第89話「動き出す世界」

「………ん」

「んぅ………」


 スヤスヤと一つの寝台で眠る姉妹達を横にして。


 ヒューリと少年は内々の話があるという事でシエラ・ファウスト号艦内にあるヒューリの自室で向かい合っていた。


 今現在、善導騎士団東京本部の鍋底……実際にもう自衛官や警官達がそう呼んでいる場所に着底している為、重力は元に戻っている。


「つまり、お父様がこちらの世界で女性と結ばれて出来た子達という事ですか?」


「はい。これを……」


 少年が己の特に記憶しておこうと思っていたもの。

 あの夢の世界でのノートの内容を書き写したものを見せる。


「大陸標準言語……日記?」


 少年が掻き出した内容はそう複雑なものでも無かった。


「はい。あの時は僕も内容が分かりませんでしたが、要約すると」


 ―――いつの間にか荒野に放り出されていて、避難する人々に助けられた。


 自分の国ではないのは間違いない。

 それどころか大陸でも無いようだ。

 人々と共にニホンという国に行く。

 アンデッドに襲われたが何とか撃退する。

 だが、前よりも力が出ない。

 どうやら病らしい。


 が、専門ではない自分には治癒魔術以外の手の施しようがない。


 体力は衰えたが、ニホンに付いて入院させて貰える事になった。


 入院先で魔力を使える女性の医師に出会った。

 彼女は自分と意思疎通が可能な術を持っていた。

 話している内に親しくなった。

 治療法を見付けると彼女は頑張ってくれている。


 元々、異世界に一人心許なかったとはいえ、不義理を働いてしまった。


 彼女には死んでから謝ろうと思う。

 姉妹の娘達が生まれた。


 本当の名を託し、彼女と自分の魔術と技術を全て教え込もう。


 このアンデッドが溢れる世界でも生きていけるように。

 どうやらそろそろお迎えが来るようだ。


 まだ、何処かで生きているだろう最愛の娘の事が気に掛かる。


 ヒューリア、ユーネリア、アステリア……。


 ―――我が最愛の娘達がどうか何処にいても幸せでありますように。


「………」


 ポタポタと少女が涙を零す。


「ヒューリさん……」


「っ……お父様……最後までちゃんと生きたんですね」


「きっと、お二人は大陸標準言語そのものは教えられてなかったんだと思います。だから、音声詠唱の聞き取りは出来ても言葉自体は読めなかった。それに魔術を教えられても、それが実用に足るまでは時間が掛かります。専門の設備や触媒も無い中、出来る限り記憶から再現して、自分に出来るものを……そう努力した結果としてお二人の身体にはご両親から贈り物、刻印が残されてるみたいです」


「刻印?」


「はい。恐らく王家に伝わる術式の全てを入れ込んだものを肉体と魂に彫り込んで、二人が成長すると同時に開放される仕組みです」


「……ありがとうございました。ベルさん」


「え?」


「もし、ベルさんがいなかったら二人は……命を落としていたんですよね?」


「それは……僕があの場所にいたのは偶然ですし……」


「でも、その瞳に両腕……もしかして魂魄が傷付いているんじゃありませんか?」


 少年がポリポリと頬を掻いた。


「ちょっとだけ、無茶しちゃいました。でも、お二人の力と決意が無ければ、どうにもなりませんでした。その後に僕を治療してくれたのもお二人ですし……助けられてばっかりで……とても騎士らしいとは言えないですよね……」


「そんな事無いですよ。私に隠せると思ってるんですか? 私、殆どベルさんの主治医なんですよ? ベルさんの身体……今、ですよね……誰かの為に……そうやって身を削れる人なんて殆どいないんですよ。もう……」


 涙を零しながら、少女は少年の身体をギュッと本当に愛おしそうに抱き締める。


「ヒューリさん。ちょっと苦しいです」


「こうしてて下さい。内臓が10分の1以下になるまで他人に使うなんて……馬鹿なんですから……本当に……大馬鹿者なんですから……ぁりがとう……妹達を助けてくれて……っ……っっ……」


「……はぃ」


 少女の治癒の力と魔術が少年が自己再生させてはいたが、未だに足りない身体の中の臓器や骨、血肉を僅かずつながらも再生させていく。


「ベルさん。私……この子達をどういう形でもいいので、お話をした後、引き取ろうと思います」


「そうですか……でも、ヒューリさんだって大変なお仕事してるんですから、身体には気を付けて下さいね……」


「一番大変な仕事をしてる人の台詞じゃないですよ?」


「ご、ごめんなさい」


「ふふ……でも、この歳で新しい家族が出来るなんて思いませんでした。それで……何処まで浮気しちゃったんですか?」


「ッ~~え、えと、その……」


 目が泳ぐ少年が正直にポツリと少女の耳元に呟く。


「……これはフィーと会議を開かなければなりませんね。幾ら夢の中とはいえ。でも……きっと、妹達も尽くしたかった人を失って……お父様と同じ気持ちだったのかもしれません……複雑ですけど……でも、見知らぬ誰かよりもベルさんで良かったと思います……だって、ベルさんなら安心ですから」


「……安心て?」


「最後まで責任を取ってくれそうって事です。だから、私も遠慮なくベルさんに色々しちゃえます」


「え、あの、ヒューリ、さん?」


「……ベルさんが悪いんですからね? いきなり妹二人と浮気とか意味不明な事をして戻ってくる人が自分にそういう事をされないとか思ってるのは自覚が足りない証拠です」


「え、えぇと……ご、ごめんなさい」


 謝る少年を許さないという強い意志で少女は艶やかに笑み。


 抱かれたベルは思う。


 ああ、こういうところはきっと姉妹なんだろうな、と。


「悪い人の唇が悪い事を囁く前に塞いじゃうのは正義だと思いませんか?」


「それは正義とは違うんじゃな―――」

「ん……」

「ッ~~~!?」


 少女の瞳は潤み、積極的で己の腕に抱いた少年を決して逃がさぬよう、誰にも傷つけられぬよう、優しく、腕と指で隙間も出来ぬよう。


 数秒か数分か。


 唇は確かに絡められ、舌が離れる度に吐息が零しながらもまた矢継ぎ早に重ねられて……水音が響く室内で口元から顎先まで少女の唾液で濡らした少年は瞳を茫洋とさせながらも何とか少女が満足するまでの時間を耐え切った。


「ベルさんばっかりズルいです……女の子だって、そういう気持ち……あるんですよ?」


「ぅ……ぁ……ぃ、ぃたらなくて……ごめん、なさい……っ」


 こくんと喉を鳴らして。


 少女の薫りに包まれながら、それを飲み下した少年はフゥフゥと高鳴り続ける心臓を押さえるようにして少女の胸にフラリと顔を預ける。


「ちょっと無理させちゃったかも……しばらく、身嗜み整えないと、ですね。ふふ……」


 嬉しそうに頬を染て。

 少女は少年をまた抱き締めた。


「「………」」


 不意に視線を感じて少女が横を向くと。


 ジト目の姉妹達が二人を、特に襲われたと言われても頷ける様子でハァハァと息を整えている少年を不憫そうな瞳で見ていた。


「え、ええと、おはようございます」


 まだ覚束ない少年の代わりにちょっと口元をハンカチで拭った少女が初めて会話する妹達にそう笑顔で対応した。


「お姉様。野獣がいるわ」


「ダメですよ。悠音……目を合わせたら襲われてしまうかもしれません」


「お、襲ったりしませんよ!? い、今のはちょっとした悪戯であって!?」


「お姉様。不審者怖い!!」


「大丈夫ですよ。悠音は私が護りますから……」


「ふ、不審者じゃありません!! わ、私だってDCディミスリル・クリスタルの力を借りて、こう真面目にアプローチをですね!!」


「お姉様?! 何かのお薬の力を借りてるって!? あたし達どうなっちゃうの!?」


「大丈夫ですよ。悠音……ち、近付かないで下さい!! 私達はベルディクトさんと違って女の子だから美味しくないですよ!!」


「うぅぅ、ベルさんが悪いんですよッ、もぉ~~~!?」


「ふぇ?! ご、ごめんなさい!?」

「お姉様!? 今度は開き直ってるわ!?」


 一室がガヤガヤと喧しくなってきたのでハルティーナが覗くと少年を中心にして何やら涙目なヒューリと妹を護ろうとする姉妹の姉の方と震える妹が混然一体で何やら少年を取り合っていた。


 それがあまりにも自然に見えて。

 少女はその扉を閉める。

 もう少しそのままでもいいかと思ったのだ。


 初めて対面するはずの少女達がまるで家族のように見えた一時はそうして姦しく過ぎ去っていった。


 *


 ―――三沢基地内某所。


『爆装は完了しているかね。准将』


「はい。プレジデント」


『よろしい。もしもの時は日本政府との話し合いの結果次第だが、日本の市街地を第二次大戦期以来、初めて空爆する事になる可能性もある。そのまま待機していてくれたまえ』


「了解であります」


 紅い受話器の電話が切れると同時に今現在、沖縄と三沢に集約されている米軍の片翼を預かる男は溜息を吐いていた。


「准将。プレジデントは何と?」


 執務室の中。

 他の参謀と幕僚が揃う一角で肩が竦められた。


「いつも通りだ。我らがプレジデントには何一つ問題が無いらしい」


「そうですか。では、例の件も通常通りに?」


「そういう事だろう。ホワイトハウス側から命令の変更は通達されていない」


「了解です。では横田、横須賀、嘉手納も通常業務でよろしいですね?」


「ああ、USARJの全司令部に通達。通常業務ダウン・ハートを続行せよ、と」


「USARJに通達後、速やかに待機任務に移行します」


 参謀の一人が敬礼してから一室から退出していく。


「准将。あちらの司令部からタイフーン級の内部調査資料が届きました」


「ほう? 早かったな」

「コレを……」


 執務室の上に数枚の資料が提示される。


「この電子化のご時世に紙資源か……軍もスマートにならねばならんという時に……」


 執務室の主が愚痴る。


「機密保持の観点から今後も継続して日本政府から紙資源の提供は受けられるのですから、使っておくべきところは使っておくという事でよろしいのでは?」


「道県のステイツ国民の3割が今や天然の紙というものを知らない世代だがな。書く事が殆ど無い為、読めても単語すらまともに書けないそうだよ。日本語以外は……」


 執務室に重たいという程ではないにしても沈黙が降りる。


「余計な話だったな。では、拝見しよう」


 それから数分、タイフーン級内部の調査資料を精読した執務室の主が溜息を吐く。


「日本政府には知られているな。恐らく」


「常時、あのシエラ・ファウスト号と名前を変えたアレに自衛官の連絡将校が配置に付いているそうですから……さすがに隠し通すという事もしていないでしょう」


「まさか、あの戦線都市の遺産が当の本人達の手で回収されるなど……それにしても当て付けに基地の真ん中に返還していくとは……彼らも気が利くようだ」


「准将。アレが完全なコピーになっているという時点でダーパ側からは是非MU-01の確保、捕獲、もしくは提携と技術協力が必須であるという勧告が出されております。回収した兵達からの話を聞く限り、あちらは我が国が最も欲しかった代物を持っている事は確実です」


「どうやってお招きするのかね? アレが回収されたという時点で我々への彼らの心象は最悪だろう。だが、戦線都市の全ての情報は隠匿されねばならん。秘密裏に接触して真実でも教えてみるかね? 怒りを買って戦争となれば、我が国が被る被害は甚大だろう」


「ですが、ようやく戦線都市のコードの解析が終了するこの時期です。ユーラシア中央にアレが存在すると確定している以上、扉を開ける鍵もしくは鍵となり得るに記されたファクターは是非とも必要です」


「開けゴマ、か。騎士達を倒せる可能性……だが、完全な消滅まで持っていけなければ、奴らは必ず復活する……ビッグ・モールド・クレーターへの派遣結果も芳しくは無い。英国との協力もこの数年で被害の深刻さが増してから途絶えたままだ。懸命な参謀諸君ならば、実現可能で尚且つ問題を解決するに妥当な案を出せるのかね?」


 執務室内に再び沈黙が降りる。


「君達に案が無いのならば、我々は対外的にユーラシア中央への派遣軍の整備をする以外にやる事など無いよ。幸いにも彼が民間に卸した技術及びシエラ・ファウスト号に乗船した士官の一部が持ち帰って来た構造材……ディミスリル合金と言ったか。アレで戦線都市の技術の一部の解析が飛躍的に進んだそうだ。半年以内には現行の装備が2世代進む。戦線都市の技術水準まではまだ数世代あるが、に成功したと連絡があった」


「おお、では?」


「ロードマップの4割を達成した。30年以内には騎士相手にも対抗出来る。だが、生憎と我ら人類が滅びるまで10年無いとのの結論は変わらん」


「未だですか?」


「研究者という連中はどいつもこいつも……AIが優秀なのは認めるが、嫌な話ばかり持って来る……あの“ザ・マッド”が退官して清々したがね」


「彼もAIに己の全てを吹き込んだのです。人類が終わっても永続する叡智の片隅に己の分身がいるのならば、満足でしょう」


「……ホワイトハウスが彼らの出現と同時に新しいプランを立ち上げたと風の噂で聞いた。しばし、待っていたまえ。人類最後の大戦前にちょっとした歴史の転換点がやってくる……何、十数年……この十数年、同胞を見捨てて待ったのだ。今更、変わらんよ」


 執務室の主の唇の端が皮肉げに歪む。


「ただ……それに際して一つ私から試験的な計画を此処に提案したい」


「何かお考えが?」


 准将と呼ばれた男が己の机の中からファイルを取り出して、内部の紙を秘書に配らせた。


「これは?」


「ダーパ側から示された幾つかの試作兵器及び持ち出せた戦線都市の技術と成果の一部、再現出来たモノを組み合わせて何か出来ないかと打診していたら、コレが提示されてね」


「……コレを試すおつもりで? リスクが大きいのでは?」


「切って痛い手札でもあるまい。陰陽自衛隊、善導騎士団、あの技術は彼らだけの専売特許ではない。こちらとてカードはあるのだ……丁度、駆け引きする出だしに良さそうな事件も転がっている……今回の一件、是非とも使わせて頂こう。悪役ヒールに打って付けの犯罪者もいる事だしな。に連絡を取る」


 秘書が始めから用意していたかのように新たな紙を配る。


「………今回の一件、やはり人為的なものだったのですね」


「あの頃の焼き回しだよ。まったく、この小さな島国で度し難い人類への裏切りだ……CIAのチームに連絡しよう。久方ぶりに君達に仕事を斡旋しよう、とね」


「准将は彼らがお嫌いかと思っていましたが?」


「とんでもない。人材が貴重な時代に人の好き嫌いなど言っていられんよ。我らが敬愛するべきプレジデントも是非あのままでいて欲しいとも。ああ、まったく―――いつから我が国は日本製のゲームに出て来る出来の悪いアメリカ像そのままの国になったものか」


 今まで机の上で負荷されていた葉巻が灰皿に押し付けられた。


「我が国のB級映画の方がマシですか?」


「そこまでは言わんよ。ただ、英雄病に掛かった国民に現実という代価を支払わせるのは忍びないと、そう思っただけだ……是非ともプレジデントにはあの頃のように戦線に立って頂きたい。ああ、本当に心の底から……」


「聞かなかった事にしておきます」

「そうしてくれたまえ」


 執務室内で主以外が立ち上がる。


「我らが後ろには3000万の人々がいる。ヒューマンシップ、ヒューマンライツ、ヒューマンケア、政府のお題目は結構な話だが、時代には時代に必要な流儀というものがある。日本政府が今、憲法を停止しているようにだ」


 主がゆっくりと立ち上がった。

 その身体は小さく。

 ズングリムックリというのに似ている。


 小熊かと言うような肥大した筋肉とソレに埋もれるような頭部と禿げ上がった頭。


 人が最初に彼を見れば、一目では思わず笑ってしまうかもしれない。


 だが、その相手が軍人だと知れば、確実に緊張感を持って相手を観察するはずだ。


 巷では【卵の軍人ハンプティ・ダンプティ】等と揶揄される彼を見て、今笑える軍の要人は誰一人としていないだろう。


「我らは高々300万の軍勢だが、あの屍共に見せてやろうではないか。辛酸を嘗め、泥水を啜り、屈辱と敗北を刻まれて追い詰められた人類が……如何に残酷で無慈悲で恐怖の対象であるのかを……人類の敵を打ち倒し、人類の守護者たるは米軍以外に誰も無い……奴らが人類を滅ぼす前に奴らを滅ぼせるのは我々だけだ。諸君……仕事に掛かれ」


 最敬礼した男達が次々に退出していく。


 そして、最後に残った秘書と共に白い卵のような男は肥大した無骨に過ぎる指で手元にあった計画書にサインして、秘書に手渡す。


「関係各所に回せ」


 最敬礼した女性秘書もまた退出していこうとして、振り返った。


「どうしたのかね?」


「知事との会談のご予定が二時間後に入っていますが、どうなされますか?」


「勿論、会おう。我々は善良なる日本の同胞と共に日本国に間借りするお客様なのだから」


 まるで今までの険しい顔が嘘のように人好きのする笑顔を浮かべて、男が制帽を被り直す。


「SNSで評判な卵オジサンも楽ではないな」

「ええ、まったくもって同意します。コーウェン准将閣下」


 マーク・コーウェン陸軍准将。


 今現在、在日米軍内のほぼ全ての部隊に対して絶大な影響力を持つ男はその特異な姿のまま地元のテレビ局に映される為、歩き出した。

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