手を掲げた。部屋の照明が灯り、再び明るい光が戻った。リューナは手の中の光の球を消した。


「このように、明かりを操作することから、交通手段や扉、道具や調理家電に至るまで、様々な文明の利器を使うために必要な力となるのです」


「そうか、普通は自分の魔力を流し込んで操作するものだからな。それにしても、なぜそんなことに」


「古代グローヴァー魔法王国は、魔導の力で栄えていた国です。国民の皆さん全てが魔導士ではなかったのですか?」


 トルテの言葉に「とんでもない」とハイラプラスは笑った。楽しい笑いではなく、自嘲的な笑い方だった。


「三千年以上も続いている文明です。種としても衰退しているのかもしれませんね。誰でも便利な道具を使いこなすことはできても、誰もがその道具を生産することはできないでしょう?」


 それに……、とハイラプラスはトルテの無邪気な顔を見つめた。


「やはり、あなたたちの時代には、私たちの文明は滅び去っているみたいですね」


 ふぅと息を吐いた銀髪の男に穏やかな視線を向けられ、トルテはハッと口に手をやった。


「あ、そういえば。ご、ごめんなさい」


「過去形で語られた歴史でしたからね。でも、謝ることはありませんよ。嘘は私には通用しませんし、この時間からどのくらい未来に滅びるのかは聞かないことにしておけばいいのですから」


 ルエインが立ち上がった。激しい口調で声を荒げた。


「どういうことですか、先生! この子たちはいったい何なんです! 私にもわかるように説明してください」


「あとで説明しますよ。とはいえ聡明な君のことです。私の研究を手伝ってもらっているんですから、もう気づいているとは思いますけど」


「ではまさか――」


 ルエインはごくんと喉を鳴らし、リューナとトルテを交互に見つめた。


「そう、未来から来たのです。私が完成させるあの装置でね」


 ハイラプラスは口の端を引き上げるようにして微笑んだ。指をパチンと鳴らす。壁の一部が透き通り、ぽっかりと失せた。そこは研究室に続いていた。


 奥の部屋、台座のようなものにごろりと転がっていたのは、間違いなく『歴史の宝珠』――しかも、完成直前のものであった。


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