絆 4-1 捜索

 『竜の岬』とはソサリア王国の北端にある、ふたつの岬のうち西側の地名である。


 まるで竜の頭部のような突端の地形と、尾のように連続して岩場が波間から突き出している地形が広い内海を囲っているので、大昔に名が付けられたらしい。良質な漁場が幾つもあるので、内海のあちこちに村や町が点在している。


 ちなみに、東側の岬は『無踏の岬』と呼ばれる危険な領域であり、ひとや動物が住める場所ではない。


 ルシカは、『竜の岬』周辺全域の海図を広げていた。


「この内海には、反時計回りの海流があるの。……『竜の岬』のこの場所から流れ込み、マイナムの辺りから再び外海に出て北に抜け、『無踏の岬』西側までたどり着く。時間経過から判断して、この区域エリアから中心に捜索を始めてください」


 あの夜の現場、絶壁へ続く断崖より少し西に進んだ場所に、天幕テントが幾つも張られていた。中央にふたつ張られた天幕のひとつを捜索の拠点として、王宮の直属兵たち、周辺都市からの協力部隊を集め、ルシカは指示を出していた。


 ――未だ行方不明の王子、テロンの捜索である。もう二日が経過していた。


 王都ミストーナから岬までの間にある都市ロスタフから、詳細な海図を取り寄せたのである。その海図を広げ、ルシカは次々と細かく捜索隊を振り分けた。


 彼女は一睡もしないままテロンの無事を祈り、捜し続けていた。


「ありがとうございます。みなさん、どうかよろしくお願いします」


 説明が一段落すると、ルシカは捜索に係わる全員に向かって頭を下げた。恐縮して、頷き、全員が担当の場所に向け急ぎ足で散っていった。


 天幕に残ったルシカと数人の兵士は、地図に描かれた印を見て頭を抱えた。捜索し尽くして、見つかる可能性が低くなった場所を示す印だ。


「……ルシカ様。お気持ちはわかりますが、どうか少しでも良いので休息と食事を――」


 付き添っていた兵士のひとりが、疲労困憊した様子の宮廷魔導士を気遣って声をかけた。彼女を動かし続けているのは気力のみ。いつ倒れてしまってもおかしくない状態であった。


「いいえ、大丈夫です」


 ルシカは首を振って断り、すぐ海図に意識を戻した。ひとつ頷き、目を上げる。周辺の地形とともに、地図を全て記憶したのである。


「あとを頼みます。私はもう一度、海の上から捜索してきます」


 ルシカは机の傍に立て掛けてあった『万色の杖』を握り、天幕の外に出て行った。その言葉を聞いた兵士が顔色をなくし、慌ててルシカの背を追いかける。


「ルシカ様! これ以上はお体が持ちません。どうか無茶をなさらないでください」


 自分より背の高い兵士の、心の底から心配してくれている瞳を見上げ……ルシカは口元を微笑みの形にした。


「ありがとう。……でも、あたし待ってなんていられない。捜しにいくわ」


 天幕の外で杖を構えた。両腕を開き、円を描くように回して、指で印を組んで虚空を切り開く。魔導の力を行使するための準備動作だ。


 魔法陣は一瞬で完成した。周囲の気配を圧倒し、空気が渦を巻いた。そうなると、兵士たちも離れざるを得なくなる。


「ルシカ様っ!」


 青に輝く魔法陣が、少女の体を包み込むように展開された。兵士たちの叫び声を置いて、ルシカの体が、まるで重力から解放されたようにふわりと宙に浮き上がる。兵士たちの伸ばした手も届かないほどの高さであった。


 『飛行フライ』の魔法を行使したのだ。本来は『空間』の力を持つ魔導士のみが扱うことのできる最上位魔法のひとつである。


 だが、ルシカの魔導の力には、あらゆる制限から解き放たれたものの象徴である『万色』の名がついている。行使には何の問題もなかった。――大量の魔力を消費するという以外には。


 ルシカの体は空中を滑るように、海上に向けて飛び立った。少し離れた岩場――テロンと『黒の教団』の指導者がともに落ちた場所の付近から捜索を始める。


 絶壁の真下は、海底からも大きな岩が幾つも突き上げられ、たとえ小船であっても傍までは進入することができない天然の要塞となっていた。


「何か手掛かりがあれば。テロン、テロン……」


 二日前、大量の血の跡がべったりと残されていた岩場に目を向けた。すでに潮の満ち引きがあったので、血は洗われている。ルシカは唇を引き結び、海底にも魔導の目を凝らしながら、何事も見落とさないように周囲の海を旋回した。


 何度目かの旋回の途中、ふっと、意識が飛んだような感覚があった。


「え……きゃっ」


 危うく、白い泡が立っている岩場に突っ込むところだった。慌てて精神を集中させて宙に浮き上がる。


「……やばいかも。さすがに、これ以上――も、た」


 かすみがかかるような意識のなか、ルシカは陸に戻ろうとして、宙を滑るように降下した。


 体勢を立て直すが――いよいよ魔力マナを使い果たしてしまったようだ。加えて、睡眠も食事も満足に摂れていなかったため、体力まで底をついたらしい。


 ルシカの体がふらっと揺れ……海に、落ちた。


「ルシカ様!」


 遠くから、さきほどの兵士の声が聞こえた。だが、体が海に沈み、こぽりと音が消えたのを最後に……ルシカの意識は途切れてしまった。





「――ルシカ」


 聞きなれた、低いが爽やかな印象の声が彼女の名前を呼んでいる。ルシカはひとり、塗り込めたような闇の中にいた。


「テロン?」


 ルシカは青年の姿を探して、手探りで彷徨さまよった。


「――ルシカ」


 声を頼りに、暗い中を進んでいく。


「テロン、テロン! ねぇ、どこにいるの?」


 必死で声を掛けながら闇の中を進む。だが、声の主がどこにいるのか、方向すらさっぱりわからなかった。


「テロン!!」


 ――目を開くと、そこにクルーガーの顔があった。


「あ……」


 ルシカは呆然とした表情で、食い入るようにこちらを見つめているクルーガーの青い瞳と、自分が置かれている状況とを見回した。


 幾重にも重ねられた布の外で吹きすさぶ風の音、遠く近く感じる大勢の気配……。暖かい掛け布にくるまれ、天幕の中にしつえられた寝台の上に寝かされている。頬が、ぼぅっと熱くなっている気がした。目蓋も重く、視界がもどかしいほどにぼんやりと霞んでいる。


「気がついたか、ルシカ」


 クルーガーは身を乗り出すようにして、ルシカの顔を覗き込んでいた。表情が僅かにゆるめられ、ふぅっと息を吐いて、端正な顔が離れる。傍にあった椅子に座ったらしく、目線が少し下がった。


「今は真冬だぞ、ルシカ。無茶にも程がある」


 厳しい声で、クルーガーは言った。だが、目には気遣うような光が湛えられている。


「意識を失って海に落ちたんだそうだ。兵士が数名海に飛び込んで、君を助けたらしい。俺がここに来る一時間ほど前のことだ。ちなみに、俺が着いてから四時間は経過している」


「そんなに?」


 ルシカは声をあげたつもりだったが、かすれたような弱々しい声しか出てこなかった。


 クルーガーの手が伸ばされ……ルシカの額にそっとあてがわれた。彼女を気遣う気持ちが痛いほどに伝わってくる。テロンと同じ大きな手は、ひんやりと冷たく、心地よかった。


「まァッたく、無茶ばかりするんだな」


 クルーガーはため息をつき、言葉を続けた。


「高い熱が出ている。聞いたぞ、一睡もせず、捜索を続けていたらしいな」


 ルシカが叱られた子どものように、掛け布を口元まで引き上げる。


「ごめんなさい、クルーガー……あたしが一緒にいたのに、テロンをこんな――」


「ルシカ、君のせいではない。大丈夫だ、テロンは生きている」


 クルーガーの言葉に、ルシカが目を見開く。


「双子の勘ってやつだよ。俺が誘拐されちまったときにも、テロンの勘が当たっていただろ?」


 ぱちんと片方だけ目を閉じて微笑み、クルーガーはルシカを見つめた。


「……無事だというなら、なおのこと寝てなんていられない」


 ルシカは上半身を起こし、素足を寝台から床に降ろした。


「あたし、テロンを探しに行きます!」


 少し離れたもうひとつの椅子に、立て掛けるようにして『万色の杖』があった。歩み寄ろうとして――高熱でルシカの目の前がふっと闇に沈み、体が床を目がけて倒れかかる。


「ルシカ!」


 素早く動いたクルーガーが、膝をつくようにして全身でルシカの体を受け止めた。


「おまえは、言っているそばからこれか……!」


 ルシカを抱きしめる腕に力を込め、クルーガーは強い口調で言葉を続けた。


「……ルシカ。これは友人として、そしてテロンの兄として言っておく。もしおまえが死ぬようなことになったら……テロンは許さないと思うぞ」


 それから、とクルーガーは彼女の耳に唇を寄せ、静かに言い切った。


「俺も、許さない」


 ルシカはオレンジ色の目を見開いた。クルーガーの胸にしがみついたまま、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。今までひとりでこらえていた想いが、堰を切って溢れ出したのだ。


「……ぅ……ふっ。うわあぁぁぁぁんっ」


 ルシカは大声で泣き出した。天幕の周囲には、双子の王子や宮廷魔導士の繋がりを心得た者たち数人を残しているのみだ。たとえ怒声や泣き声を聞かれても大丈夫なように、人払いをしてあった。捜索隊は出払っている。


「テロンがもし今のルシカを見ていたら、きっと抱きしめていただろうから」


 そうつぶやきながら、クルーガーはルシカが泣き止むまで、髪を優しく撫で続けた。


 彼にとって、その言葉が自分に対しての言葉なのかルシカに言い聞かせているのか、その真意は定かではなかった。


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