第1話 くちなわの王女

 女の子なら、誰だって憧れるだろう。

 ある日、突然、えらいひとがやって来て、こう言うんだ。

「あなたは、この国のお姫さまだったのです」

 それで綺麗に体を磨き立てられ、髪を梳いてもらい、かっこいい王子さまを待つんだって……

 うかつにも、そう信じていたのだ。あの頃の私は。


 ◇ ◇ ◇


「こいつが、本当に、この国の新王だってのか?」

 獅子王さまと家来さんたちがいなくなったあと、玉座の間にやってきた、人間のおじさんたちが、あたしを見て、肩を落とした。

「本当だよ。あたし、今から、ここの王さまだもん。獅子王さまが、さっき、あたしに王位を譲るって言った」

 そう答えたら、みんな揃って、顔をしかめている。やがて疲れたように、ふーっと息を吐いて、

「玉座に、朽ち縄でぐるぐる巻きに縛られた王が、この世のどこにいるって?」

「ここにいるけど」

 それよりも、と。あたしは唯一自由になる、しっぽをばたつかせた。

「ねえ、おやつ、まだ? 苺と、ゆで卵!」

「はあ?」

 苺と、卵。あたしの大好物。

「人間の、おじさんが、あたしの家来になるんでしょう? 獅子王さま、言ってた! そいつらが、ごはんくれるって、」

「あーあぁ。こんな蛇娘が身代わりってか。百獣の王も大したことねえな」

「伯父貴!」

 あたしと怖い顔のおじさんしかいない玉座の間に、男の子がひとり、駆けてきた。革鎧に長い剣と短剣を身につけた子だ。その子は、ちらっとこっちを見て、

「獅子王一族と生き残りを発見した。どうする、伯父貴」

「おかしら。たしかに、獣人の戦闘能力は侮れませんぜ。ここは戦力補充といきましょうや」

「はあん? 国民に農地提供して、飢餓状態からの回復をめざすってのが、今回の戦争の目的だろうが。獣人を大量に抱えたら、意味ねえや。分け前減るだろう」

「そもそも、あの自尊心のかたまりみてえのが、おとなしく禅譲するかい。うさんくせえ。こりゃ絶対、裏があるぞ」

 みんな、わーわーと話し合いを始めた。

 ……あたしだって、仮にも王さま、無視され続けるの、おもしろくない……。だから、

「おなか減った、おなか減った、おなか減った!」

「だまれ、クソガキ!」

「舌ぁ、ひっこぬくぞ!」

 叫んだら、怒鳴り返された。

「やかましくて、考えがまとまらん」

 おかしら、と呼ばれていたおじさんは、がりがりと頭をかきむしって、うめく。そして、男の子のほうを振り返った。

「シェンナ、この蛇もどきのガキが落ち着くまで、子守してやれ」

「げっ、俺? 冗談だろ」

「おまえ、ちっこい動物、好きだろう? あとで初陣祝いに、なんでもしてやるから」

「言質とったぞ」

 そんなこんなで、男の子ひとりを残して、みんな、いなくなってしまった。

「はあ。まーたガキ扱いかよ」

 シェンナという子は、おかしらおじさんと同じ、こげ茶色の髪をかき上げ、玉座のしたの階段に腰をおろした。

「いまに見てろ。そのうち、王位簒奪してやる」

「ねえねえ、シェンナ?」

 名前を呼んだら、シェンナはぎくっと肩をふるわせ、こっちを振り返った。

「なれなれしく、ひとの名前を呼んでんじゃねえよ」

「じゃあ、えーっと。こげ茶色?」

「んっだよ、この黒蛇女」

「黒蛇女じゃないもん! くちなわの女王ティファレト様だよ!」

「そんなの呼べるか! ……もう、シェンナでいいよ、シェンナで。俺も、おまえのこと、ティファレトって呼んでやるから」

「んじゃ、シェンナ。あたし、おなか減った」

「さっきから、そればっかりじゃねえか」

「卵か、苺。持ってない?」

「ほかに言うこと、ねえのかよ」

 シェンナが肩を落とした。

「最近ずっと、戦争だのなんだので、ごはん食べてないんだもん」

「おまえ、女王なんだろ? 一国の王は、ちゃんと飯を食う権利があるだろう」

「……王さまになったの、今朝だもん」

「だろうな。ほれ、口開けろ。菓子わけてやるから」

 あんぐり口を開けると、シェンナはあまい食べ物を放り込んでくれた。

「あまい! おいしいねえ、これ」

 苺とはちがう味だけど、なかなか、気に入った。

「蛇の獣人のくせ、牙ねえなあ。おまえ、毒あんの?」

「わかんない」

「自分のことだろ」

「物心ついたときには、あたししかいなかったもん。くちなわ族」

「そっか」

「……獅子王さま、あたしのこと、悪いやつだ。世界を滅ぼす魔女だって、言ってた。蛇って、悪いこなのかなあ……」

「さてな。毒がなくて、噛みついてこなきゃ、べつに怖くはねえよ。あー、女・子供にはウケは悪いかも知れないけど」

 お菓子のあとは水も分けてくれた。嬉しい。あたし、水を飲むのも、大好きなんだ。

「おまえの尻尾、動くの?」

「うん」

「やっぱ、にょろにょろすんのな。ラックが見たら、じゃれつきそうだ」

「ラック?」

「俺の飼い猫。三毛猫のオス。珍しいんだぞ」

「シェンナの家にも獣人いるの?」

「いや、普通の猫。まあ、獣人に化けたら化けたで、おもしろいかもな。こうやって話せるだろうし」

 そんな話をしていると突然、寒気がして、胸がざわついた。息苦しくて、不安で、泣きたくなって、

「ティファレト? おい、どうした、顔色おかしいぞ」

「……シェンナぁ」

「ど、どした、いきなり」

「縄! この縄ほどいて」

「いや、でも、おまえ一応、捕虜で、」

「やだ、ほどいて! ここはダメ、ここにいたくない!」

 しっぽをばたつかせ、シェンナに向かって、泣き叫ぶ。

「ここ、やだ! やだーっ、おっかないよう、怖いよう!」

 シェンナが渋々、縄を切ってくれた直後に、ぐらりと床が、地面が揺れる。

 はっと、シェンナが天井を見上げた。がしゃんと、釣り灯籠が落ちる。

「あっ、う……お、か……やだっ、やだあっ」

「この地震、完全接合時の揺れか。伯父貴、全員、殺しちまったのか? あー、もう、こんなハリボテ宮殿すぐ壊れるだろ。来いっ」

 シェンナが、あたしの手をつかんで、走り出した。

 ほとんど引きずられながら、最後に一度だけ玉座を振り返る。

 堅くて、じつは座り心地の良くなかった椅子。

 ……あんなものに縛りつけられる王さまって、大変な仕事なんだなって。そう思った。

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