私は、歌う。

「欧米のアーティストはチャリティをよくやってるでしょ? 私もそれを見ならって、今日はロビーに募金箱を置いときました。みんな、帰りに募金して行ってね! レイナちゃんに、ゴミ捨て場に住んでいる人に渡してもらうから。恵まれない人たちに、愛の手をって言うでしょ?」


 レイナは、呆然とヒカリを見つめていた。


 ――なんだろ、私、ヒカリちゃんに攻撃されてる気がするんだけど……。私、ヒカリちゃんに嫌われること、何かしたっけ?

 

 楽屋に入ってからの行動を振り返ってみても、思い当たらない。

 裕と笑里のほうを見ると、裕は「大丈夫だ」と大きく口を動かした。笑里は泣きそうになっている。


「今日は、一緒に『Power of Love』を歌ってもらうの。さっき、一緒に練習したの。ね?」

 ヒカリに声をかけられ、あわてて「ハイ」と答えた。

「私が大好きな曲です。『Power of Love』!」

 イントロが始まる。


 レイナは何とか落ち着こうと、目を閉じて深呼吸した。

 ――大丈夫。お兄ちゃん、見ててね。

 

♪さあ、立ち上がろう

暗闇でいつまでも膝を抱えていないで♪

 

 最初のフレーズを歌ったとき、マイクが入っていないことにレイナは気づいた。


 ――あれ? スイッチを切っちゃったかな?


 何度もスイッチのオンとオフを切り替えても、マイクは入らない。

 客席から「どうしたの?」「マイクが入らないみたいよ」とざわめく声が聞こえてくる。

 ヒカリはレイナのことを気にせず、のびのびと歌っている。


 袖では、スタッフたちが「どうした?」「マイクが壊れたか?」「替えのマイクを!」と走り回っていた。


 ――どうしよう。どうしよう、お兄ちゃん。

 レイナはバレッタに手をやった。

 そのとき。


「レイナ、歌って」

 タクマの声がした気がした。

「さあ、トラックに負けないように、大きな声で」


 ――そうだ。マイクなんて関係ない。ゴミ捨て場にいるつもりで、歌えばいいんだ。

 レイナは大きく息を吸いこんだ。


♪さあ、愛し合おう

あなたを愛してくれる人が、きっとそばにいる

きっと、ずっと、あなたを強く抱きしめてくれるから

愛の力を信じて、Power of Love♪


 ヒカリが顔色を変えてレイナを振り返った。

 レイナの声はマイクを通さなくても、客席に届いていた。ヒカリの声以上のボリュームなのは明らかだ。


 レイナの声を聴き、バンドのメンバーは顔を見合わせ、音を少し小さくした。レイナの声が、客に聞こえるように。


♪なぜ、傷つけるの?

あなたが一番寂しくなるのに

なぜ、憎み合うの?

ホントは愛し合うために生まれて来たのに♪


 今、レイナの目の前にあるのは客席ではなかった。

 見慣れたゴミ捨て場。タクマと一緒に駆けのぼったゴミの山だ。


 山のてっぺんでよく歌った。街に歌声が届くように、空に歌声が届くように。何十分も歌ったのだ。

 タクマもか細い声で歌っていた。その隣では、トムがへんてこなダンスを踊って、アミが手拍子していた。


 ――お兄ちゃん。見てる? レイナは、ここにいるよ。お兄ちゃんのために、ずっと歌うよ。お兄ちゃんが、天国で寂しくないように。

 

 ヒカリは二番の途中から歌えなくなっていた。

 客席は静まり返っていた。客の一人一人が、レイナの声を聴き逃すまいと固唾を飲んでいる。


 レイナの透明な歌声は、武道館の二階の客席の隅々まで響き渡っていた。

「すごい……」

 誰かがつぶやくと、「シッ、静かに!」とすぐに制される。

 

 最後まで歌い終えた。

 レイナは荒い息をしながらお辞儀をする。いつの間にか、汗だくだ。


 すると、割れんばかりの拍手。スタンディングオベーションが起き、「レイナちゃーん」「感動したー」と声が飛ぶ。

 ヒカリは無言で袖に引っ込んだ。


 レイナはスタッフに誘導されて袖に引っ込む。とたんに、客席では「アンコール、アンコール」の大合唱が起きた。


「レイナちゃんっ」

 笑里は涙をポロポロこぼしながら、レイナを抱きしめた。

「よかった、すごくよかった! あなたはすごい子よ、ホントに」


 裕とアンソニーはレイナに拍手を送った。アンソニーも涙でクシャクシャの顔になっている。

 裕は目に浮かんだ涙をそっと拭うと、「よく落ち着いて歌えたね。素晴らしかった」と、レイナの頭を軽くなでた。


「君の歌声は、奇跡を起こすんだな」

 レイナはようやく緊張が解けて、「笑里さあん」と抱きしめ返した。


 楽屋に戻る途中、舞台裏でマネージャーがヒカリにまくしたてていた。


「ヒカリちゃーん、なんてことしてくれたんだよお。ラジオで生中継してるのに。ツイッターでも、大炎上してるよ?」


 ヒカリはレイナたちを見ると、悔しそうな表情で視線をそらした。

「ヒカリ」

 裕はヒカリに歩み寄った。

「君とはここまでだ。もう曲を書かない」


 ヒカリは大きく目を見開いたが、「フンッ」とそっぽを向いた。

「そそそんな、西園寺先生、ちょっと待ってくださいよ」

 あわてふためくマネージャーを無視して、裕はレイナに「さあ、帰ろうか」と笑いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る