血液飲みたいギラム三世

「あー、血が飲みたい。血が飲みたいなあ……」


 居城の一室で、ギラム三世は力なく首を垂れた。


 彼には財産がある。立派な家も持っている。由緒正しいヴァンパイアの家系に生まれたので、家柄も申し分ない。


 伝統と血筋はどこにいっても通用するものだ。戦争が終わり、魔物の国がエフライム王国に吸収された時、ギラムは貴族の仲間入りを果たした。税金の免除など、身分上の特権をいくつも与えられている。


 ――しかし、血は飲めない。


 交友関係は広い。人間・魔物の区別なく、ギラムは多くの貴族と交流がある。幅広い知識と洗練された会話を武器に、彼は一躍、社交界の人気者になった。


 最近では、人間の貴族から直々にお誘いがかかることもあるぐらいだ。


 ――それでも、血は飲めない。


 戦後、現国王クルト=エフライムによって、新エフライム法が制定された。この法律は傷害行為を禁止している。


 血を吸うためには、皮膚に傷をつけなければならない。傷をつけずに血を吸う方法は、おそらく存在しない。


 ――やっぱり、血は飲めない。


 お金で買えないもの、それは『幸せ』でも『愛情』でもなく『血』である。赤く生々しい『血』である。生物から直接血を吸ったのは、二年前が最後。それ以来、新鮮で活きのいい血液とは疎遠になっている。


 この二年間、血を一滴も飲んでいない――わけではない。終戦直前に死体からかき集め、城にこっそり保管している備蓄血液がある。貯蔵庫から時々取り出しては、黒く変色した血塊をお湯で溶かして飲んだりもした。


 ただし、味は最悪。ワインと違って血は熟成しないので、時間が経てばマズくなる一方だ。しかも体に悪そうだし。こんなまがい物で、ヴァンパイアの血欲が満たされるわけがない。


 外では元気に振る舞っているが、ギラムの実態は疲労困憊、やる気ゼロ。全身から活力が失われ、何もする気が起こらない。


 寝過ごすことも増えた。昔なら夕方過ぎには起きていたのに、最近だと真夜中近くまで目を覚まさない日もある。外出も減り、部屋でぼんやりしていることの方が多くなった。


「あー、モヤモヤする。血さえ飲めればなあ……」


 今夜のギラムも、例に漏れず怠惰だった。寝床の棺桶を出て、応接間の椅子に座り、それから数時間、ギラムは一歩も動いていない。定位置で手を洗い、定位置で食事をとり、定位置で仕事をする。それでも時刻は、まだ深夜二時。眠るには早すぎる時間帯だ。


 暇を持て余したギラムはしょぼくれた気分で、忠僕グレゴーリーに声をかけた。


「なあ、グレゴーリー。吾輩は何としても新鮮な生き血を手に入れたい。何か名案はないか?」


 レッドキャップのグレゴーリー。両目は炎のように赤く、鼻は嘴のように尖っている。口から突き出た白い歯は、ナイフの代わりが務まりそうなほど鋭い。長い付き合いのギラムでさえ、顔を見るたびに『怖い』と感じる。


 なのに、服装はかなり変。黒いサーコートに真っ赤な帽子という珍妙な組み合わせ。レッドキャップの世界では、これが正装らしい。


「動物の血を吸われてはいかがですか。犬、猫、馬、牛……野生動物であれば、傷をつけても罪には問われません」


 丁寧な言葉遣いに、礼儀正しい身のふるまい。貴族に仕える者らしく、グレゴーリーは礼節をわきまえている。


「いや、動物の血はダメだ。オーランドのことは覚えているか?」


「犬の血を吸って発狂した方でございますね」


「そうだ。あれを見て以来、トラウマになってな。吸うのは人間の血だけ、と決めてるんだ」


「人間の血は諦めるべきですな」


 グレゴーリーの口調が、とたんに説教臭くなる。


「人間と魔物の共存。これが王国の方針でございます。ギラム様は正式に貴族となったわけですから、平民を導く義務があります、使命があります。人間と魔物の共存という大義を、率先して行わねばなりません。そのギラム様が、一時の欲望に身をまかせて人間を傷つけるなど、論外も論外。一族の恥、末代までの汚辱。そもそも貴族というのは出生や地位に甘んじることなく、精神的に貴族であるべきで…………」


 長い。とにかく長い。グレゴーリーは『忠僕』ではあるのだが、ギラムの命令を何でも聞いてくれる便利屋ではない。彼は古式ゆかしい貴族論の信者で、貴族は誇り高くあるべきだ、と本気で信じている。


 つまり融通が利かない。ギラムが貴族らしからぬ甘ったれた発言をすれば、即座にお説教が始まる。特権の乱用も許してくれない。せっかく免除された税金を、なぜか払うはめになったのもグレゴーリーのせいだ。彼曰く、『義務が貴族を育てる』とかなんとか。いまだに意味がわからない。


 ギラムは慌てて話題を変えた。


「グレゴーリー、何か面白い話はないか?」


「と、いいますと?」


「いや、なに。五日後、ポターヌ家の人々と会うだろう? 気の利いた話題を仕入れておきたくてね」


 ポターヌ家は人間の貴族である。社交界で時々顔を合わせていたが、親密な関係になったのは、男爵夫人の娘ソフィア・ポターヌに気に入られたのがきっかけだ。ソフィアは人間のくせに大の魔物好きという超変人で、特に亜人には目がない。ヴァンパイアも溺愛の対象だ。


 ソフィアの熱烈な招待に応じて、五日後、ギラムは湖畔に建つポターヌ家の別荘に行くことになっている。


「最近の流行とか猟奇的な事件とか、別に何でもいいんだ。話題になりそうなことを教えてくれ」


「それでしたら――」


 グレゴーリーは意外と早く、答えを寄こした。


「『魔物大全』ですね」


「なんだって?」


「『魔物大全』です。最近発売された書籍でして、一種の図鑑ですな。この世に存在在するありとあらゆる魔物のことが、図版入りで詳細に解説されています。内容も極めて正確で、人間のみならず魔物の間でも評判だとか」


「それだ!」


 ギラムは椅子から飛び上がった。魔物狂いのソフィアにぴったりの話題。彼女なら、その本を確実に読んでるだろう。


「その本を買ってきてくれ。前もって読んでおきたい」


「かしこまりました」


 ギラムは割と努力家なので、社交会の前には念入りな準備を行う。会話のネタ探しもその一環。話が面白い――ただそれだけのことで、相手に与える印象は大きく変わる。今後もポターヌ家と良好な関係を築くためにも、こうした細々とした努力は欠かせないのだ。


 さて、今は深夜なので、本屋は当然閉まっている。グレゴーリーが『魔物大全』を買えるのは、夜が明けてから。ギラムは日中寝ているので、『魔物大全』を読めるのは、もう一度太陽が沈んでから。


 というわけで、時間は少し進んで次の夜。ギラムは棺から起き上がり、所定の椅子に座った。グレゴーリーが夕食の白パンと分厚い書物を運んでくる。


「こちらが『魔物大全』になります」


「ごくろう。この本にはヴァンパイアのことも書いてあるのか?」


「もちろんでございます。ちなみに、レッドキャップに関する記述もございました。喜ばしい限りですな」


 ホッホッホッと年寄りじみた笑いを漏らしながら、グレゴーリーは部屋を出て行った。自分の種族が紹介されたことが、よほど嬉しかったらしい。


 部屋で一人になったギラムは、早速『魔物大全』のページをめくった。なるほど、たしかによくできた図鑑だ。絵師の手で描かれたスケッチは、魔物の特徴を的確に捉えている。図に添えられた解説文も素晴らしい。分類・構造・生態・発生……多用な視点から魔物を分析しており、読み物としても一級品だ。


 白パンを齧りつつ、読書を続けるギラム。やがて、お目当てのページに差しかかった。言うまでもなく、ヴァンパイアの項目である。


「吾輩の種族はどんな風に紹介されているのかな」


 期待感たっぷりに、ギラムは解説を読み始めた。そこでギラムは、信じられないものを目の当たりにする。

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