第11話 飼い主とつがいとその従者

 国を背負い、海上を縦横無尽に行き来する霊宮ですら近づかぬ海域。

 船乗りの間でも、そこに挑んで帰った者がいないと恐れられる場所。

 その一帯の海水は、黄色に濁るゆえに黄泉とも黄海とも呼ばれ、また海域周縁を龍という生物が回遊しているとも伝えられている。

 未踏の地へ、安全に、快適に行ける。

 何もかもティファレトが死にかけてくれたおかげだ。

 僕は、彼女の浅はかさに大変、感謝している。


   ◇ ◇ ◇


「そうか、おまえだったか……。ごめんな、信じてやらなくて」

 今さら、大事そうに、ティファレトの頭を撫でるシェンナに対して、レイシアは握りこぶしを作っている。脳裏に殴り倒す図を想像して、怒りを抑えているのだろう。

 つき合いは長いので、ユーグも、それとなく主人の思考は読めた。

「だったら、こいつがこういう目に遭ったの、俺の責任もあるな」

 ようやく彼は、ティファレトの頭から手を離した。

「つき合ってやるよ。世界の中心とか行くのに。伯父貴に船、借りてきてやる」

「しかし、クロイツ王兵師団国とリィゼン盗賊国との代理戦争がおきた直後です。私に関係あることとなれば、ルヴァン様がご助力くださるわけがない。敵に塩を送るような真似は、」

「その点については、問題ないかと」

 ユーグは、指先で、片眼鏡を定位置に押し上げた。

「今回のアルゼンとの対戦は、フロイデンの敗北により、クロイツ王兵師団は少なくとも九ヶ月以上動けませんから」

「なんのことだ?」

「レイチャード総長や側近は、アルゼンの富をそっくりそのまま承継するつもりだったのでしょう。が、それは失敗に終わりました。クロイツ側の物流は止まります。クロイツ本国はおろか、その衛星国、影響ある属国に対し、アギト議長は貿易関係の見直しをはかるはず。具体的には年単位の輸出入禁止、あるいは規制」

「はあん。つまり、クロイツは世界第一位の国土を持ってるくせに、資源物資の乏しい国に成り下がるわけか。……レイチャード総長ってのは、頭わるいのか?」

「九ヶ月の根拠は?」

「農繁期や畜産の関係です。金属、食糧、軍馬、その飼料。これを回復させるための時期、期間。短く見積もっても九ヶ月以上、先になります」

「……それでも、もとクロイツの関係者によくしてくださるわけ、」

「対戦以前、ルヴァン王が、レイチャード総長に向けて、不戦条約を結ぼうとしたことがありまして、」

「おい待て! 眼鏡、おまえ、その話どっから!?」

「人間の口に、戸は立てられませんので。……リィゼン側はそもそも、世界第一位のクロイツに、面と向かって、敵対するつもりはなかった。今回の衛星国同士の対戦は、ある意味、ルヴァン王の思惑どおりに運んだはず」

「んーんん。難しくなってきたけど、要は、船を借りても、平気だって話か?」

「おそらく交換条件は出してくるはずです。もちろん、これは僕の推測であって、実際に相対してみないことには、わかりませんがね」

「交換条件か……。まあ、俺には、獣人国の戦争のときの『なんでも言うこときいてやる』が残ってるけどな」

「交換条件。私は、差し出せるようなものは、何も持っていないが、」

「クロイツの内部事情を知る限り、洗いざらい話す。あるいは、」

 にやにやとユーグは笑ってみせた。

「レイチャード総長をどうにかして、あなたが次の王将となり、リィゼンとの不戦条約を締結させる、とか」

 シェンナが、ああ、とうなずいた。

「その線のがありそうだ。じゃあ、俺は、出港準備をしてくる。おまえら、今日中に来いよ。伯父貴との話は、俺がつけてやるから」

 彼は、くちなわの娘の頭をぐりぐり撫でたあと、身をひるがえした。

「……ユーグ、甥御どのに、べつの思惑は、」

 レイシアが訊ねてきた。

「ないでしょう」

 ユーグは否定する。

「彼は正真正銘の、小動物愛好家のようです。あなたのように、彼女を女性として、見ているようには思えませんが?」



「――はあ? 船だあ?」

「小型帆船と保存食四人前、一ヶ月分。それから、緋色の岩清水をくれ」

 盗賊国に帰還した少年が直後、女性と逢い引き中の盗賊王を強襲した。

「王兵師団とコトかまえた以上、その関係者に船も飯も出す野郎が、どこにいるってんだ、ああーん?」

「……なんでも言うこときくって言った。獣人国で」

「額面どおりに受け取るんじゃあ、ない! 忖度という言葉の意味を、」

「いま、伯父貴のしたで、腕立て伏せの相手になってる、ねーちゃん。見たことないんだけど。置屋の姉御に、告げ口していいか?」

「もってけ泥棒! そんでもって、とっとと出て行きやがれ! 伯父不孝もんが!」

「うん。こういうときは話せるから、好きだ。じゃあな」

 半裸の男女を一瞥したシェンナは、手持ち無沙汰で立つ男二人を引き連れ、盗賊王の寝室を出た。

「緋色の岩清水、とは? 霊宝ですか?」

「ん。見た目は赤砂利だけどさ、水筒の底に入れておくと、水が腐らないし、泥水も濾過して飲めるようになる魔法の道具だな」

「便利ですね」

「伯父貴、遊学中は、あちこちの遺跡を発掘して、霊宝をかたっぱしから、かっぱらってさ。宝物庫に、そういうの、山ほどあるんだ」

「それはいい、じつに興味深い!」

 ユーグの相づちに、シェンナは肩をかるくすくめた。

「……アルゼンが、あんな水路だらけになった原因。話によると、伯父貴がほじくり返したせいだって。おかげでアルゼンは、水耕栽培くらいしかできなくなって、今じゃ貿易業に頼るしかないんだと」

 盗賊王の甥御は、ユーグとレイシアをつれ、宝物庫という札をさげた部屋の前まで案内した。

「なぜ、このように露骨な……、」

「べつに盗られても困らないのが、こっちの宝物庫だ。いい目くらましにもなる。本命はべつの場所だろ。凶悪な霊宝武具とかさ」

「盗賊国なんて名乗っていると、そういう目くらましも使うんですね」

「…銀髪。おまえさ、いちいち突っかかってくるよな」

「盗賊なんて名乗るから、警戒くらいしますよ」

「おれ、べつにティファレト返せなんて言ってないだろ。……俺が、こいつのこと信じてやらなかった結果だし――おまえらは、こいつに親切にしてくれたから、まあ、手放すとしても、納得しているさ」

「……なぜ、国号に盗賊国なんてつけたんです」

「正式な国号じゃねえよ。通称だ。昔は十(とお)族(ぞく)国(こく)だった――俺の親父が即位したけど、結果として国を荒らして、犯罪が横行することになったってだけ。まあ、伯父貴も親父を殺したあとで、完全撤廃の通告でも出せばよかったんだけど」

 シェンナはこぶしの裏で、こつこつと扉を叩いた。

「このなか、適当に探しとけよ。ほんと、盗られて困るもんは、置いてないから」

「あなたは、どうするんです?」

「伯父貴が腕立て伏せに励んでいる間に、海軍に話つけて、船と飯を確保してくる。いきなり気が変わって、裏切られるのは、ごめんだからな」

 答えて、彼は、立ち去った。後ろ手にひらひらと手を振る。

「…だそうです。大人げなかったのは、あなたのほうでしたね、レイシア様」

「まったく。よくできた甥御どのだよ」

 肩をすくめ、主従は二人そろって、なかに入る。

 清掃が行き届き、採光の窓も充分だ。

「ひいろのいわしみず。緋色の岩清水。っと。これか。本当にあっさり見つかるね」

「ちょっと失礼。来歴の確認を」

 ユーグは、箱を開け、ふたの裏に書かれた字を読む。

「『その昔、大サアル皇国にて、悪徳法皇が選出され、結果として大飢饉が起きた。当初は、旅の魔女のせいと思われ、彼女を石打ちにしたが、黒い魔女は死ななかった。そこで、ちから自慢の大男が、大岩を投げつけてみたところ、岩は砕けて砂利となり、赤く染まった。飢饉は水質汚染にまでつながったが、農民のひとりが、魔女を打った赤砂利を、田畑にまいたところ、土も水も清められたという』――あからさまに、玄女のことですね」

「そう」

「興味、ないのですか? ティファレトも、玄女といわれるもののたぐいでしょう?」

「そんな肩書きがあっても、なくても、私にとって彼女の価値は変わりないから。――さあ、これくらい水筒に詰めればいいかな。海水も、飲み水に変わるのだろう」

「昔から、そうでした。僕が、あなたの母親と話していても、くちなわ族の不思議や、世界の謎に、興味をしめさなかった」

「しかたがないだろう。私が、レティシアと分離手術される以前のことなど、記憶に薄い。生きるのにせいいっぱいであったからね」

「お元気になりました」

「妹の死と引き換えだ。生きていることそのものが、寂しくも感じる」

「だから、ティファレトに過剰に執着するのですね」

「誠意がない男と言われそうだ。ティファレトは、レティシアの身代わりなのかと」

 わかりかねます、とユーグは答えた。

 そういう繊細な男女関係は、理解できない。自分にとって、重要な判断基準とは、おもしろいか、おもしろくないか、である。

 従者の心根がわかるのだろう、レイシアは微苦笑した。

「これでもね、感謝しているよ。きみには。兄とも、友とも思っている」

「恐悦至極」

「だが、どんなに姿かたちが似ても、私の命の質は、きみや甥御どのとは、根本的にちがう」

「それは昔から、いやというほど、存じております」

「……そうだね。数少ない霊宮づきの神官のなかで、きみが一番歳が近く、私たちの形状を恐れなかった」

「しつけと虐待のちがいをわかってくださって、大変うれしく思いますよ」

「へたに刃向かうと三倍返しだろう、ユーグは。いやみや毒舌は、ほどほどに聞き流すのが精神的には楽だと思い知った」

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