あなたが好きです。

「美晴さん、大事な体験を打ち明けてくれて、ありがとう」

 怜人が早足でステージに出て来た。

「話しづらいことだったのに……ホントに、ホントに、ありがとう」

 怜人は美晴の肩に、優しく手を置く。


「皆さん、今の話を聞いてどう思いましたか? 僕は美晴さんが患者さんを見殺しにしたなんて、全然思わない。むしろ、患者さんに寄り添っていた。必死に寄り添おうってしていたのが分かります。薬を飲んでればいいなんて、そんなの治療って言えますか? むしろ、そうやって患者さんの痛みを分かろうとしない、他の医者やまわりの大人のほうが問題なような気がする」


 あちこちで「そうだー!」「美晴ちゃんは悪くない!」という声が上がる。


「僕、以前、薬物依存の人達の自助グループを見学させてもらったことがあるんです。そこで必死に薬物依存から抜け出そうとしてる人たちと話をしました。彼らも、ホントは薬には手を出したくなかった。薬物依存に陥ってからも、そんな自分が後ろめたくて、抜け出したくて、でも薬が切れるとつらいから続けるしかないって言ってました。そんな自分に嫌気がさして、誰かに助けてもらいたいってずっと思ってたって。


 たぶん、美晴さんの患者さんもそうだったんじゃないかな。美晴さんだけが手を差し伸べたのかもしれない。でも、それでも、彼女自身が手を振り払ってしまった。これは誰の責任でもないし、もし誰かの責任だって言うなら、彼女をそこまで追い込んでしまった社会が悪いんじゃないかって、僕は思います」


 怜人はそこで息を整えた。


「こんなことを言ったら、何でもかんでも政治に結びつけるなって言うかもしれないけど、でも、生きづらさを感じてるなら、それはやっぱ、政治の問題です。この国の政治を変えるしかない。僕は美晴さんの話を聞きながら、そうとしか思えなかった。


 だって、今、日本は世界一睡眠薬を飲んでる国なんですよ? 普通に生きてたら、睡眠薬なんて必要ないでしょ? でも、学校でいじめにあったり、会社で理不尽な扱いを受けたり、親に虐待されて、どうしようもない現実に心が折れてしまう。その人たちは、眠りたいから飲むんじゃなくて、目の前のツラい現実から目を背けたくて薬を飲むんです」


 観客は静まり返っている。美晴は怜人の横顔をただひたすら見つめていた。


「自分の人生は何もかもうまくいかないって、何人もの人が泣いてました。それって、その人たちの自己責任ってことで終わらせていいんですか? 弱い人は生きてる資格はないって、この社会ではいらない存在だって、そんな風に見捨ててしまっていいんですか? そうやって、今、この国でどれだけの人が見捨てられてることか。

 

 僕はそんな世の中を変えたいんです。僕がこうやって各地を演説してると、どんなに頑張ってもこの世の中は変えられないって言う人、大勢いますよ。でも、諦めてちゃ、それこそ何も変わらない。何もしないでいたら、この国を牛耳ってる人たちの思うツボなんですよ。


 いいじゃないですか、あがきましょうよ。最終的には何も変えられないかもしれないけれど、それでも、最後の最後まであがこうって、僕は決めました。たとえ何も変わらなくても、自分の人生まで支配されちゃいけない。そのために闘い続けるのが大事なんだって僕は思います」


 今まで、怜人の演説は何十回も聞いた。でも、今の怜人は何かが違う。演説のために語るのではなく、自分の心の奥から湧き上がってくる何かに突き動かされて語っているように、美晴は感じた。


 ――私は、この人が好きだ。

 美晴は胸に手を当てた。

 ――この人に出会えて、よかった。ホントによかった。

 観客は、みな吸いつけられるように怜人を見つめている。野次を飛ばしていた男たちは、いつの間にか姿を消していた。



 怜人の演説が終わると、地面が揺れるほどの拍手喝采が起きた。

 美晴は怜人に背中を抱えられるようにして、ステージから降りた。

「もう、もう、感動したあっ! 二人とも、すごかった!」

 ゆずが美晴に抱きついた。

 見ると、千鶴も涙を浮かべながら拍手を送ってくれている。


「美晴さん」

 怜人が手を差し伸べたので、美晴もその手を握り返した。怜人は熱っぽく握手をする。

「ありがとう。美晴さんがあそこで逃げずに思いきって話してくれたから、みんなの心を打てたんだと思う」

「そんな。怜人さんの話にみんな感動しただけで」


 美晴は怜人が自分を見つめる目を、まっすぐ見つめ返した。

 何か、通じ合えた。

 そんな気がした時。


「怜人っ」

 背後から、呼びかけた人がいる。怜人は目を見開き、美晴の手を離す。

 美晴が振り返ると、そこにはまるでモデルのような長身の美女が立っていた。


「演説、すごいよかった、感動しちゃったあ」

「優梨愛? 帰ってたのか?」


 それが誰なのか、美晴は聞かなくても分かった。怜人の婚約者だろう。怜人は今まで見たことのない表情になった。


「なんだよ、連絡くれればよかったのに」

「いきなり帰って来て驚かせようと思って」

 いたずらっぽい笑みを浮かべるその女性は、幸せに満ち溢れていた。

 そう、怜人の愛情を一身に受けているという、幸せでいっぱいだった。美晴の胸はギュッとしめつけられ、思わず目を閉じた。


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