追いつめられたネズミ

 白石は片田の事務所で討論会の配信を観ていた。片田とのやりとりの録音を聞き、「これはマズい」と青ざめた。 

 

 ――これ、オレが盗み撮りしてたんじゃないかって思われるよな、絶対。そんなことになったら、それこそ殺される。


 他のスタッフが「これ、どういうことだ?」「何なの、これ」と動揺しているのをいいことに、こっそりと事務所を抜け出した。


 ――逃げなきゃ。逃げたらもっとマズいかもしれないけど、とにかく逃げよう。


 車で横浜の自宅に戻り、靴を脱ぐのももどかしく、リビングのドアを開ける。

「おいっ、早くっ……」

 そこで白石は固まった。片田のSPが二人、リビングにいたのだ。

「パパ―、お帰り!」

 息子が白石に飛びつく。

「お前、学校じゃ?」

「今日は創立記念日で休みだよ」

「そうだった……」


「お帰りなさい。三橋さんから電話で聞いたわよ。ビックリしちゃった」

 優梨愛がにこやかに話しかける。

「え、何が」

「総理が私たち家族を別荘に招待してくれるんでしょ! あなたがいつもいい働きをしてくれてるから、そのお礼にって。今、荷物をまとめてるから、ちょっと待っててね」

「え、いや、ちょっと」


「白石さん、総理から迎えに上がるように指示を受けてまいりました。ご家族も一緒に官邸までお送りします」

 SPが立ちはだかり、冷ややかに言い放つ。屈強な身体のSPに勝てる気がしない。


 ――ダメだ。逃げられない。

 

 白石はガックリと頭を垂れた。



 白石は、SPに半ば引きずられるように執務室に連れて来られた。移動の途中で岳人たちに押しつけられたスマホを捨てようとしたが、とてもそんな隙はない。

 執務室に入ると、盗聴器の発見装置がとたんにピーピーと鳴る。


「白石ぃ、お前がスパイか!」

 片田は、これ以上は赤くなれないだろうというぐらいに、怒りで顔を真っ赤にしている。

「とんでも、とんでもない、僕は何もしてませんっ」

「でも、音が鳴ったじゃないか!」

「しっ知りません、ホントに何にもやってません!」

「白石を隅から隅まで調べろ!」


 SPは白石を取り押さえて、ジャケットをはぎとった。あっという間に、胸ポケットに入れていたスマホが発信源であることが分かった。 


「お前、こんな盗聴器をつけて、いつもオレと話してたのかっ。オレをはめたな?」

「違うっ、違いますっ、これはもらったもので」

「もらった? 誰に?」


 白石は観念して、美晴たちに会ったことを話した。

「なんで今まで黙ってたんだよ!」

 片田はスマホを白石に投げつける。胸に当たったスマホは、跳ね返ってカーペットに落ちた。それを片田は何度も踏みつけて、バキバキに壊してしまった。


 白石は苦痛に顔をゆがめながら、「すっ、すみ、すみません。あいつらに協力してるって疑われるんじゃないかと思って」と弁解する。

「結果的に協力してるようなもんじゃないかっ」

「スマホに何か仕込んであるなんて、思ってなくて……」


「要は、白石さんが総理の近くにいるときは、会話がすべてダダ洩れだったってことですね」

 三橋が大げさにため息をつく。

 片田は白石のネクタイを引っ張る。片田の目はらんらんとしている。


「それだけじゃないよな。お前、影山美晴は、証拠は何も持ってないって言ってたじゃないか」

「し、調べたときは、本当にそうだったんです! ゴミ捨て場の家からは、何も出なくて……」

「じゃあ、あれは何なんだよ?」

「わか、分からないです。どこかに隠し持ってたとしか」

 ネクタイを引っ張る力はますます強くなり、白石の顔は赤くなっていった。


「総理、総理、さすがにちょっと……」

 三橋が止めに入った。片田が手を緩めると白石は崩れ落ち、激しく咳き込む。

「本郷家も探したんじゃないのか?」

「かっ、家政婦に、探させたん、ですが、何も、出て、来なくて」

「じゃあ、本人がUSB を身に着けてたってことか?」

「おそらく……」


 片田は革張りのソファの背もたれを、悔しそうに何度も蹴る。

「お前はほんっと役立たずだな! お前のせいでオレは破滅しそうになってんだよ! どうしてくれるんだよ、この能なしっ」

「……」

 白石はもう反論する気力が残っていない。


 三橋は片田の半狂乱ぶりに動揺しながらも、「とにかく、弁護士に相談してみたほうがいいんじゃないですか?」と提案した。

「だったら、とっとと呼んで来いよっ!」

 片田の剣幕に、「ハイッ」と三橋は飛んで行った。

 執務室には片田と白石だけになった。片田は荒い息を整える。


「さて、お前をどうするかな」

「もう、もう一度、チャンスをください!」

 白石は片田の足元にひれ伏す。

「チャンスをあげたところで、お前に何ができるんだ?」

「影山美晴の口封じを」


「はあ? 全部ばらされちゃった後で口封じして何の意味があるんだよ! それに、このタイミングでそんなことをしたら、絶対にオレがやったって疑われるじゃないか! アホか、お前はっ」


「でででも、怜人の殺人の現場を誰かに目撃されたわけじゃないし、総理は命じただけなんだから、何とか言い逃れできるんじゃないですか? やらされただけだって。山野辺元総理に命じられたとか」


「山野辺はすぐに記者会見を開いて、『自分は何も知らなかった』って言っちゃってるんだよ。あいつ、逃げ足はバツグンに速いからなっ」

「そうなんですか……」


 片田は「くそっ」「なんで、オレばっかり」と吐き捨てながら、執務室をグルグルと歩き回る。

 やがて、立ち上がれないでいる白石の前でピタリと立ち止まる。片田はしゃがんで、白石の顔を覗き込んだ。その空虚な目。白石はゾクッとした。


「お前さあ、オレにはずいぶんお世話になったよな?」

「ハ、ハイ、まあ」

「高級住宅地に住んで、高級車に乗って、あんな美人な奥さんをもらえて。グラビアモデルの愛人もいるって聞いたよ? そっちにもマンションを買ってあげてるんでしょ? 息子を私立の学校に入れてあげたし、脱税も交通事故ももみ消してあげたし。それは全部、オレのお陰だってこと、忘れてないよね?」 

「もももちろんです」


「それじゃ、そろそろオレに恩返しをしてもいいんじゃないかな」

「どういうことですか?」

「自首してよ」

「ハイ?」

「本郷怜人を殺したのは自分だって、自首してよ」


 白石は絶句した。

「な? お前が自首すれば、すべてが丸く納まるんだよ。お前はそれぐらいしか役に立てないんだからさ、自首してよ」

「いやいやいやいや、オレ、怜人を殺してないし、片田さんの命令だって言っちゃったし」

「でも、あの時、現場にいたのはお前でしょ? あの時の留置所の防犯カメラの映像、残ってるよ?」

「は?」


「何かあった時のために、取ってあったんだよ。すっかり忘れてた。あれを公表すればいいんだ」

「ちょちょちょちょちょっと、待ってくださいよ。片田さんから怜人を殺せって言われたから、オレ、従っただけですよ? オレが絞め殺したわけじゃないし」


「そんなの理由は何とでもでっちあげられるからさ。そうだ。オレはあの場にはいなかったんだから、オレは無関係だな」

「じゃあ、じゃあ、じゃあ、あいつを、怜人を絞め殺したあいつを、差し出せばいいじゃないですか! そうですよ、そうすれば、それこそ丸くおさ」

「納まらないよ。あいつは、とっくにこの世にはいないんだから。あんなやつを生かしておくわけないだろ?」


「そん、そんな」

「決まった。それが一番の方法だな。怜人をねたんで殺した。これで充分だ。影山美晴のことを好きだったんだろ? それで嫉妬したんだな、お前は。それをオレのせいにするなんて、図々しいヤツだな、お前は」

「いやいやいや」


「まあ、死刑にはならないようにしてあげるよ。何年かお勤めを果たしたら、出て来られるようにしてあげるから。刑務所に入ってる間は家族の面倒も見てあげるし、出てきた後の生活の保障もしてあげるよ」


 ――何を。何を言ってるんだ、この人は。


 白石はカチカチと音がすることに気づいた。それは、恐怖で震えるあまり、自分の歯が鳴っていたのだった。


 白石はカーペットに、「勘弁してください!」と突っ伏した。

 片田は鼻で「フン」と笑うと、立ち上がった。

「じゃあ、最後にもう一つ、仕事をしてもらうか」

「仕事って……?」

 白石はゆっくりと顔を上げた。


「影山レイナを殺せ。娘を殺されたら、あいつは苦しむだろ? あの子は本郷怜人の娘なんだろ? 本郷怜人と影山美晴、あいつら二人がオレを苦しめて来たんだ。総理の座から引きずりおろされるなら、せめて道連れにしてやる。あいつらがもっとも苦しむことをしてやる」


 片田はゆがんだ笑みを浮かべる。

 白石は絶望的な気分になり、めまいがした。

 とっさに、「おね、おね、がい、ですっ……それ、それだけはっ」と片田の足首をつかんで懇願すると、無情にも振り払われた。


「オレ、子供に手をかけたくないですよおっ」

 片田は「ハハハ」とわざとらしく笑った。

「なんだ、お前にも人間らしい感情はあるんだな」

「それに、それにっ、レイナは今、アメリカだし」

「どうせ、明日のライブには戻って来るんだから。どさくさに紛れてやるぐらい、どってことないでしょ」

「どってことありまくりですよ!」


「ライブをされたら厄介だから、その前に処理しといてよ。飛行場とかさ。それで影山美晴がショックを受けたら、選挙どころじゃなくなるしな。そうだな、それがいい。真実の党なんて、どうせ影山美晴がいなくなったら、ガタガタになるだろうし。そうすりゃ、民自党に勝ち目はあるな」


 片田は満足げに、「うん、いい策だ」とうなずき、「じゃ、サッサと行ってよ」と白石を手で追い払った。

「え?」

「だから、レイナを殺すための準備とかあるだろ? もうここには来なくていいよ。自分で考えてやって」


「え、え、レイナを殺したら、自首しなくていいってことですか?」

 片田は何も答えずに、デスクに座った。


 ――ダメだ。オレはきっと、殺される。すべてをなすりつけられて、それこそ口封じのために消される。もう、何をしても、オレには地獄しか残されてないってことか……。


 白石はうつろな目で壊れたスマホを見つめていた。








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