白き闇からの誘い 6-4 千年王宮の秘密

 テロンは語りながら、傍らを歩く娘に目を向けた。背の高いふたりに遅れないよう、とことこと急ぎ足に歩みを進めながら、テロンと目が合うと何でもないことのようににっこりと微笑む少女に。


「俺たちはルシカのことをよく知っている。それで充分だろ?」


 テロンは微笑んできっぱりと言った。その揺るぎない表情のなかにあるものを見て、クルーガーは「そうか」と息を吐いて納得した。それが信頼や愛という名で呼ばれるものだ、と気づいたので。


 結婚してからの弟の落ち着きぶりには、目を見張るものがある。クルーガーは長く息を吐き、気持ちを切り替えたようにもう一度表情を引き締めて語った。


「こちらの船の準備には、すでに指示を出しておいた。これから航路などについて相談がしたい。このまま海図と文献を見せてもらいたいのだ」


 クルーガーは正門から王宮に入り、そのまま東エリアにある図書館棟に足を向けた。陽光の中で目に眩しいほどに輝く白亜の外壁を通りすぎ、中庭を一周する柱の影と光が織り成す光の縞模様の中を進んでいく。


 もう手回しが進んでいるほどに切羽詰まっているということだ――テロンとルシカは顔を見合わせ、王衣をまとったまま進んでいく背中を追いかけた。





 昼の光のなか、図書館棟の一階は心地よい光にあふれていた。けれど、天井や壁に貼られている魔法王国期の地図や海図、現在の地図などには、太陽の光が直接当たらないように配慮してある。建造当初からこの塔は多くの書物を集め、保存するために存在している。うまく光を取り込みつつ、和らげ、内部を明るく保っているのだ。


 図書館棟は、宮廷魔導士の管理下にある。けれど文官の多くは最高責任者の意向のままにざっくばらんで自由であり、書物のことが好きでたまらないという者たちの集まりである。突然の国王陛下の訪れにもまったく動じていないのであった。


 もともと、王子のときから頻繁に出入りしていたこともある。それに、ここの者たちが緊張するときには、魔術や学問を志す者たちの憧れの的であり、今は亡き大魔導士ヴァンドーナが訪れたときくらいだっただろう。


 ルシカも、祖父であるヴァンドーナを亡くしてから4ヶ月も経つというのに、いつも扉を開けたときに「おじいちゃん」と声をあげそうになることが何度もあった。それほどまでに、彼の存在が馴染んでいる場所なのだ……ミルト郊外の我が家を除けば。


 感慨を振り払い、ルシカは文官のひとりに巻いた大判の海図を持ってくるように言った。自分は地下の『真言語トゥルーワーズ』保管庫に降り、別の巻物を持ってきた。


「海図では、そのような島があるとは確認できないかも……。それもこれも、2千年前に消えたミッドファルース大陸消失の折の天変地異の名残なのかもしれないけれど、地形の変化があまりに激しすぎて、調査もできていない場所がたくさんあるから」


 ルシカはそう言い置いてから、閲覧室の長机に自分が持っていた巻物を広げた。それは海図であった。まだ調査中の箇所もあり、ルシカ自ら書き込んだところも多い非公式の物だ。


 それと並べるように、文官が持ってきた海図も広げる。こちらはちまたにも出回っているものである。


 せんの『浮揚島』クリストアと呼ばれる呪われし島が消失してから、海流はまたその流れを変えていた。『無踏の岬』から北に続いていた船の墓場と恐れられた難所は海深くに没し、現在は比較的安全な海になっている。


 そこからさらに北へ進めば、魔の海域がはじまり、そこを避けて東に進めば、ラムダーク王国のある三日月列島に着く。その周辺から、海の名はミナリオ海となるのだ。魔の海域と呼ばれる場所までが、グリエフ海なのだ。


「もし、『浮揚島』となって消失したクリストア列島のことを知らなければ、今まで通りの薄い迂回ルートを通って三日月列島の港からこちらの港まで来ることになるのだな」


 クルーガーが、公式の海図に指を走らせながら訊いた。


「そうよ。でも北に進路を取りすぎていたら、もしかしたら魔の海域の魔獣に出会う可能性も格段に上がってしまうわ」


「あの辺りの海流は、安定しているとは言えない、難所でもある。もしかしたら運悪く予想より北に流され、襲われる危険もある」


「魔獣に――か」


 クルーガーは厳しい面持ちで言った。


「大型の、とはよく聞くが、実際にはどのくらいのものなのだ? その魔獣というやつは」


 ルシカはテロンと顔を見合わせた。オレンジ色の瞳を僅かに揺らし、迷いながら口を開く。


「……うーん。あたしだって予想くらいしか言えないけれど、目撃されたものでこの王宮の棟ひとつぶんくらいもあったって。それにもしかすると、王都をすっぽり囲んじゃえるくらいの海蛇も居るかもしれないわ」


「いくらなんでも言い過ぎじゃないのか」


 クルーガーは笑ったが、ルシカの真剣な表情を見て笑いをすぐに引っ込めた。どうやら冗談でも言い過ぎでもないらしい。ルシカもテロンも、危険に関してはあまり楽観的な考えをしない主義なのだ。――そうでなければ、生き残れない。


「捜索に関しては、ある程度予想をしながら、行き当たりばったりということになりそうだな」


 テロンがうめくように言った。ルシカが書き込んだ非公式のほうを見つめている。話しながらも、ルシカは手早く新たに線を引いていた。考えられるラムダークからの船が通る予測範囲、そして行き着ける可能性のある範囲だ。


 その線が囲んだ範囲には、島があるという表記はなかった――地形や海流が把握されている範囲外なのだ。


「一応、あたしが出来る限り魔獣やひとの気配を探りながら進んでいくけれど……」


「ルシカも四六時中、休みも睡眠もなしでっていうわけにはいかないだろう。目視で探すとしても、方向さえわかるなら何とかなりそうだが」


「方向に関しては、あたしの『方向察知インファーディレクト』に任せて。常にこの王宮に照準を合わせておいて、それで方角を正確に知ることにするわ。現地では磁気が狂っているし……羅針盤も役には立たないと思うから……」


「かなり危険な旅になりそうだな……。ルシカの魔導の技も必須ということになるな」


「ええ。むしろ、魔導の力に頼れないはずのラムダークからの捜索船たちのほうが心配だわ」


「慎重に進むようには、できるだけ伝えておこう。――できれば犠牲はないほうがいい」


「……うん」


 ルシカが眉を曇らせ、うつむく。自国の民でなくても、無駄に生命が失われることにならないか心配なのだ。


「というか、ルシカが行くことが前提なわけだからな。俺も行く」


 テロンは決然と言った。弟の目に宿る光を見なくても、クルーガーにも反対する理由はない。


「俺が用意させているのは戦闘用帆船ブリガンティンだ。あまり大きな船で船団を組むわけにもいかないからな。帆と、櫂を備えている船を出す」


「いい判断だと思うわ。もし魔の海域に入り込んだら、風も海流も役に立たないものね」


 遭難が意味するものは、死だ。ソサリアが所有する軍船のなかに、海賊から徴収した戦闘用帆船ブリガンティンがあるのだ。その船ならば、いざとなれば漕いで進むこともできるよう、帆と櫂の両方を推進力とすることができる。


「そういえばルシカ、大丈夫なのか? だっておまえは――」


 テロンが何かに思い至ったように口を開いた。


「え、何?」


 考えを頭の中でまとめていたルシカは顔を上げ、テロンの瞳を真っ直ぐに見つめた。


 テロンは別のことを指摘しようとして、考え直し、他の話題を口にした。


「あ、いや……ああ、そうだ。グリマイフロウ老に、さきほどの伝承についてもっと聞いておくべきだったかなと思ってさ。北の海域にある島だっていうんだろう、遭難して助けを待っているという場所は。だとしたら――」


 テロンの言葉に、ルシカの目がみるみる見開かれる。


「だとしたら、そこが王宮を建造した人たちが去った島かもしれないってことなのね!」


「あ、いや、まあ早計そうけいかもしれないがな。そういう可能性も否定できないだろうと思って」


「――ちょっと待て、何の話だ?」


 クルーガーが身を乗り出す。話題を逸らそうとして咄嗟とっさに持ち出した話とはいえ、テロンは兄の瞳の輝きを見て後悔した。――好奇心に身を焦がす性分なのは、ルシカだけではなかったのだった。新技術の話をルシカが話しはじめるのを見て、テロンは止めようかどうしようかと迷ったが、もう遅いだろうことはわかっていた。


 それに、どうせ兄の頭のなかの計画は変わらないはずだ。――はじめから一緒に行くつもりだった、と。


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