第1章 さよなら、大切な日々

ゴミ捨て場へ、ようこそ

 トラックの地響きとエンジンの音で、レイナは目を覚ました。

 いつも目を開けると、真っ先に視界に入るのは赤く錆びたトタン屋根。屋根にはいくつも穴が開いていて、雨漏りするので板でふさいである。


 息を吐くと、たちまち白い蒸気になる。今日も朝から寒い。

 レイナは寝袋に布団と毛布をかけて眠っていた。

 そこから出たくないとしばらくまどろんでいたが、隣で寝ているはずの母のミハルの姿が見えないことに気付き、飛び起きた。

「ママ、先に行っちゃったんだ……」


 ベニヤの壁にかけてあるセーターとダウンジャケットを羽織り、小さな壁掛け鏡をのぞき込む。

 白く透き通った肌に、大きな茶色い瞳。肩につく長さの艶やかな黒髪は、あちこち寝癖で跳ねている。


 ブラシでとかしても寝癖はとれないので、隠すために青い毛糸の帽子をかぶり、小屋の外に出た。

 途端に、冷たい風が頬を刺す。レイナは身をすくめた。


 目の前に広がるのは、いつもと変わらないゴミの山。身長157センチのレイナの3倍はある高さの山だ。


 色とりどりの空き缶や空き瓶、ペットボトルや鉄くず、ゴミ袋に入ったままのゴミが積み重なっている。今は冬だからニオイがキツくないのが、せめてもの救いだ。


 レイナはゴミの山の麓を早足で歩き、ゴミ捨て場の片隅にあるバラック小屋に向かった。

 トラックの轟音は途切れることなく続いている。バラック小屋の外にある水飲み場には、既に他の住人が集まっていた。


「レイナー、おはよう!」

 ゴミの斜面に登っていたトムがレイナに気付き、大きく手を振る。トムは日本人とガーナ人との間に生まれた子供で、肌は褐色だ。


「おっはよー」

 レイナも手を振って返す。


 ちょうどミハルがバケツに水を汲んでいるところだった。

 ミハルは顔を上げて、「レイナ、顔を洗いなさい」と手招きしてくれる。


 レイナは並んでいる人たちに挨拶をしてから、蛇口に両手を揃えて出して、顔を洗う。

「ひゃ~、冷たっ」

「目が覚めるでしょ?」

 ミハルは首に巻いていたタオルをレイナに渡す。


 タオルで顔を拭きながら、「起こしてくれればよかったのに」と言うと、ミハルは「昨日は農作業を一生懸命やってたから、疲れてるだろうなって思って」とバケツを2つ持ち上げた。


「じゃ、私、マサじいさんのところに持って行くね」

 レイナも既に水が入っているバケツを2つ持ち上げた。


「いつもは一番乗りなのに、今日は珍しいじゃないか」

 列の中からレイナに声をかけたのは、みんなからジンと呼ばれている男性だ。

 寒くてもずっとヘアスタイルは丸刈りで、手拭いを頭に巻いている。腕組みをしている両手の甲には刺青が目立つ。


「うん、ちょっと寝坊した」

「まあ、今日は特別な日だしな」

「特別な日?」


 レイナが首を傾げると、ミハルが慌てて、「ホラ、早くマサさんにお水を持って行ってあげないと」と促した。ミハルが軽くにらむと、ジンは気まずそうに横を向いた。


「ねえねえ、レイナ、今日は家具のトラックが来てるよ!」

 トムが興奮しながらレイナに駆け寄ってきた。

「へえ、そうなんだ。どの辺に来てるの?」

「南口のほう」

「じゃあ、ご飯食べたら一緒に行こ」

「オーケー!」

 トムは親指をグッと立ててから、走り出した。


「おーい、お湯を沸かしておいてくれ……って聞いてないか」

 ジンが諦めた口調で言うと、「たぶん、タクマお兄ちゃんに伝えに行ったんだと思う」とレイナは答えた。


 途中でミハルと別れて、レイナはマサじいさんが住んでいる小屋に向かった。

 ここに20年以上住んでいるマサじいさんの住処は、大きな木の下にある小ぶりの小屋だ。青いビニールシートで雨除けをして、ベニヤで壁と床をつくり、トタン屋根を渡してある。


「マサじいさん、おはよー」

 ドアの外で声をかけると、中から咳こむ音が聞こえてきた。

 ちなみに、ドアはゴミ捨て場に捨てられていたのを拾って使っているので、ドアだけやけに立派だ。


 レイナはドアを開けて、「風邪の具合はどう?」とのぞき込む。

「ああ、どうも咳が止まらなくてね」


 マサじいさんは、苦しそうにベッドから起き上がる。そのベッドも拾ったものだ。あちこちから調達した布団を、何枚も重ねている。


 布団の上に出ているのは右手だけ。マサじいさんは左手が肘のところから、ない。工場で働いているときに、機械に挟まれて手をなくしたのだ。


「風邪をうつすわけにはいかないから、こっちには入って来んように」

 つらそうに咳をしながら言う。

「わかった。じゃ、外で雑炊を作るね」


 マサじいさんは、ドアのすぐ横の棚に食器や調理器具をそろえて置いている。

 レイナは小屋の外にカセットコンロや片手鍋を持ち出す。


 バケツから鍋に水を入れて火をつけると、ダウンジャケットのポケットから小さなタッパーを取り出した。昨夜のうちに、雑炊用の冷ご飯を詰めておいたのだ。

 お湯が沸いてから、マサじいさんがストックしている粉末の鶏がらスープを入れ、冷ご飯を投入した。


 それから小屋の裏にある鶏小屋をのぞきに行くと、二羽の鶏は眠っていた。

 敷き藁の上に卵が2つあるのを見つけて、レイナはエサをやるための小窓からそっと手を入れて、卵を取り出す。


 卵の1つは小窓の脇にある受け皿に置いた。そこに置いておけば、卵を食べたい誰かが持っていく。

 ここでは、自分が食べきれる量だけを取るのが鉄則だ。


 エサと水を補充してから、鶏小屋の後ろにある畑に入る。

 ダウンジャケットのポケットからハサミを出して、ネギを一本切り、小松菜を一株抜いた。この畑はマサじいさんが管理している、ささやかな野菜畑だ。


 小屋に戻り、ボールに入れた水で野菜を丁寧に洗うと、ネギを細かく刻んで片手鍋に入れた。小松菜は大雑把に切る。

 野菜がやわらかくなるまで煮て、最後に卵を溶いて流し込む。塩コショウをして味を見ると、なかなか良い出来だ。


 あちこちが欠けているご飯茶碗によそっていると、「オレがマサじいさんに持ってくよ」と水汲みから戻ってきたジンが受け取った。

 ジンも雑炊を一口食べてみて、「うん、うまい。レイナはホントに料理が上手だな」とレイナの頭をなでた。


「じいさん、具合はどうだ?」

 小屋の中からジンが話しかけている声が聞こえる。レイナはやかんでお湯を沸かし、緑茶を入れて、それもジンに託した。


「熱は下がったみたいだな。咳が出るようになったから、もうすぐ治るだろ」

 ジンは後片付けはしておくから、家に戻るようにレイナに言った。レイナはお礼を言うと、ミハルが待つ小屋に駆け戻った。


 林に点在している小屋では、住人が洗濯物を干したり、煮炊きをしている。

 レイナは「おはようございます」とみんなに声をかけていく。みんなも、「おはよう」「今日も寒いね」と声をかけてくれる。


 ゴミ捨て場の麓に住んでいるのは、ざっと30人だ。

 年齢も国籍もさまざまで、10代で一人暮らしをしている人もいれば、マサじいさんのように70代の老人もいる。事故で片足をなくしたり、知的障害を抱えている人もいる。 

 ここでは、みんなで支え合いながら暮らしているのだ。


 小屋のドアを開けると、いい香りがたちまち鼻を刺激した。

 布団は隅に片づけられ、部屋の中央にはちゃぶ台が置いてある。その上には、野菜を小さく刻んで煮込んだスープが湯気を立てていた。そして、目玉焼きが一つ。


「お帰り」

「あー、お腹すいた!」

 ミハルは食パンを、さっとカセットコンロであぶってくれた。


「いただきまーす」

 レイナはスープを二口、三口飲む。冷え切った体に、じんわりと温かいスープが染みわたっていった。


「マサさんはどうだった?」

「熱は下がったみたい。でも咳が苦しそうだった。雑炊を作って来たんだけど、食欲はあるみたい」

「そう。今回の風邪は長びいてるわねえ」


 ミハルは目玉焼きを半分に切り、レイナに差し出す。いつも、レイナのほうが大きめだ。

 レイナは目玉焼きを食パンに乗せて頬張った。


「ん~、おいしっ」

 満足そうな表情のレイナを見て、ミハルはフフッと笑う。

「ちょっと冷めちゃったわね」

「ううん、大丈夫!」


 その時、ドアを軽く叩く音がした。

 ドアがそっと開き、一人の少女が、おずおずと顔を見せる。

 おかっぱ頭に、丸い瞳。頬は寒さで真っ赤になっている。その手には、いつもお供をしているペンギンのぬいぐるみ。


「アミ、おはよっ」

 レイナが手招きすると、アミは顔を輝かせて小屋に入る。

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