第1話 不協和音は突然に


「これは決定事項だ。口答えは許さん!」

「は?」

「えっ?」


 僕と隣にいる彼女、大城戸おおきどあゆの二人は、あまりに突然の出来事にこれ以上ないくらい間抜けな顔をしていたことだろう。客観的に見て。


 いきなり何を言い出すんだ?! と、そう思ってはいてもあまりの事にちゃんとした声にすら出来なかった。それくらいにおかしなことだったんだ。


 そんな僕たちの目の前で、満足そうな笑顔(?)でいながら鋭い眼光を放っている祖父は、少しのよどみもなく『そのこと』を告げた。


 わけがわからない。

 そして、『そのこと』に先に異を唱えたのは、いとこであり年上の彼女の方だった。


「おじいさま! どうしてあたしがこんな『がきんちょ』と婚約しないといけないんですか!?」


――カチン!

 僕の頭の中でスイッチが入る。僕がもっとも気にしていることをこの隣に座っている女は、なんの躊躇ためらいも気遣いもなく叫んだからだ。こうなると僕も自分自身を律することなく言葉を口にしてしまう。


 まさに売り言葉に買い言葉。


「誰が『がきんちょ』だよ、僕は今年で15歳になる。元服って知ってるか? 立派な大人になるってことだ」

「ふ~ん、そうなんだ。あんたそれでも15歳なんだ? あたしはてっきり小学生かと思っちゃった。ごめんなさいね~」

「『あんた』ってなんだよ! 僕は日下部 透だ。それに小学生だって?! いったいどこをどう見たら小学生に見えるって言うんだよ!」

「フン! まぁ、なんだってかまわないわよ。とにかく、おじいさま! あたしはこんなことぜーったいに認めませんからねっ!」


 そう言うや否や彼女は正座の姿勢からすっと立ち上がり、制服のスカートをひらりと一回だけはためかせると、祖父である大城戸老に対して最後に一瞥いちべつを向けただけで畳が敷き詰められたこの広間を出口に向かって早足で歩き出した。

 その間、この大城戸一族が数十人集まるこの部屋の中は僕たち以外終始無言。一人としてそんな彼女の無礼な振る舞いをとがめることもなく、まるでこうなることがあらかじめわかっていたかのような空気。


 アイツが出て行った後も何事もなく、そのまま時間だけが過ぎ去っていった。


 多分、今回のことを聞かされていなかったのは僕たち二人だけだったのだろう。そして僕たち以外にはあらかじめ根回しされていたに違いない。


 くそっ!


 僕だってそうと知っていればあんな『癇癪かんしゃく持ち馬鹿女』と婚約することになる場になんて来なかった!

 そもそも僕はこの『大城戸一族』とはあまり関わりあいを持ちたくはなかったから、今までこの親戚の集まりといったものにも進んで参加するというようなことはなかったのに……。大失態だ。


 ただ、いいわけをするなら、今回ここに来たのはもう一つの理由があったから。


 それにしても――。


(はぁ……何なんだよ、いったい)


 僕は足早にこの部屋から立ち去っていった、開け放たれたままのふすまの先を見ながら心の中でため息混じりの悪態をついた。一族の中でもこんな非礼が許されるのは彼女、大城戸老の一番のお気に入りである『あゆ』だけだろう。


 いろいろなことをあきらめて、僕が正面に向き直ると同時に、空気を切り裂くような大きな笑い声が起こる。


「はぁーっはっはっは! 本当に気性の激しい娘だな、死んだばあさんそっくりだ」


 そんな風に言いながら台風のような笑い声をあげる大城戸老の次の言葉を、僕は姿勢を正してただ、待つ。あの『馬鹿女』――あんなのが次期大城戸の頭首だと思うと頭が痛い――のペースに巻き込まれてあんな感情的な言葉を発したことが今ごろになって悔やまれた。


 まさに後悔先に立たず……だ。


 それでも大城戸老に向ける視線には今回のことを非難する色を込めておくことも忘れない。今回取り乱してしまった僕の言動すらも目の前の老人には予想通りなんだろう、とそう感じたから。


 そして、そんな大城戸老はひとしきりの笑いを終えた後、やっとそんな僕の非難めいた視線に気づいてくれたのか、急に真顔に戻って声をかけてきた。


「それはそうと、透よ。今回の事故、本当に残念に思っている。これからも大城戸一族は日下部を支えていく所存だ。大城戸と日下部は一心同体……お前もこの爺のことをもっとあてにしてくれてかまわんのだぞ」


 定型文書にでも出ていそうなお題目。そんな言葉には僕も同じように決り文句で返答する。


 それがしきたりってもんだろ?


「ありがとうございます、老。これからも日下部は大城戸の影となり働く所存でございますので、なにとぞ父同様変わらぬご配慮を賜りますようお願いいたします」

「かたっ苦しい挨拶もなかなか堂に入ってきたようだな。フフ…、お前も幹也みきやに変わらぬ瞳を持つようになったな。いや、董子とうこのソレが近しいか? それにしても――」


 そう言葉を止めてから大城戸老は目を瞑り、天井を見上げ言葉を続けた。

「――二人そろって逝ったことがせめてものなぐさめか……」



 僕の両親は一週間前に、いまさらながらの『新婚旅行』とやらに出かけ、その旅先の事故で亡くなった。


 両親は、息子の僕から見ても本当に仲がよくて僕自身、少し疎外感を覚えるほどだった。だから両親が亡くなったときも、二人一緒だと聞いて悲しさより先に少しだけほっとしたというのが正直なところだ。

 ただ、もうひとつ本心を言わせてもらうならば、未だに両親が死んでしまったという実感はない。結局最後まで遺体を確認させてもらえなかったのが実感できない理由なんじゃないかと思う。


 そして、その葬儀のときになってはじめて気がついた事実があった。それは父方……日下部の親戚というものがという事実。そう、それは今このとき、日下部の血筋は『僕』しかいなくなってしまったことを意味していた。


 そのことに思い至って、はじめて僕は大城戸老の言葉の意味を理解することが出来た。


『お前たち、本日付で婚約しろ。なんだったら結婚してもかまわん。そして子供を作れ。これは決定事項だ。口答えは許さん!』


 どうやら、大城戸老にとって『日下部』と言う血筋はそれほど御大層なものらしかった。そうでもなければ、こんなことを突然口にするわけもないし、第一、この周囲にいる大城戸の親戚連中も黙ってはいないだろう。

 こんな大城戸の亜流とも言うべき日下部にどんな利用価値があるのかは僕には皆目見当もつかないけど。


 そんなことを考えている間に大城戸老の黙祷もくとうが終わりを告げたようだ。僕にとって祖父に当たるこの老人はおもむろに立ち上がると、老人とは思えない足取りで正座をしている僕の前に歩みより、もう一度僕の『瞳』を覗き込むように見てから一通の封筒を差し出してきた。

 僕はなんとかそのすべてを見透かすかのような鋭い眼光に物怖じすることなく、封筒を受け取ることが出来た。


「これはおまえの父親から『この日』の為に、と預かっていたものだ。まさか本当にこの日が来て、わしからお前に渡すことになろうとは思っていなかったがな」

「父から……ですか? 『この日』っていったい?」


 僕には老が何を言っているのかわからない。僕はうながされるままに封筒を開けて中を見る。


 そこには今日の日付が入った、父親の筆跡で綴られた手紙が一通入っていた。僕は信じられないという表情を隠すことも出来ないまま、手紙の内容を目で追いかける。




『透へ

 お前がこの手紙を10月24日に目にしているということは、この手紙が私の遺書となっているということだろう。

 陳腐な書き出しで悪いが、これがお前の目に触れないことを祈らずにはいられない。自分自身の『死』が『え』てしまうというのも嫌なものだな。お前には何が『視える』のか、結局私たちに相談してはくれなかったな。それが少しだけ心残りといえなくもない。父親としては失格だったな。すまない。


 何を書いても愚痴か後悔になってしまいそうだ。生きているうちに、自分の死について書くというのは本当におかしなことだということだけが頭に浮かぶ。とにかく要点だけ書くことにしよう。


 内閣特務機関・古都管理室の平城山ならやまという男に会え。そこにお前の運命が待っている。


 願わくは、この手紙が透の目に触れないように。

 20XX年10月3日 日下部 幹也


「なんだよ…これ? どうして? 父さんはいったい……」

 この遺書の内容に愕然がくぜんとしながらも、僕はこの手紙の意味を考えていた……。



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