第3節 卑屈な殺意

「え……」


 詩凪は柾と榊を代わる代わる見つめた。自分の兄を組み伏せる柾。押さえつけられ限られた視界の中でもがく榊。

 柾の言うことが嘘だとは思えなかった。けれど、榊が両親を殺したという事実も信じられない。受け入れられないのではなく、ピンと来ない。柾たちの父にしてもそうだが、穂稀と霧沢は、隣人としてはそれなりに良好な関係を維持していたと思うから。

 それに、榊が自分の父親を殺すなんて、それこそ信じがたかった。霧沢家の家族間の仲は、端から見るぶんにはそう悪くはなかったのだ。厳しくも父と、子供たちの成長を優しく見守る母と、責任を背負い勤勉に物事に励む兄と、弟と。仲睦まじい理想的な家族、とは言えないまでも、世間一般では“普通”に括っても良さそうに思えた。

 ああ、でも――、と詩凪は最近二人に対して違和感を覚えたのを思い出す。弟の予定を把握していない榊と、“兄弟”の言葉に過剰に不快そうな反応を見せた柾と。

 それが、兄による父殺しの所為だとすれば、柾はいつその事実を知ったのだろうか?


「おじさんとおばさん、そして父さんの身体には、霧沢家の魔術の跡が残っていた。けれど、どれも切ったというよりも裂けたと言っても良いような、傷口の粗さが見られた」


 詩凪は驚きをもって柾を見つめた。自分の親を失ったショック状態で、よくそのような細かいことに気が付いたものだ。そもそも詩凪など、親の死に直面するのが怖くて、傷跡どころか死に顔も碌に見ることができなかったというのに。


「兄さんは短気な上に短慮だから。なんでも力任せにやってしまう」


 呆れた物言いをする柾に反発心を覚えたのか、床の上で懸命に首を捻って柾を睨み上げた榊は顔を真っ赤にして喚き散らした。


「そうやって……お前はいつも俺を下に見る! 弟の癖に!」

「さんざん注意されても直さないほうが悪いと思うよ。忠告を侮蔑と受け取るのも兄さんの悪い癖だ」


 それからふと、遠くのものを見るように目を細めた。


「その兄さんを、これでもかというほど、父さんは気に掛けていたというのにね」


 それでも怒りの炎を鎮める様子のない兄に柾は肩を竦めると、やれやれ、と首を振った。そうして再び開いた彼の目は、冷たい光を宿していた。

 触れれば凍りついてしまいそうなほどの、冷酷な眼差し。


「父さんは、兄さんと同じく被害妄想を抱いて、他人の所有物を求めるような愚か者だけど……薄情な僕だって家族に対して情はあったんだ」


 もっとも、兄さんが父さんを殺したと知った瞬間に露と消えてしまったけどね、と告げた。何でもないことのように、あっさりと。その素っ気ない様子が、如何に柾が兄に対する関心を失っているかを知らしめている。


「その上、おじさんとおばさんまで。詩凪がどれほど悲しんだと思っている」


 続けられた言葉に、詩凪は目を伏せた。心が両親を喪ったその瞬間にまで還りそうになる。両親の死よりもなによりも、誰かに殺されたという事実が辛かった。両親が殺される謂れを持つような人物でないと信じていたから、それを揺るがされてしまったようで、辛かった。

 そんな心情を理解してくれていたのだろう、柾は一度詩凪に憐れみの眼差しをくれた。しかしすぐに、冷徹な眼差しで兄の方を振り返る。


「だから僕は、兄さんから何もかもを奪い取ってやろうと、今日まで動いてきた。桝水ますみに協力を頼んで、詩凪まで裏切ってね」


 詩凪は凌時のほうを見た。視線が合った彼は、気まずそうに頬を掻き、視線を逸らした。

 ノエに連れ去られた詩凪の場所を突き止めたこと。

 たった一枚だけ、凌時が知り得ず、今にして思えば手に入れようもないページを持っていたこと。

 そういうことだったのか、と納得する。


「目的までは聴かされてねーけどな……」


 仏頂面でぼそりと呟く。

 柾はそんな凌時に視線を向けて、少しだけ眦を下げた。


「悪かったよ」


 凌時は鼻を鳴らした。不貞腐れた表情はいつものもので、少し気が緩んだ詩凪は、ここに来てようやく柾が裏切っていなかった事実に喜びを覚えた。

 しかしそれも、糾弾する柾の声で煙のように立ち消える。


「さあ、教えてよ、その下らない理由を。どうして父さんを殺した?」


 冷ややかに落とされた柾の声。後ろに両手をまとめあげられ、背中を押さえつけられ身動きできない榊は、観念したのか口を開いた。


「あの人は、臆病者だった」


 絞り出すような呻きの中に榊が吐露した内容に、柾は


「どれほど説得しても応じない穂稀の当主に対し、それでもあくまで説得で〈異録〉を譲り受けようとした。それが我慢ならなかった」


 その日の夜もそうだった。霧沢は榊をつれ、詩凪の父の下を訪れた。今日こそ、と言っていた割に、詩凪の父に言いくるめられ、押し負けて、目的を果たすことができなかった。

 もう、そんなことが何度も続いたのだという。ずっと同じことの繰り返し。しかも、譲り受ける見込みなど少しもありはしない。

 焦れた榊は、行動を起こした。惨敗し、背を丸めて帰りを促す父に、懐の触媒を振りかざしたのだ。

 そして、霧沢の心配をして身体に飛び付いた詩凪の父を切り、二人にお茶を、と執務室を訪れた母を切った。


「……どうしてそこまでして、〈異録〉が必要だったんですか?」


 怒りを押し殺して、詩凪は問い掛ける。


「ただの魔書でしょう!? 人を殺してまで手に入れるようなものではないのに!」


 〈ルルー異録〉は確かに強力で危険な魔書だ。存在を知る魔術師の中に欲しがる者がいるのも知っている。だが、魔書は所詮物に過ぎない。両親が――誰かが死ななければいけないようなものではないというのに。

 しかし、榊は詩凪の言葉に色めき立つ。


「〝ただの〟? 専門家の癖に、あれを見てそう言うのか」

 


 だからお前たちなどに任せられないというんだ、と榊は叫ぶ。


「あれは力だ! ただの魔術教本じゃない。町を狂わせ、世界から隔離させる強行を一魔術師に決断させるほどの禁忌の力が秘められている魔書だぞ! 人間の理を容易に歪め、世界を混沌に陥れることすら不可能ではない驚異の書。あれがあれば、我が霧沢はレジェ家に――」

「……馬鹿馬鹿しい」


 熱弁する兄の言葉を遮り、柾は嘆息してみせた。


「勝手にレジェ家に対抗心を燃やしているけどさ、あちらとは互いに不干渉、そもそも僕ら、あの家に何かされた覚えはないでしょう」


 榊は弾かれたように顔を上げた。


「それは……っ。お前が何も知らないから……っ!」

「知らない奴の事なんて、それこそ放っておけよ」


 ぴしゃり、と兄の反論を一蹴する。

 悔しそうに表情を歪める榊から、詩凪は両親の件を忘れ、霧沢家の実状に思いを馳せた。柾の言うとおり本家のほうからは何もなかったとしても、周囲が霧沢を放っておかなかったのではないか、と。


 共感、とまで呼べなくても、穂稀も似たような経験はある。ただ魔書を修復できるだけで魔術師を名乗るなんて烏滸がましい、と言われることがたまにあるのだ。ルリユールの仕事に誇りを持つ父は、気にすることはないと常々言っていたし、詩凪もそうしてはいるけれど――。

 口さがない者の批判は、多少なりと負担になるものだ。


 ――だからといって、両親を殺したことを、赦せるはずもないのだけれど。


「劣等感を持つのは勝手だけど、それで親を殺すなんて、ホント兄さんはどうかしているよ。しかも、自分の親に罪を擦り付けるなんてさ……」


 は、と詩凪は息を詰めた。柾ははじめ、父が詩凪の両親を殺した、と言っていた。それは柾自身が兄から聴かされていたことだったのだ。

 嘘を嘘と知ったときの柾の心境を思うと、胸が痛かった。


「父さんが臆病者なら、兄さんは卑怯者だね。救いがたい」

「何だと――っ!」

「そこまでした挙げ句、〈異録〉はばらばら。集めるのも修復するのも他人任せ。自分の尻も拭えない癖に、霧沢の家格を上げる、だって?」


 くくく、と喉を鳴らす。唇を歪めた柾の表情は、もはや虚無的と言えるようなもので。


「馬鹿馬鹿しい。全部あんたの落ち度だろ」


 地を這うような憎悪の声に、詩凪は我知らず戦慄した。嫌な予感がひしひしと迫る。


「せいぜい死んで贖え」


 そう宣告し、柾は榊を押さえつける手を利き手から変えると、空いた手を自身の腰に回した。シザーケースから、さっきしまった鋏を取り出す。

 ひやりとしたものが、詩凪の背に落ちた。

 榊もまた同じだったのか、焦った表情でばたばたと自らの四肢を動かした。それでも拘束が解けなくて、柾の少し後ろに控えた〈グランギニョール〉の二人に向けて首を捻った。


「お、お前たち! 柾をどうにかしろ!」


 だが、ノエたちの反応は鈍かった。フランセットは沈黙を貫き、ノエにいたっては、地を這う虫を見るような眼で榊を見下ろしていた。

 およそ、仕える者の反応ではない。


「僕は知らない。僕が従うべきは柾さまで、霧沢じゃない。柾さまがすると言うなら、否やを唱える事なんてできないよ」


 横でフランセットも頷く。


「無駄だよ」


 柾は右手の鋏を開き、刃の間に兄の首を挟み込んだ。


「押し付けるだけ押し付けて、放置するからだ。いまや〈グランギニョール〉は僕の組織。誰も兄さんを助ける人はいないよ」


 す、と暗い光を宿した目が細められる。

 鋏を持った指先に力が込められたのを見た瞬間、


「待って、マサくん!」


 考えるよりも先に、詩凪の口から制止の言葉が飛び出した。


「お兄さんを殺すなんて、絶対に駄目っ」

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