居心地のいい場所

 翌日、教えてもらった事務所に着くと、千鶴が出迎えてくれた。


「今日は、白石さんは怜人さんと一緒に、東海地方の演説をしに行ってるの。浜松で演説して、岐阜と滋賀にも行って、夜は名古屋。ハードスケジュールなのよお」


 千鶴は壁に貼ってある日本地図を指しながら、教えてくれた。

 事務所は永田町にある小さなビルの一角にあった。一階はドラッグストアで、2階が事務所だ。支援者の方のお店で、2階を貸してくれているのだと、千鶴が説明してくれる。

 10人ぐらいのスタッフが電話に出たり、DMを発送する作業をしている。


「今はネットで情報発信するほうが多いんだけど、お年寄りには今でもハガキが効くのよねえ」

 狭い事務所だが、スタッフは真剣に作業をしていて、熱気にあふれている。その隅で陸がお絵かきをしていた。今日も怪獣の着ぐるみを着ている。


「こんにちは」

 美晴が挨拶すると、陸は小さく「こんにちは」と返した。

「昨日、会ったお姉さん。覚えてる?」

 千鶴が尋ねると、陸はコクンとする。

 千鶴は美晴を、その場にいたスタッフ達に紹介した。みな気持ちいいぐらいの笑顔で美晴を迎えてくれる。


「美晴さんの昨日の演説を聞いて、私もちょっと泣いちゃったあ。無関心をやめるって、すごいいいことを言うなって」

 

 徳永ゆずと名乗った、ぽっちゃりした体型の女性が、美晴にDMの発注作業を教えてくれることになった。ゆずは初対面にもかかわらず、「美晴さん」と下の名前で呼んだが、嫌な感じはしない。


「徳永さんは、いつからボランティアを始めたんですか?」

「3カ月前から。ネットの動画で、怜人さんの演説をたまたま見て、ちょー感動して。この人いいなって思って生演説を見に行ったら、秘書の白石さんもイケメンでしょ? 即行でボランティアするって決めちゃった」

「ゆずちゃんは不純な動機を堂々と語るわよねえ」

 千鶴はパソコンに向かいながら、呆れたように言う。


「いいじゃん。他のみんなだって、怜人さんファンか、白石さんファンが多いんだし」

 他の女性も、恥ずかしそうに笑っている。

「千鶴さんは長いよね」

「怜人君が議員に当選した選挙の時からだからね」

 女性陣がおしゃべりに興じている横で、陸は黙々とお絵かきを続けている。


 ――もしかして、この子、平日のこの時間にここにいるってことは、学校に行ってないのかな。


 事務所の電話が鳴り、千鶴が出る。

 しばらく相手と話してから、千鶴は、「えっ、美晴さんに?」と美晴のほうを向いた。

「そうね、直接怜人君から話したほうがいいかも……美晴さん」

 千鶴に「怜人君から」と受話器を渡され、戸惑いながら「もしもし」と電話に出る。


「こんにちは、本郷です」

 快活な声が受話器から聞こえてくる。

「昨日は、ステージで感動的な話をしていただいて、ありがとうございます」

「いえ、感動的なんて……」

「それで、影山さんが話している動画が、アップされてるんですよ」

「えっ、動画⁉」

「あの場にいた人たちが、動画を撮影してアップしたみたいで。その動画の再生回数が、一晩で30万を超えたんです」

「30万⁉」


 千鶴がスマホで動画を見せてくれた。確かに、動画投稿サイトに、美晴がステージで話している動画が何本かアップされている。

「ウソ、こんな動画が……」

 美晴は絶句する。


「それで、折り入ってお願いしたいことがあるんです。影山さん、僕と一緒にステージに上がって、演説してもらえませんか。僕の演説だけだと、暑苦しいじゃないですか。それに、僕の話はどうしても政治家としての視点になっちゃうから、国民と同じ目線になるのに限界があるというか。


 影山さんなら、みんなと同じ目線で話をできるから、共感する人が多いと思うんです。だから、影山さんにもぜひ、ステージで話してもらいたいんです」   


 怜人はさすが政治家だけあり、よどみなく話す。説得がうまいな、と美晴は内心、感心していた。


「でも、私、たいした話はできませんよ」

「充分、たいした話をしてますよ。だから、30万もの人が動画を観たんです。影山さんの話には、それだけの力があるって僕は感じました」

「でも、どんな話をすればいいか、分からないし……」

「それは、話し合いながら決めましょう。しゃべるのは10分ぐらいで構いません。今ここですぐに決めなくてもいいので、考えておいてもらえませんか」


 美晴は深く息を吸い込んだ。

 ――どうせ、無職なんだし。ちょっとぐらい冒険してみるかな。


「分かりました。短くていいのなら」

「ホントですか⁉ ありがとうございます。即決してもらえるなんて思ってなかったから、嬉しいです」

 怜人のテンションが上がっている様子が伝わってきた。


「それじゃ、さっそく明日から、僕らに合流してもらえませんか」

「えっ、明日から⁉」

「明日の場所は、後でメールします。それじゃ、そろそろ演説の時間なんで。失礼します」

 美晴が戸惑っているうちに、電話は切れた。


「怜人君は、一度決めたら、とことん突っ走るからね。これから、大変よ」

 千鶴が微笑む。

「いいなあ。美晴さん、白石さん達と一緒に回るんだあ。私なんて、ポスター張りか、DMづくりなのに。やっぱ、美人は得だよねえ」

 ゆずが大げさにため息をつく。


「ゆずちゃん、欲望を全開にするわよねえ」

 千鶴が呆れても、「だって、白石さん、何回アタックしてもダメなんだもん。彼女はいないみたいなのに」と、ゆずは意に介さない。

「ねえ、美晴さんって、彼氏はいるんですか?」

「ゆずちゃん、初対面なのにグイグイ行きすぎ」

 美晴は二人の掛け合いを見て、思わず笑ってしまった。

 ゆずは確かにグイグイ来るが、あけっぴろげで、みんなから愛されるキャラクターという感じだ。



 夕方までにその日の分の作業は終わり、ゆずは「今日は夜勤だ~」と言いながら、帰って行った。ゆずは看護師で、都内の病院で勤務しているらしい。


「影山さん、よかったら、うちで夕飯を食べていかない?」

 千鶴が誘ってくれた。家に帰っても、一人で食べるしかない。美晴はありがたく申し出を受け入れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る