第18話「終わる世界とロックンロール」

                 斉藤さいとう すすむ 十六歳


 少し前まで僕は自分のことが嫌いだった。

 いや……嫌いですらなかったのかもしれない。僕は自分自身に無関心だった。

 僕には何もなかった。僕は高校生だが学校に友達はいない。夢中になれるような趣味もないし、目指す未来の目標も、夢もない。

 両親も僕に興味なんてなかった。父は科学者で家にはほとんど帰って来なかった。母は専業主婦だが、家庭のことよりもブログでアクセス数を稼ぐことと「いいね」をもらうことに夢中だった。

 僕に居場所はなかった。僕は生きていなかった。ただ死んでいないだけで、意味もなく生かされているだけだった。

 そんな日常が一変したのは先月のこと。忘れもしない九月十日、学校からの帰り道での出来事だった。

 僕は高校からすぐのところにあるバス停で、バスの到着を待っていた。そこに少年が走って来た。見知った少年だ。習い事にでも行くのだろうか、時々帰りのバスで一緒になることがあった。元気なその少年はこんな僕にさえ「こんにちは」と挨拶をくれる。だからその日、僕はたまにはこちらから挨拶してみようかなと、そんなことを考えていた。

 しかし挨拶することは出来なかった。

 もうすぐバス停に辿り着くというところで、走っていた少年はつまずいて転んでしまった。その拍子に少年の持っていたスポーツバッグからサッカーボールが転がった。それを追って少年は車道へと飛び出す。

 その瞬間、世界はコマ送りみたいにスローになった。少年へと車が迫っていた。鳴り響く耳障りなブレーキの音。僕と少年との距離は5メートルくらい。助けたかったがとても間に合う距離ではなかった。それでも僕は必死に手を伸ばした。そうせずにはいられなかった。

 それは不思議な感覚だった。僕の伸ばした右手は少年にも車にも遠く届かない。それなのに触れた感覚があった。届いた確信があった。

 だから僕は、それにありったけの力を込めた。

 そして衝撃。響く、車と何かがぶつかった金属の砕けるような音。

 ほんの一瞬、意識が飛んだ。いつのまにか少年と車のところには人だかりが出来ていた。僕も急いでそこに駆け寄った。わいわいと騒ぐ人混みを掻き分けて、少年の姿を確認する。少年は無事だった。怪我もしていないように見える。僕はその事実に安堵して、視線を車へと移した。

 少年が無傷であるのにもかかわらず、その車には明らかに事故の衝撃があった。ボンネットからバンパーにかけて大きくひしゃげている。運転手と見られる男性は何かにぶつかった、ボンネットの先を何かに無理やり押さえつけられたみたいな感覚だったと騒いでいた。

 そう……それは僕がやったんだ。

 そのとき、僕は力に目覚めた。それは科学では説明のつかない超常的な力。この力は僕を特別にしてくれた。僕という存在に特別な意味をくれた。

 それからまず僕が始めたのは、自分の有する力の解明だった。この力はよく漫画などで目にする超能力の念力、テレキネシスとはまったく性質の異なるものだった。簡単に言えば、僕が手にした力は透明で質量のない浮遊する手。それを最大三つ同時に行使出来る。届く距離は僕を中心に半径42メートル。これは夜中の公園で実際にメジャーを力で運んで計測した。しかしこの力は望んだ場所に発現させられるわけではない。発現するのは僕の真上。そこから進んでいくことになる。そのスピードは最大距離の42メートルへと約一秒で到達する。

 そして有する力。僕はこの力を手と捉えているが、この力では物を掴むことは出来ない。この力で出来るのは圧力を加えることだけ。何かを押したり、止めたりだ。殴るように使えば、石造り塀くらいは簡単に破壊出来る。力の出力をうまくコントロールすれば、なんとか物を持ち上げることも可能だ。しかし持ち上げるという行為は出力を一定にコントロールして、長時間力の発現を維持させる必要がある。それはとても集中力が必要で面倒くさい。

 だからもし僕が空を飛びたいとする。そのために僕を持ち上げるようにして力を使うのは現実的ではない。それでも僕の足下に順々に力を発現させることによって、階段を上るように空を翔ることは出来る。

 お風呂でもいろいろな実験をした。水の中だと力の発現の仕組みを視覚でとらえることが出来た。僕の見えざる手は力を発現したい場所まで行く必要があるが、そこに向かっている間に力を発現させる必要はない。力を発現させていなければ水の中を通っていても、水は波立ったりと変化を起こすことはない。そして水の中で力を発現すれば水を押すことが出来る。押して進めば水は勿論波立つ。しかし発現させたまま何も動かさなければ、水に変化は起きない。ということはだ、この力に体積はない。

 そんなふうに僕はこの力を手に入れてから、ずっと研究を重ねてきた。それは時がたつのを忘れてしまうほど楽しい時間だった。趣味も夢もなかった僕が初めて夢中になれることを手に入れた。

 それなのに世界は終りを迎えようとしていた。

 僕は今、この力を手に入れてからよく来るようになった空き地で空を見上げている。

 もうすぐ世界は終わる。

 空に向かって右腕を伸ばした。さらに見えざる手を空に向かって伸ばす。

 何のための力だったんだろう。この力に何の意味があったのだろう。僕は力を手にして、自分は特別なんだと思っていた。自分だけが世界から特別に愛されていて、まるで無敵になったみたいに感じていた。

 これからだったんだ。うまく力を使いこなせるようになれば、ハリウッド映画の主人公みたいに正義の味方にだってなれると、本気で考えていた。

 それなのにどこまでも届くと思っていたこの新しい手では、結局何も掴めなかった。この程度の力では世界は救えない。僕は相変わらずに無力な僕のままだった。

 それでも……あの時、僕は少年を助けることが出来た。他にも歩道橋で転びそうになったお婆さんを助けた。スーパーで子連れの母親が、自転車のカゴに荷物を入れている最中に自転車が倒れそうになるのを止めた。不良に絡まれている同級生を助けた。

 だから少なからず、この力にも意味はあったはずだ。

 そして何よりも、僕はこの力のおかげで自分を好きになることが出来た。

 でも今だからわかる。こんな力がなくたって自分を好きになることは出来たはずだ。勇気を持って誰かのために行動したり、何か夢中になれることをみつければよかった。そうすれば僕はいつだって自分のことを好きになれたはずだ。それなのに……いつからだっただろう。僕が自身に関心を無くし、生きることを止めてしまったのは。毎日のように父と母が喧嘩を繰り返していた小学生の頃からだったろうか。

 思い出す……あの頃は地獄だった。

 父と母は顔を合わせば互いに罵声を浴びせ合っていた。二人の言い合いが始まると、僕は自分の部屋で一人蹲って息を殺し、痛みに耐えていた。それはまるで自分の全てを否定されたような、存在そのものが間違いだったと咎められているような苦痛。僕はどうやってその痛みから自身を守っていいのかわからなかった。ただ心を堅く冷たく閉ざして、嵐が過ぎ去るのをじっと待つことしか出来なかった。父は母がいないとき、よく泣いていた。自らの不幸を嘆き、涙を流していた。僕は聞こえない振りをすることで精一杯だった。母は離婚をするくらいなら自殺してやると、包丁を手にすることがあった。それを必死に止めるのは父ではなく僕だった。

 子は夫婦の愛の結晶だという。そうであるのなら夫婦の愛が消えたとき、子の僕もまた消えるべきなのだと……そう、思ってしまった。

 きっとあのとき、僕は生きることを止めたんだ。

 そして父が家に帰ってこなくなって、母も僕に関心を示さなくなった中学生の頃、僕もまた自身への関心を失った。

 僕も母と同じだった。母は父から否定された自分の価値を他者からの評価「いいね」に求めた。僕は両親からの無関心を自分の価値として受け入れてしまった。

それでも僕は最後の一ヶ月を精一杯生きることが出来た。自身の価値を自分で見出すことが出来た。

「よし!」

 僕は携帯で時間を確認する。残された時間は後、二十分。

 僕は無力だ。それでも決意を固めた。

 力を展開し、一歩踏み出す。

 どうせ死ぬのなら最後まで足掻いてやろう。きっと生きるっていうのはそういうことだ。

 また一歩、空に向かって踏み出す。

 無駄だとわかっていてもやれるだけやってみよう。簡単に諦めてしまうより、その方がずっとカッコイイ。

 一歩一歩確実に、僕は空に向かって上って行く。

 せっかく力があるのだから、せめて死ぬ前に思い切り全ての力を込めて殴りつけてやることにしよう。僕も男だ。人生で一度くらい喧嘩だってしてみたい。それが世界を終わらせる相手だなんて最高にロックンロールだ。

 さあ、来い。世界の終り。この俺が相手になってやる!

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