第3話 ここはどこ?
ゼリーのような分厚い膜の中を、先に見える僅かな光を目指して懸命に走っている。
見たことのない景色が、実際の記憶のように色鮮やかに浮かんでいる。
長い長い産道をゆっくりと抜けながら、眠りと目覚めの境目にある海を漂っていると、突然激しい頭痛がした。
目覚まし時計の音が、混濁した意識を徐々に現実に変えていく。
布団の中で目を覚ました大樹は、自分がアパートの部屋の中にいることに気づく。ゆっくりと上半身を起こして部屋中を注意深く見渡す。
カーテンの色模様や家具も家電も見慣れたものばかりだった。改めて時計で時刻を確認すると、午前7時を少し回ったところだった。
「出勤しなければ…」
自然と出た言葉だった。慌てて洗面所へ行き、軽く顔を洗い歯磨きをする。鏡に映る自分の顔を見て、何となく違和感を感じる。その正体を確かめるために、もう一度部屋に戻る。何も変わっていない。しかし、ふと壁にかかったカレンダーを見て、自分がいる場所に気づく。カレンダーには2080年となっていた。でも、ここは『未来』ではない。自分は『来世』にいる。大樹には、なぜか確信めいたものがあった。
いろいろ考えるべきことがあったが、出勤時間が迫っていた。朝食をとっている時間もなかったので、冷蔵庫を開け、野菜ジュースを飲むだけにする。
アパートを出て駅までの道を急ぐ。『来世』に来たばかりのはずなのに、通い慣れた道のせいか足が勝手に進んで行く。改札口を抜け、エスカレーターの右側を駆け上がりホームへたどり着く。電車を待つ列の一番後ろに並ぶと同時に、電車が警笛を鳴らしてホームへ入って来た。すでに満員の車内に無理矢理乗り込む。見ず知らずの他人と身体中が密着する。満員電車というものが、こんなにも気持ち悪かったのかと思い知らされる。毎日こんな思いをしていたことに驚きを隠せない。特に背が高く、体格もいい大樹は、満員電車の中では邪魔者扱いされる。大きな体を、できるだけ小さくして耐え続けた。
勤務先の最寄り駅でやっと地獄から解放された大樹が、『通い慣れた道』を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「先生、おはようございます」
歩みを止めて振り返ると、そこには一人の女子高生が近づいていた。自分は『来世』では、教師になりたいという夢を叶えていたのだ。しかし、よりによって女子高とは思わなかった。彼女の着ている制服は、お嬢様学校として有名な私立丸川学園高等学校のものだった。
「真中、今日は早いんじゃない?」
真中という名前がスッと出たことに、自分でも驚く。
「やだ、先生。朝練があるからじゃないですかあ」
『朝練?』
一瞬何のことかわからなかったが、自分が顧問をしているソフトボール部の早朝練習がある日だったと気づく。そのために、自分もいつもより早く出勤してきたのだ。
「そうだったな」
「とぼけちゃって、先生。じゃあ、私、先に行ってますから」
そう言って、真中玲子は大樹の横を走り抜けて行った。
学校に着き、職員室へ入る。この時間に来ている教師はまだ少なかった。女子高なので、必然的に女性教師のほうが多い。
「おはようございます」
大樹が声をかけると、みんなが振り返って、
「おはようございます」
と返してくれる。当然のことなのだが、その顔ぶれを見て、大樹は新鮮に感じた。『前世』の時に務めていた会社の同僚とは、明らかに雰囲気が違ったからだ。自分の席に着き、今日の予定を確認した後、朝練の行われるグラウンドに向かう。
わが丸川学園高校ソフトボール部は、キャプテンの真中の下、まとまったいいチームだった。前顧問の先生が急に辞めてしまい、小学校から高校まで野球をやっていた大樹に後任の白羽の矢が当てられた。本当は断りたかったのだが、他にふさわしい先生もいなかったので、やむを得ず引き受けた。だが、いざやってみると楽しかった。前任者が根性論的な指導だったのに対し、理論で説く大樹の方法が生徒たちに受け入れられた。大樹は新しい運動理論や手法も積極的に取り入れた。結果、チームはどんどん成績を伸ばし、今では都大会の優勝常連校にまでになっている。その実績は学校内でも高く評価されている。それが、今のところ大樹が唯一他人に誇れるところだ。本当は教科指導の面で誇れるものがあればいいのだが、まだ教師歴の浅い大樹にそれはない。
朝練から戻ると、教師は全員出勤していた。自分の机に座り、この後の授業の準備に取り掛かろうとする。大樹は社会科の教師だ。すると、背後から懐かしい声に呼ばれる。
「中里先生、朝練お疲れ様」
同期の松岡正孝だが、こちらでは数学の教師になっていた。
「どうも。いつものことです」
そう答えたが、松岡はまだ傍に立っていた。
「何か?」
「あのさあ、今日の夜に何か予定ある?」
「今日の夜? 別にないよ」
「そう。じゃあ、久しぶりに一緒に食事でもしないか。話したいこともあるし」
「わかった。いいよ」
何の話だろうと思いつつ、急いで授業の準備をして教室へ向かう。一時間目は様々な連絡事項を伝える必要もあって、自分が担任をしているクラスでの授業だ。教室に入ると、学級委員長の広田ミエが近づいてきて「汗臭いよ」という。朝練の後、部室横にあるシャワー室でシャワーを浴びてきたので匂わないはずだが、大樹が一応自分の匂いを確かめる仕草をすると、「うっそ」と言う。
こんなことは日常茶飯事だ。ミエの挑発を無視して教壇に上ると、今度は前世にいた女優と同姓同名の新垣結衣が、大樹の首当たりを指さし「先生、ネクタイ曲がってる。それに、そのネクタイ先生に似合ってない」と言う。
女子高の生徒たちは男の教師に対して、こうもうるさい。というか、揶揄うことを遊びのように思っている。最初はいちいち真に受けて怒ることもあったが、今ではすっかり慣れた。本当に嫌な教師に対しては、陰で悪口を言ったり、質の悪いいたずらを仕掛ける。こうやって、面と向かってちょっかいを出してくるのは、受け入れてくれている証拠だと、同僚の女性教師から聞かされ、それを信じることにしている。
「いいから、いいから。みんな、席に着いて。今日は秋の学園祭について連絡事項を話すから」
「やったね」
どこからか声がした。学園祭は生徒たちが最も楽しみにしている行事だ。そのせいか、急にみんな真剣は顔になっている。
「おいおい、みんな急に真面目な顔になっちゃって。授業の時もいつもそれくらい真面目だったら、先生嬉しいんだけどな」
「も~お~、そんなつまんないこと言ってないで、早く学園祭のこと話してよ、先生」
ミエが大樹の方を向いて言うと、
「そうだ、そうだ」
と、みんなが一斉にコールする。
「わかった、わかった。話すから静かにしてくれ」
それから30分ほどかけて、今年の学園祭のメインテーマとか、クラス単位の催しのことや、模擬店のことなどについて説明した後、授業に入ったが、みんなの頭の中は学園祭のことでいっぱいのようで、さっぱり集中していなかった。
その日の夜、大樹と松岡は駅前に最近できた洋風居酒屋の奥にある個室にいた。松岡が予約をとっていたのだ。ビールで乾杯し、料理を食べていると、松岡がおもむろに話し始めた。
「実はさあ、俺、結婚することにしたんだ」
「ええー、そうなの。驚きだなあ」
「お互い、もうそういう歳だってことだよ」
「まあ、そうだけど。で、相手は誰よ?」
「英語の太田小百合」
英語教師の太田小百合は、大樹たちより二年遅れて丸川学園高校に赴任してきた。
「そうだったのかあ。二人が付き合っていたなんて全然知らなかったよ。でも、おめでとう」
「周りのこともあったから言えなかったんだ、すまん。でも、ありがとう」
「彼女ならいい奥さんになると思うよ」
太田小百合は、どちらかと言えば地味なタイプだけど、その分、堅実な生活ができるだろう。
「俺もそう思って結婚を決めたんだ。それで、実は3か月後に挙式することになった」
「3か月後? よく式場を押さえられたね?」
「たまたま空いていたんだ」
「それにしても急だね」
「彼女のお腹の中に赤ちゃんがいる」
決然と言い放った松岡がかっこよく見えた。
「そういうことか。お前はすごいなあ。あっという間に俺を追い越したな」
「まあ、それは違うと思うけど。それで、少し気が早いけど、披露宴での挨拶と受付をお願いしたいと思ってるんで、よろしく」
「わかった」
『披露宴の受付』という言葉を聞き、大樹の心の中に胸騒ぎが起きた。だが、その胸騒ぎの原因に思い当たることがない。どういうことなのだろうかと疑問に思ったが、その時はその程度のことにしか考えていなかった。
それからの3か月間、大樹はとかく逸る気持ちを閉じ込めて仕事に精を出した。待ちに待った松岡の結婚式は大安の土曜日に行われた。式場に行き、松岡の叔父さんという人に受付役の相手を紹介されたが、そこにいたのはまったく見知らぬ女性だった。その時、大樹は初めて気づいた。自分が会うべきだったのは前田雪乃であることに。
『そんなバカな』
中野理恵子と名乗るその女性を呆然と見つめる大樹に、挙式を終えた松岡が近づいて来て小声でそそのかすように言った。
「どう?カワイイ子だろう」
だが、大樹の耳にはまるで届かなかった。
松岡の言うように、中野理恵子は素敵な女性だとは思ったが、大樹にとっては雪乃以外の女性は眼中になかった。
受付を終わり、披露宴の自分の席に着いてから新婦の友人席を見渡すも、そこに雪乃の姿はなかった。何らかの理由で雪乃はこの場に来られなかった。そう思うしかなかった。
大樹の『記憶』では、雪乃は小百合の友人だったはずだ。だから、この後の二次会の席で小百合に訊いてみることにする。披露宴は新郎新婦が両親へ花束を贈呈するセレモニーで幕を閉じた。やがて始まった二次会。みんな盛り上がっている中、大樹は二人へのプレゼントである詩集を持って近づいた。意外な贈り物に、特に小百合は喜びを見せた。ここがチャンスと、大樹は小百合に雪乃のことを訊いたが、そんな人知らないと言われてしまった。この時、大樹はどこかで運命の歯車が狂ってしまったことを意識した。前世にはいたはずの前田雪乃という人そのものが、ここにはいないということなのだろうか?
しかし、『私たち』は約束を交わしたではないか。『生まれ変わってもまた一緒になろうね』って。みんなの喜びの渦の中で、大樹の心だけは泣いていた。
だが、大樹は諦めたわけではなかった。あの約束は二人にとって、絶対的ものだった。だから、それを信じるしかなかった。
翌日の日曜日、大樹が向かったのは、広尾のあのカフェだった。二人の付き合いは、あの店から始まった。雪乃が約束を覚えていれば、必ずやあの店に来るに違いない。ただし、あの店が『来世』でもあればの話だ。自分が『来世』にいるとわかってからのこれまでのことを考えると、まったく変わってしまっていることと、まるで変わらないことがあった。だから、わからないのである。
広尾の改札口を出る。周囲の景色を見ても、変わっているのか、変わっていないのかすらわからない。ただ、店までの道のりはわかっていた。歩いて3分、あのツリーハウスが見えてきた。レ・グラン・ザルブルは変わらぬ姿で佇んでいた。微かな希望が見えたような気がした。逸る気持ちを抑え3階の喫茶室に入る。だが、そこに雪乃の姿はなかった。念のため、4階にも行ってみたが、そこにも雪乃はいなかった。しかし、考えて見れば雪乃がいなくても不思議はなかったのだ。とるものもとりあえず来てしまったけれど、雪乃と二人でこの店に来たのは、電話で雪乃から誘われた後だった。あの電話は…。確か、松岡の結婚式が終わって二週間後の日曜日だった。大樹は、その一週間も前に店に来ていたのである。いるはずもなかった。でも…。そもそも結婚披露宴の受付で雪乃と出会えていないことを考えると…。途方に暮れるのであった。
翌日、昼休みに学校の廊下を歩いていると、広田ミエがにやけた顔をしながら大樹に近づいてきた。
「先生」
「何?」
「昨日、広尾のレ・グラン・ザルブルに行ったでしょう」
レ・グラン・ザルブルは女の子同士で行ってもおかしくない店だ。休日の私服姿だと女子高生だと気づかないこともある。だが、昨日レ・グラン・ザルブルに広田ミエはいなかった。
「まあ、行ったけど。広田が何で知ってるんだよ?」
へんに否定すると、かえっておかしな噂を流される可能性があるので、ここは正直に認めることにする。
「私のマブダチの3組の平中摩耶が先生が店に入るところを見たんだって」
「そういうことか…。でも、別に問題ないだろう」
「誰もそんなこと言ってないじゃん。で、デート?」
揶揄っているのだろう、ニヤニヤしている。何と答えるべきか迷った。
「いやあ、そのお~」
「デートだよね。あんなお店、男が一人で行くところじゃないもん」
先ほどまでにやけていたミエの表情が真剣さを帯び、かつどこか悲しそうなものに変わっていた。そんな彼女を見て、大樹は『事実』を告げることにした。
「ある女性と会うはずだったんだけど、彼女は来なかった」
「ふられちゃったってわけ。先生、付き合っている人いるんだね」
「俺だって、彼女の一人や二人いるさ」
「ふ~ん。それってまさかうちの女性教師じゃないよね?」
「それは違う」
何で自分はミエにこんなことまでしゃべっているのだろう。
「そうかあ…」
なぜかホッとしたような顔を見せるミエ。
「広田、お願いだからへんな噂は流さないでくれよ」
「う~ん。それは先生次第」
「どういうことだよ」
「それはまた今度」
そう言うと、ミエはくるりと向きを変え逃げるように大樹の元を去った。
その後ろ姿を見ながら、何か厄介なことに巻き込まれそうな予感を感じていた。
松岡の結婚式から二週間後の日曜日に雪乃から電話はなかった。出会えていないのだから当然ではあったが、やはりがっかりした。それでも、大樹は予定通り、初めて雪乃と一緒に行った同じ日の同じ時間に広尾のレ・グラン・ザルブルに改めて行ったが、微かな期待もむなしく、そこに雪乃の姿はなかった。もしかしたら、遅れてやってくるかもしれないと、しばらく待ったが雪乃は現れなかったので帰ろうとしたその時、入口に見たことのある顔が現れた。それは、雪乃ではなくて、私服姿の広田ミエだった。ブルーで揃えた刺繍オフショルダーとデニム姿のミエは、一人の大人の女性だった。
まるでそこにいることを予め知っていたかのように、一直線に大樹の席へとやってきて、向かいの椅子に座ってしまった。切れ長で粗野な瞳、高い鼻梁を持つミエは典型的な美人顔だけど、性格は男の子のようにさっぱりしているため、クラスでも人気がある。しかし、そのシャープな顔立ちと言動に見られる、ちょっと尖った個性はもともとの頭の良さを表わしていた。
「やっぱり来てたんだ」
「何しに来たんだ?」
「さあ?」
「さあって」
「先生は何で一人なの? 今日もふられちゃった?」
「余計なお世話だ? そんなことより、二人で一緒にいるところを誰かに見られたら、へんな噂になっちゃうかもしれないから、せめて他の席に移れよ」
と、その時店員が現れ、ミエにオーダーを訊いた。
「何にいたしましょう?」
「この人と同じものを」
そう言ってミエは大樹のアイスコーヒーを指さした。店員が去ったところでミエが言った。
「大丈夫。このお店はうちの学校の子は来ないから。それに、噂になっても、私はいいし」
「何だそれ。万が一お前が良くても、俺はマズイ」
「ねえ、先生。そんなことより、先生へんだよ。二週続けて相手にすっぽかされるなんて、ある?」
「それがあったんだからしょうがないだろう」
「先生、白状しちゃいなよ。何か事情があるんでしょ。ミエが相談に乗ってあげるから」
「おいおいおい。何でお前に相談しなくちゃならないんだよ」
「先生、さっきから私のこと、お前、お前って言ってるけどさあ。私にはちゃんとした名前があるんだよ」
ミエの言ってることはもっともだった。
「それは悪かったな。素直に謝るよ、広田君」
「広田君?」
「だって、そうだろう」
「そうだけどさあ。先生って女心全然わかってないよね。そんなことだから、二週続けて女にふられるんだよ」
痛いところをつかれてグーの音も出ない。
「しかしなあ…」
「私のこと、ミエって呼んで」
「ミエ? それはおかしいだろう?」
「何でおかしいのよ。カワイイ教え子なんだから。お願いします。そう呼んで」
何かおかしなことになってきたと思いながらも、そう呼ばないと梃子でも動かないという感じのミエを見て、とりあえず希望に応えることにした。
「わかった。しかし、これは特別だぞ」
「いいよ。じゃあ、言ってみて」
「しょうがないなあ。わかったよ、ミエ」
言葉は放った瞬間から意味を持つ。ミエの顔に花が開いた。でも、同時に自分まで妙な気持ちになっていることに驚く。口にしてみて自分でも初めてそれとわかる真実もある。
「やったー」
子供っぽい笑顔で単純に喜んでいるミエの姿を見て、ここに深い意味などないのだと、自分に言い聞かせる。
「それで、そもそも何で今日俺がここに来ると思ったのか。そして、ミエは何しにここに来たのかを教えてくれよ」
「それはね、先生の夢を見たからなんだ」
「夢?」
「そう、夢。先生が、今日のこの時間にこのお店に来て、大切な誰かと会おうとしているっていう夢」
「ふ~ん」
今度は大樹が唸る番だった。
「先生、当たっているでしょう?」
「NOと言いたいところだけど、当たっている」
「その夢には続きがあるんだ」
「続き?」
「うん」
「どんな続きだ?」
「訊きたい?」
「そりゃあな」
「じゃあ、教えてあげる。その夢ではね、先生がその大切な人を探すのを、私が一緒に手伝うことになるの」
「なんだかなあ」
大樹が知りたかったのは、探した結果だった。
「だから、先生。これから私は先生と行動を共にします」
「そんなこと勝手に決めないでくれよ。ちなみに、ミエの見た夢では、私たちはその大切な人を探し当てることができたわけ?」
「そんなこと教えるわけないじゃない。たとえ、そこまでの夢を見てたとしてもね」
「何で教えてくれないんだよ」
「教えちゃったら先生、私と一緒に行動しないでしょう。でも、ほんとうのところ、まだそこまでの夢は見てないよ」
ミエの話はどこまでが本当かわからなかったので、それ以上追及するのは止めた。
「しかし、それにしても何でそんな夢見たんだろうな?」
「それは、先生のことが気になるからだよ」
前々からミエが自分のことを意識しているのはわかっていたが、相手は生徒である。気づかぬふりをしていたのだ。教師と生徒の恋愛ほど危険なことはない。女子高の教師になることが決まった時、学校からはもちろん、いろんな人から注意を受けた。万が一、恋愛に発展してしまった場合、うまくいっている時はいいが、ひとたびうまくいかなくなると、セクハラだったと女子生徒から訴えられて職を失うということにもなりかねないのだ。
「聞かなかったことにするよ」
「何でよ。失礼じゃない?」
「ごめん。そういうことにしてくれ」
「う~ん、納得いかないな。でも、とりあえずは許す。でも、先生の彼女探しは一緒にするよね。先生一人より、二人のほうが絶対うまくいくし」
「う~ん」
大樹は迷っていた。断っても、断らなくても問題が起きそうだったから。しかし、ミエの見たという夢は不思議な説得力を持っていることも確かだった。
「先生、あまりごちゃごちゃ考えてたら、何事も先に進まないよ」
大樹の心の中にあったモヤモヤをズバリ言い当てられたことで、ミエと行動を共にすることに決めた。
「その通りかもしれない。じゃあ、一緒に探してくれるか?」
「はい」
ということで、その日は『前世』での、雪乃との出会いから別れまでのすべてを話して聞かせた。でも、話していて気付いたことは、雪乃についての自分の記憶が極めて少ないということだ。あれほど愛していた人なのに、雪乃その人の記憶はあるものの、雪乃を取り巻く周囲の人々の記憶がほとんどない。それに、雪乃とともに過ごした時間が幻のようにぼやけている。
「そうかあ。だから、彼女を探す情報がほとんどないのね」
「俺が持っている情報は、俺と付き合い始めてからの彼女のことだけなんだよ」
「だから、まずは彼女と最初に来たこのお店に来るしかなかったのね」
「そうだ」
「でもさあ、生まれ変わってもまた一緒になろうねなんて、ちょっとキモくない。私だったら、あの世に行ったらまったく違う人とまったく新しい人生を楽しみたいと思うけどなあ」
『ん?』
どこかで聞いた記憶のある台詞だった。それが誰が言ったものだったかは思い出せないけど…。
「まあ、人それぞれだろうけど。俺たちはそれくらいお互いに愛していたということさ」
「はいはい、わかりました。じゃあ、来週から私と一緒にカフェ巡りをしましょうね」
まるで子供に言うような言い方をされ、ムッとする。
「誰に対して言ってるんだ」
「何で、そんなにムキになるかなあ」
「まあ、いい。ほんとうは自分一人でもできるんだけどね」
「何言ってるの。先生が一人で全部のお店を回るのは大変でしょう。私と手分けしてやれば効率的じゃない」
「でも、ミエは雪乃のことを知らないじゃないか。残念ながら、写真も残っていないし」
「そんなの簡単だよ。どんな女の人か特徴を教えてもらえれば見つけられる。女は女を見る目があるんだよ」
「ふ~ん、そうか。わかった」
「それに先生は彼女の情報がほとんどないって言うけど、探せばあると思うよ。そこは私に任せて」
妙に自信ありげな態度をとるミエ。ひょっとしてミエは何か知っているのか。
「しかし、ミエって変わってるよね」
「そう?」
「女子高生だったら、他に興味あることいっぱいあるだろうに」
「もちろん、私だって普通の女子高生と同じように、いろんなことに興味あるわよ。でも、先生のことは別なの」
「別?」
「そう。だけど、その理由は私にもわからないの」
「なんかへんだな」
「へんでもいいじゃない。何も悪いことしているわけじゃないんだから。そんなことより、来週はどこにある、何というお店に行くの?」
「雪乃と行った二軒目のお店は中目黒にあるグリーンビーントウバーチョコレートというお店だ」
「へー、それってチョコレート専門カフェよね」
「そうだけど。知ってるんだ」
「うん。有名だからね。で、何時ごろ行ったの?」
「その日は確か午後3時頃だったと思う」
「わかった。じゃあ、その頃にお店で待ち合わせしましょう」
「そうだね」
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