生まれ変わってもまた一緒になろうね

シュート

第1話 幸せの起点

 いつか息絶える未来の一点を目指して、人は性懲りもなく恋をする。

 とはいえ、ロマンチックな出会いなんて、そうそうあるものじゃない。しかし、一見平凡に思える出会いでも、実は出会うべくして出会ったという運命的な出会いが、ごくごく稀にある。

 中里大樹が前田雪乃と出会ったのも、よくあるパターンだった。大樹の大学時代の友人の松岡正孝の結婚披露宴で、二人は受付役として出会った。大樹は受付役をしながら、隣に立つ雪乃の姿を何度も盗み見て、一方的に『ビビッ』ときた。しかし、当日は忙しくて二人の間にほとんど会話はなかった。受付の仕事が終わったところで連絡先を交換することにだけは成功したけれど…。でもそれはある種の社交辞令のようなもので、先に進むとは思っていなかった、ように思う。

 本当のところ、大樹は雪乃のことがすごく気になっていたが、恋愛に奥手の大樹に行動を起こす勇気はなかった。きっとこのまま何も起こらない…。

 だから、松岡の結婚式の二週間後の日曜日の午後に、雪乃から電話がかかってきた時は正直驚いた。

「もしもし、私、前田雪乃と言いますけど…」

 その名前を聞いてすぐに顔が浮かんだのは、大樹の中に潜在的に雪乃に対する好意があったからだろう。

「ああ。先日はお世話になりました」

「いえ、こちらこそ」

「で、何か?」

 自分でももう少し気の利いた口の利き方ができないものかと思うが、体育会系で育った大樹は女の扱いに慣れていない。それに、大樹はてっきり、先日の結婚式のことで何か自分に報せることでもできたのかと思ったのだ。

「あのお~、実は今日は中里さんにお願いがありまして…」

 なんか言いにくそうにしているのが気になる。いったいどんなお願いなのだろうかと、大樹は警戒心を抱いた。

「はい? 僕に? どんなことでしょう?」

 極力、声が硬くならないようにしたつもりだったけど、それでも雪乃には緊張を与えてしまったようだ。

「ご迷惑だったらお断りいただいて結構なんですけど…」

 何の用かも言わずに、『お断りいただいて結構』って何だよと思う。じれったくなった大樹だったが、緊張をほぐすために柔らかく先を促す。

「僕にできることでしたら何でもお応えしますので、どうぞおっしゃってください」

「えっ、そうですか。ありがとうございます。実は、広尾にすごくカワイくておしゃれなカフェがあるんです」

「カフェ?」

 唐突な話に、思わず雪乃の言葉を繰り返した大樹。

「はい、そうなんです。そこへ行きたいんですけど、そこ、カップルで行くようなお店なんです」

「はあ?」

 なんとなく雪乃が大樹に電話をかけてきた趣旨がわかってきたけれど、大樹には戸惑いしかない。

「私、今付き合っている人いないので…。できれば一緒に行っていただけないかと…」

 恥ずかしそうに言う雪乃がカワイイと思った。同時に、雪乃に彼氏がいないというのも大樹には意外であった。

「そんなことでしたら、もちろんOKですけど。逆に僕でいいんですか?」

 大樹は自分で自分のことを、まあまあのイケメンだとは思っているものの、本当のところ、上の下か中の上程度ぐらいだろうと冷静に認識していてる。

「ぜひお願いします」

 これが二人が付き合うことになったきっかけである。あの時、雪乃が自分を誘ってくれなかったら、二人は付き合うことにならなかったのかもしれないのだから、雪乃の行動力に感謝だ。

 地下鉄の広尾駅前で待ち合わせしてカフェまで並んで歩く。今日の雪乃は膝下丈の紺色のワンピースを着ている。足が長くなければ似合わない丈だけれど、よく似合う。

 その日、緊張していたのは大樹のほうだった。二年前に当時付き合っていた彼女と別れて以来の久しぶりの女性とのツーショットに、実はドギマギしていて、まったく会話をリードすることができない。しかし、雪乃はこれから向かうカフェのことですでに頭がいっぱいのようで、大樹の様子など気にも留めていない。そんな雪乃を見て、大樹は自分がただの付添人に過ぎないことを自覚させられた気がした。一瞬裏切られたような気がしたけれど、よく考えれば彼女は最初からそう言っていたではないか。いつの間にか自分が勝手に勘違いしていたに過ぎない。そのことに気づき、急に恥ずかしくなったが、同時に緊張も解けた。

 目指すカフェは駅から歩いて3分ほどで着いた。突如現れた『レ・グラン・ザルブル』という名のその店は、絵本に出てきそうなおしゃれなカフェだった。店の前にある大きな木の上にはツリーハウスがあって目印になっている。その外観を見た時に大樹は一緒に来たことを後悔した。あまりにメルヘンチックでカワイイその店は、大樹には場違いで、入店を怖気させるには十分な効果があった。

「ここですか…」

「そうです。すごくカワイイでしょう?」

「えっ、はい」

「じゃあ入りましょう」

 固まったままの大樹の背にそっと手を添えて、雪乃が入るように促す。1階、2階がフラワーショップで、3階と4階のテラス席がカフェになっていた。二人は3階の席に座る。

 雪乃の情報で、その店で一番人気という『おまかせヘルシーデリプレート』を二つと、雪乃はオレンジジュースを、大樹はコーヒーを注文する。大樹は店の中を見渡してみるが、なんとなく落ち着かない。

「今日は無理言ってすみませんでした」

 正面に座った雪乃を改めて見る。丸みのある優しい顔立ち。二重の大きな目をさらに印象づけているのは黒目が大きいからだろうか。鼻筋は通っているが、少し上に反っていることで柔らかな雰囲気になっている。鼻と口の距離が短いので顔全体が締まっている。唇が少し厚めで、ふっくらとしているので大人の色気を感じさせる。それに、透き通るように白くきれいな肌をしていた。

「いえ、全然…」

 そうは言ったものの、やはり自分は無理していると思う。

「ひょっとして中里さん、こういうカワイイお店初めて?」

 雪乃が楽しそうに言う。

「実は、ね」

 すると雪乃が笑いをこらえたような顔を大樹に見せて言った。

「なんか、カワイイ」

 もうダメだった。カフェに入って、改めて雪乃と向かい合って座った時から、大樹は雪乃に恋をしていた。結婚披露宴の受付の時は、雪乃はずっと横にいて正面からはちゃんと見ていなかった。今目の前に座る前田雪乃は大樹のドストライクの女性だった。

「そんなあ、揶揄わないでくださいよ」

「揶揄ってなんかいないです。ほんとにそう思ったの」

「そうですか…」

 自分も雪乃に何か言わなくてはと思うのだが、思いがあり過ぎて言葉が出て来ない。

「それにしても、おしゃれなお店ですね」

 結局、肝心なことは言えなかった。

「そうですよね。私、こういうおしゃれなカフェを巡るのが趣味なんです。もっとも、最近始めたばかりなんですけどね」

「へえー、そうなんですか」

「そうなんです。だから、よろしかったら、これからも一緒に行ってくれません?」

 雪乃は挑戦的な目をしていた。大樹がこうしたおしゃれな店が苦手とわかって敢えて言っているのがわかる。

「いいですね。ぜひ」

「うふ。無理してないですか?」

「そんなことないですよ」

 半分怒ったように言った大樹を、雪乃は微笑みながら見ている。

「わかりました。じゃあ、よろしくお願いします」

 そう言って、雪乃が両手を差し出した。その手を大樹は握り返す。雪乃の、その小さな手はマシュマロのように白く、柔らかく、すべすべしていた。

「ちなみに、来週はどこへ行きたいですか?」

 女性に対してこんなに積極的になっているのは初めてだった。

「えっ、もう来週のことですか? びっくり」

「すみません。なんか先走ってしまって」

「ううん。嬉しいです。次に行きたいと思っているのは、中目黒にあるグリーンビーントウバーチョコレートというお店」

「へー、どんな店なんですか?」

「その名の通り、カカオ豆からチョコレートになるまでの製造工程を一貫して行っているチョコレート専門カフエ。濃厚なのに重くないチョコレートタルトやケーキで有名なんです」

 大樹にとってはハードルが高そうな店だ。

「チョコレート専門カフエなんてあるんですね」

「中里さん、チョコレート嫌い?」

「いや、好きです。ぜひ行ってみたい」

 またも無理してしまった。

「でも、今日はもうちょっとこのお店を堪能しましょう」

「わかりました」

 その日はお互いのことを紹介しあった。

こうして二人でお茶しているけれど、友人の結婚披露宴の受付を二人でやったというだけで、お互いのことについては何も知らなかったから。ますは礼儀として大樹から話した。自分の生い立ちから始まり、家族のこと、仕事のこと、趣味のことなど。

 一通り大樹の紹介が終わった後、今度は雪乃が話し始めた。年齢は25歳ということだから、大樹より2つ年下ということになる。仕事は派遣社員として働いているとのことだった。ただ、雪乃の場合、短期間で会社を変わる仕事が多いため、職場の友人ができないのが悩みらしい。趣味はこれまでいろいろやってみたけれど、どれも長続きするものはなかったという。そんな中で、最近始めたばかりのカフェ巡りは自分に合っているので長続きしそうだと笑顔で言った。本当にカフェ巡りが楽しそうだった。

「出身はどこですか?」

「静岡です」

「そうなんだ。小さい頃はどんなお子さんだったんです?」

「今の私からは想像しにくいかもしれませんけど、ヤンチャな子で男の子とばかり遊んでいましたね」

「それは確かに意外ですね」

 目の前にいる前田雪乃という女性は、物静かでおしとやかな女性にしか見えない。

「そのせいか。大きくなっても同性の友達よりも異性の友達のほうが多いですね」

「えっ、今でも?」

 大樹にとっては聞き捨てならない言葉だった。

「そうですね…。でも誤解しないでくださいね。あくまでも友達ですから」

 大樹は異性間で友達関係は成り立たないと思うタイプなので、少し違和感があった。それに、異性の友達がいるのなら、この店もその友達の一人を誘えば良かったんじゃないかとも思ったが、そんなこと言えば場の雰囲気が悪くなりそうで言えなかった。

「友達っていう名の恋人って言うのもありますからね」

「だから、そういうのとは違いますって」

 思いのほか強く否定されて、それ以上言えなくなってしまった。仕方なく話題を変える。

「ところで、東京に出てきてどのくらいになるんですか?」

「短大を卒業してからだから、6年くらいになるんですかね」

「結構長いですね。そろそろご両親から早く結婚しろとか言われないですか?」

 大樹は軽い気持ちで訊いたのだが、雪乃の顔が一瞬で曇った。

「両親は、私が高校二年生の時に、飛行機事故で亡くなりました」

 空気が急速に蒼ざめる。大樹は自分の軽率さを呪った。

「そうだったんですか。ごめんなさい。嫌なことを想い出させてしまって」

「大丈夫です。もう乗り越えましたから」

「そうですか…」

 その表情からして、辛いことをたくさん経験してきたのだろうと推測できた。

「がらっと話は変わるんですけど、前田さんってどういうタイプの男性が好きなんですか?」

「本当にがらっと変えましたね。そうですね、私がこういう感じなので、飛びぬけて明るくて、一本気な人かなあ」

「う~ん、なるほど。僕は会社でお前は真面目なお間抜けって言われてるんですけど、そんな男ってどうですか?」

 実際、同期の人間にはそう言われているが、自分でも当たっていると思っている。

「真面目なお間抜けって、おもしろい」

 雪乃は大樹が場を和ますために言った冗談かと思ったようだ。

「褒められてるのか貶されてるのか、よくわからないんですけどね」

「みんなに愛されてるのよね、きっと」

「そう思うことにします。でも、僕って個性がないんですよね。代々サラリーマンの家系に生まれて平凡な生活送ってましたから。顔も平凡だけど」

 ちょっと謙遜してみた。

「でも、中里さんって、いい意味で平凡じゃないですよ。この間の結婚式の二次会で新郎の松岡さんに詩集をプレゼントしてましたよね」

 そう言えば、雪乃も二次会に参加していた。しかし、席が離れていたため会話することはなかった。確かにその時大樹は他のみんなが実用的なものを松岡に贈る中、詩集をプレゼントした。大樹は別に文学青年ではなかったけれど、本屋で偶然出会ったある詩集に感動し、それを松岡に贈ることにしたのだった。その様子を雪乃が見ていたとは思わなかった。

「それに、目がすごく素敵です。なんか引き込まれそうになっちゃう」

「そんなこと言われたことないので照れちゃいますよ」

「照れなくていいですよ。それで、中里さんはどんな女性が好きなんですか?」

 今度は雪乃からお返しがきた。

「僕ですか…」 

 本当は『あなたみたいな人』と言いたかったけど、今日初めてちゃんと会話したばかりの女性にそんなことを言えば引かれると思ったので、違う表現でそれを表した。

「僕はあなたに似た人が好きかなあ」

「どういう意味ですか?」

 敢えてどうとでも取れるように言った。

「ごめんなさい。今日のところは掘り下げないでください」

「わかりました。続きは次回以降に教えてくれるということですね」

「そうです」

「中里さんって、案外やりますね」

「えっ、何を」

「とぼけてる」

 笑いながら雪乃が言った。

 雪乃の後ろで風景がまばゆく細密に広がる。昔の東京の匂いがするような気がして、気持ちがしっとりする。二人は周囲に人がいることを忘れたかのように、夢中で話し合った。

「えっ、もうこんな時間」

 雪乃が時計を見て言った。

「あっ、ほんとだ」

 大樹も自分の時計で時間を確認する。気がつけば、5時間も喫茶店にいた。

 その日以来、休日は二人でカフェ巡りをするようになった。大樹も最初のうちはカフェ巡りというものに戸惑いや照れがあったが次第に慣れて、自分でもおしゃれなカフェの情報を集めるまでになっていた。

 一緒にカフェ巡りをする中で、二人の距離は一気に縮まり、あっという間に恋人同士になっていた。雪乃は顔がきれいなだけでなく、性格美人でもあった。ポジティブで明るいし、ささいなことにも感謝し「ありがとう」と言える人だった。しかも、何かあった時でも、言い訳せず「ごめんなさい」と言える素直で誠実な人柄だった。その上気配りのできる女性だった。

 そんな関係にはなったが、大樹にはずっと気になっていながら雪乃に訊けなかったことがあった。いつか訊こうとチャンスを伺っていた。

「ねえ、雪乃」

「ん? なあに?」

「今更なんだけど、訊いていい?」

「だから、なあに?」

「僕をあの広尾のカフェに誘ったのは、たまたま松岡の結婚披露宴で一緒に受付をした僕のことを思い出したから?」

「そう思うの?」

「いや、わかんないから訊いているんだけど。ただ単にカフエ巡りの付添人がほしかったからなのかなあと」

「そうかあ。ひょっとして、私、大樹のこと傷つけちゃった?」

「えっ、やっぱりそうだったの?」

 雪乃を責めるのはお門違いだとわかっていても、やはり傷つくし怒りも湧く。

「違うの、違うの。私が誤解を与えてしまったことで傷つけちゃったかなと思ったの」

「どういうこと?」

「私は結婚披露宴の受付で大樹に会った時に、私はこの人に会うために生まれてきたんだって思っちゃったの。だから、どうしても大樹じゃなくちゃダメだった。でも、そんなこと恥ずかしくて言えないでしょう」

「そうだったのか…」

 雪乃から愛の告白を受けているようで、天にも昇るほど嬉しかった。

「ごめんね」

「いや。雪乃の思いを聞けて嬉しい。雪乃…」

「今度はなあに?」

「僕と結婚してくれないか」

 もちろん、まだ指輪も用意していなかったけれど、このタイミングを逃すことはできないと思ったのだ。大樹の告白に雪乃は目を大きく見開いた後、大粒の涙をこぼした。そんな雪乃を見て、危うく大樹も泣きそうになったが、かろうじて我慢する。

「OKと思っていい?」

「もちろん」

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