突然の申し出

 途中で司会者が、「レイナさん、もう少し声のボリュームを落としていただけませんか」と頼んだのにも関わらず、レイナは3曲とも全力で歌った。

 歌い終えると、割れんばかりの拍手が起きた。

 しかし、それは招待客ではなく、いつの間にかドアの外に集まっていた給仕係や料理人、警備員からだった。招待客の一部は立ち上がって拍手をしているが、ほとんどの人はどう反応していいか分からないようだ。


 片田は苦虫を噛み潰したような表情で、腕を組んでいた。やがて、おおげさに「いやあ、素晴らしい歌声でした」と拍手をした。それを見て、招待客も慌てて拍手をする。


 片田はいかにも作り笑いという笑みを浮かべて、

「圧倒されましたよ。まるでオペラ歌手のようだ。これはやはり、西園寺先生の指導のたまものでもあるんでしょうね」

 とレイナたちに歩み寄る。

「いえいえ、レイナは元々並外れた声の持ち主で、私と妻の笑里で、それをちょっと磨いた程度ですよ」

「またまたご謙遜を」

 片田はマイクを握る。


「実は、今日レイナさんをお呼びしたのは、1つお願いしたいことがあるからなんです」

 レイナは「お願いしたいこと?」と首をかしげる。

「来年、東京オリンピックが開かれますね。レイナさんにはそのテーマ曲をぜひ歌っていただきたいんです」

 片田の提案に、会場からは「おお~」とどよめきが起きる。


「開会式では、ぜひコンサートをしていただきたい。それを世界中に配信したいんです。もちろん、大会中はテレビやネットでレイナさんの歌を流します。オリンピック中は、毎日世界中の人がレイナさんの歌声を聞くことになるんです。それは日本の誇りにもなる。こんなすごい歌姫がいるんだと世界の人に知ってもらうのは、われわれ日本人にとっても鼻が高いことですよね?」

 招待客に問いかけると、みな大きな拍手を送る。


 レイナは裕の顔を見る。

「オリンピックって何?」

 レイナの素朴な問いに、片田は「え?」と目を丸くした。

「オリンピックって聞いたことない。何をするものなの?」


「えーと、そうか、知らないですか。オリンピックは、世界中の人が日本に集まって、スポーツで競い合うんですよ。水泳や体操やテニスとかをして、一番勝った人は金メダル。2位が銀メダル、3位は銅メダルをもらえる大会です」

「ふうん。それって、面白いの?」

「ええ、そりゃもう。試合を見てると、手に汗握るぐらいに興奮しますよ」

 レイナにはピンと来ない。


「今すぐには決められないので、レイナとはよく検討してみます」

 裕がフォローした。

「ぜひそうしてください。こんなにいい話、めったにないですよ」

 片田が話を終わらせようとすると、

「それより、総理大臣に聴いてもらいたいことがあるの」

 と、レイナは目を輝かせる。


「なんでしょう?」

「ゴミ捨て場に来てほしいの。それで、そこで暮らしている人たちと話をしてほしい。みんなつらくても、頑張って生きてるの。みんなの生活を、少しでも楽にしてほしい。総理大臣なら、できるでしょう?」


 招待客はシンと静まり返った。片田がどう返すのか、みな成り行きを見守っている。

「そうですね、一度行ってみましょう。いろんな立場の人と話をするのが、私の仕事ですからね」

 片田が作り笑いを崩さずに言うと、レイナは喜びを爆発させる。


「ホントに⁉ みんなも、きっと喜ぶと思う! 私も一緒に行っていい?」

「ええ、もちろんですとも。ぜひレイナさんが案内してください」


 片田が合図をすると、司会者は「レイナさんの素敵な歌声を聞かせていただきました。次は、ファッションデザイナーの三城ケンさんにお話ししていただくことになっております」と話を切り替えた。


 レイナは客に手を振りながら、退出する。客が無反応でも気にしない。

「よかった、ゴミ捨て場に来てくれるって!」

 レイナは喜んでいるが、裕と笑里は片田が社交辞令で言っただけであると分かっていた。二人は複雑そうな顔をしている。



 控室に戻ろうとすると、「レイナさん、素晴らしい歌声に感動しました!」と一人の小太りの女性がホールから出て来た。

 緑色のラメのドレスを着て、いかにも高そうなネックレスやイヤリング、指輪をジャラジャラとつけている。

 笑里は「片田さんの奥様の瑞恵さんよ」とレイナに囁く。


「とってもかわいらしいし、歌声はすごい迫力があるし。さすが世界の歌姫ね。ファンが多いのも分かるわ」

「ありがとうございます」

 レイナは素直にお礼を言う。


 瑞恵はレイナのバレッタに目を止めて、「それが、大切な人からもらったバレッタね」とジロジロ見る。

「世界の歌姫が、いつまでも壊れたものを身につけているのはどうかしら」

 瑞恵は自分の髪につけていたかんざしを抜く。


「これ、今日の記念に差し上げるわ。本物のダイヤがついているかんざし」

 イチョウ型になっている部分に、大ぶりのダイヤがいくつもついている。レイナは「いいえ、いらないです」と即座に断る。


「あら、遠慮しなくていいのよ。他にもたくさん持ってるから」

「それ、高そう」

「そうね、かなりお高いわよ」

「だったら、そのお金でゴミ捨て場の人たちに食べ物を買ってあげてほしいの。一番困ってるのは、ゴミ捨て場の人たちだから」

 瑞恵の顔が引きつった。 


「そう? 欲がないのね、レイナさんは」

 結局、瑞恵はかんざしを渡さずに会場に戻ってしまった。

「ゴミ捨て場の人に食べ物を買ってくれるかな?」

「どうだろう。たぶん、それは難しいんじゃないかな」

 裕は軽くため息をついた。

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