第199話「西園寺家の事情(捌)」

 正親町おおぎまち公蔭きんかげの邸宅ときくの家に通う日々が始まってから少し経った。

 重教しげのり自身はあまり自分の成長を実感できていなかったが、公蔭からの批評は少しずつましになってきている。


「最初よりは己を出せるようになっているが、まだまだ控えめで霧がかっている」

「技術的には拙い部分が多く、これは数回教えた程度でどうにかなるものではない。変に気取ろうとするだけ無駄である」

「どうにかしようという努力は見て取れる。ただ今のところはそれだけだ」


 公蔭に悪意はない。ただ純粋にそう思ったから言っているだけである。

 その事実が、余計に重教のメンタルを凹ませていた。


 それを癒せるのが、菊の家での集まりだった。

 和歌の腕前の差はあれど、そこには師といえる人がいない。

 皆等しく同じ立場なので、同じ目線で語り合うことこそあれど、批評を受けることはなかった。


 和歌の技術や心構えを鍛える正親町邸と、和歌の楽しさを知る菊の家。

 両方に通う日々は、重教にそれなりの充実感をもたらしていた。


「それでは、我々はお先に失礼します」


 その日は、土岐とき頼康よりやすが先に抜ける用事があると言い出したので、それに合わせて重教と委渡いとも菊の家を離れることにした。

 なんとなく、そろそろ二人にしておいた方が良さそうだという空気を感じ取ったのである。


実尹さねただ卿は不思議な方だな。偉い人だと分かっていても、あまりそういう壁を感じさせない」

「重教殿にもそう映るか。私も、変わった御方だと思う」


 こうして土岐頼康と語らう機会は、今までなかった。

 いつもは今出川いまでがわ実尹や菊が一緒だったし、二人がいると頼康はやや控えめになる。


頼遠よりとお叔父上からは、公卿とあまり親しくするなと忠告されている。皆腹に一物抱えているから、良いように利用されてしまう、というのがその理由だ。実際私もそう思う人に出くわすことはあったが、実尹殿については余人と少し違う気がしている」

「信じて良いと、頼康殿は考えているのだな」

「悪く言えば、疑うのが馬鹿らしくなってくるところがある、とも言える」


 実尹は偉ぶらないのもそうだが、時折妙に間の抜けた一面を見せるところがある。

 本人は至って真面目にやっているのだが、傍から見るとどうにも奇妙な感じがしてしまうのだ。


「出会いがしらに友人になってくれと言ってきたのも、実尹殿にとっては普通のことなのだ。あの御方は、これっぽっちも変だと思っていない」

「まあ、何度かお会いしてみた感じだと、そうなんだろうなという気はしてくる」


 一種の変わり者と言える。正直、謀略の類ができそうな人間には見えない。


「菊殿にお熱なのも、全然隠せておらぬ」

「ああ、やはり重教殿も気づいていたか」

「でなければ、元家人の娘のところに公卿が通ったりするはずもないだろう。実尹卿は気づかれておらぬと思ってそうだが」

「私から見てもバレバレです」


 まだ色恋をよく分かってなさそうな委渡にすら見抜かれていた。

 気づいていないのは本人ばかり、ということなのだろう。


「実尹殿には奥方がいるが、菊殿との関係は半ば公認だ。子が生まれれば今出川家の一員として迎え入れられることになっている。もっとも、実尹殿本人はそういう話がまとまっていることを知らぬのだが。いつ言えば良いか、ちょっと悩んでいる」


 話しぶりからすると、その話をまとめたのは頼康なのではないか、という気がした。


「頼康殿も損な役回りだな」

「構わぬよ。私はあの二人が好きだからな。少しばかり骨を折るくらい、大したことではない」

「あの二人が、か」


 実のところ、重教からすると頼康が菊にほのかな想いを寄せているのもバレバレだった。

 時折、頼康は菊に向けて複雑な情念が込められた眼差しを向けている。あれは、異性の友人に対するものではない。


 菊は聡いところのある女性だった。おそらく、頼康の想いについても理解しているのだろう。

 その上で、実尹を選んだのだ。頼康の想いは報われることがない。頼康自身、その点は承知しているようだった。


 ふと委渡を見ると、彼女もやれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせた。


「頼康殿は、本当に損な役回りですね」

「え、あ、うん……」


 委渡にまで言われて、頼康もさすがに言葉の意味を察したらしい。

 どことなくばつの悪そうな表情を浮かべながら、頬をかいていた。




「実尹卿と吉野よしのの繋がりというのは、いささか考えにくい――というのが私の正直な所感だ」


 難しい表情を浮かべながら重茂しげもちに答えたのは、あの邦省くにみ親王の側近だった堀川ほりかわ具親ともちかである。

 今は出家している身で政治的な動きは取らなくなっていたが、朝廷の内情については重茂などよりもずっと詳しい。

 加えて、彼は今出川実尹の同僚だったこともある。その経歴を見つけて、重茂は話を聞きに来たのである。


「彼はあまり隠し事の類が得意ではない。頭はむしろ良い方なのだが、人の機微にはやや疎いところがある。仮に私が謀を巡らせるとしても、彼を相談相手にはしたくないな。そこから周囲に気づかれる恐れがある」


 密議に関する適性がまるでない、ということらしい。

 であれば、師秋もろあきから聞いた御妻おさいの一件は今出川家と関係ない、ということなのだろう。


 そう思いかけた矢先、堀川具親は「ただ」と続けた。


「先の話に関して、今出川家が吉野と通じていない、とまでは言い切れないな」

「どういうことでしょう」

「家の意思決定は当主だけでなされるわけではない、ということだ」


 当主以外が御家の意思決定をなす――そう言われても、重茂は今一つピンと来なかった。


「当主であっても頭が上がらぬ者というのは存在する。御母堂然り、奥方然り」


 重茂が首を捻っていると、横から大きな声で助け船が出された。

 この大きな声は、顔を見なくても誰のものかすぐに分かる。

 邦省親王だった。今日は偶々堀川邸に用事があって来ていたらしい。


「要するに、その家の女どもよ。男ばかりが家を取り仕切っているわけではない。表にはなかなか出てこぬが、女子どもの動向も忘れてはならぬぞ、大和やまと権守ごんのかみ

「実尹殿の母君は今も健在だ。そして、西園寺さいおんじ家出身でもある」


 邦省親王の言葉を継いで、具親は話を続けた。


「侍女に関しては、実尹卿が一人一人細かいところまで把握しているとは考えにくい。どちらかというとそれは女主になり得る母君か奥方の役目だろう。侍女の動向に不審な点があるとすれば、まず疑うべきはそういった女主の方だ」

「私は今出川家についてあまり詳しくありませぬ。堀川殿は何かご存知でしょうか」


 重茂の問いかけに、具親は頭を振った。


「他家の女子のことに詳しい男はそこまでおるまい。その家に仕えている身であれば分かるかもしれぬが」

「さようでございますか」

「ただ、西園寺家は大覚寺だいかくじ統にもいろいろと縁があった。姻戚による縁がな」


 吉野の先帝である後醍醐ごだいごには、西園寺家に縁のある后妃が何人かいる。

 その一人が、堀川具親と今出川実尹がかつて仕えた珣子たまこ内親王だった。彼女は光厳こうごん院の同母姉で、持明院じみょういん統・大覚寺統・西園寺家を繋ぐ重要な役割を担っていた。ただ、皇子は生まれず、彼女自身も既に世を去っている。

 また、現在も吉野で辣腕を振るっている阿野あの廉子かどこも、西園寺家の分家筋である洞院とういん家の養女である。元々は、後醍醐の后妃である西園寺家の女性に仕える身だった。


「女子の繋がりというのは、男からすると存外見えにくい。そして、軽視できない力を持っている。それこそ西園寺家の家督が公重きんしげ卿から名子なこ殿の御子に移されたのが、その一例であろう」

「西園寺に縁ある女子同士が通じていて、それが吉野にも届いている可能性がある――ということでしょうか」

「あくまで可能性の話だがな」


 なんだか、思っていたより話が大きくなってきた。

 ただでさえ京の公家の内情はややこしいのに、今まで見えていたのは表側のみで、裏ではまた別でいろいろとあるのだ――そう言われても、なかなかすぐに適応できそうな気がしない。


「無理にすべて理解しようとしなくても良いぞ。我も女子の内情については理解が追い付かぬ。ただ、そういうものもあるのだと思っておけば当面は十分であろう」


 京でずっと生きてきた邦省親王ですらこう言うのだから、自分が無理に理解しようとしても仕方ないのだろう。


「当面は、割り切って考えることにいたします」

「それが良い。あれもこれもと考えすぎると、かえって何も頭に入らなくなるものだ」

「はい。今は歌会に向けて集中いたします」

「歌会?」


 邦省親王が首をかしげる。

 そこで、重茂はあらためて今度開かれるという京極派の歌会について二人に説明した。


「面白そうな歌会であれば顔を出そうかとも思ったが、京極きょうごく派の集まりか。ならば遠慮しておこう」

「殿下は二条派でしたか」

「そこまでこだわりがあるわけではないがな。正親町殿が開かれる歌会で日野ひの家の面々が顔を出すとなれば、実態としては院の側近の集まりのようなものだろう。そんな場へ単身突撃するほど、我も空気の読めぬ男ではない」


 光厳院派からすれば、京に残って皇位を窺っている邦省親王はなんともやりにくい相手であろう。

 表立って対立しているわけではないものの、潜在的な競合相手ではある。仲良しこよしというわけにはいかない。


「まあ、いずれにしても気張ることだ。大物揃いだろうし、少しでも隙を見せれば突かれると思って臨んだ方が良い」


 邦省親王の忠告に、重茂は頭を下げつつごくりと喉を鳴らした。


 京に来てから大物と顔を合わせる機会はあった。

 ただ、そういう人々が列席する場に臨むのは今回が初めてのことである。




「――ふむ。良かろう」


 六回目の訪問。

 最初の日に告げられた「あと五回」の最後の回、どうにか作り出した重茂・重教の歌を見て、公蔭はゆっくりと頷いてみせた。


「最低限、見せられるものにはなった。今度開かれる歌会に、二人を招待するとしよう」


 公蔭から合格をもらって、重茂たちは安堵の息を漏らした。

 前回までの評価を考えると、不合格とされる可能性も十分にあったのだ。

 どうにか西園寺家や日野家への取っ掛かりを掴めた。そのことに、少しだけ気が緩む。


「言っておくが、ここからがそなたらの本番だ。ここで気を緩めているようでは、当日恥をかくことになる」


 公蔭からぴしゃりと言われて、二人はそれぞれ居住まいを正した。


「ちなみに、此度の歌会はどのような方々が参加されるのでしょうか」


 重茂の問いかけに、公蔭は「ふむ」と頷き、一人一人思い出すように名前をあげていく。


「西園寺公重卿、柳原やなぎわら資明すけあき卿、洞院公賢きんかた卿、今出川実尹卿、四条しじょう隆蔭たかかげ卿、勧修寺かじゅうじ経顕つねあき卿。武家からは足利あしかが尊氏たかうじ殿と直義ただよし殿、それに武蔵守もろなお殿も参加すると連絡があった」

「兄上もですか」


 聞いたことのある名前が多々含まれていることに、重茂は少なからず驚いた。

 師直たちに関しては、登子なりこの指示で動いていた重茂たちとは完全に別口である。

 偶々なのか、何か見えない繋がりがあってのことなのか。


「あとは、夢窓むそう疎石そせき古先こせん印元いんげん、そして院が参加される」


 なんでもないことのように、公蔭は告げる。

 あまりにさらっと言われたので、重茂は思わず聞き返してしまった。


「公蔭卿。今、なんと仰られましたか」

「うん?」


 聞こえなかったのか、と公蔭はもう一度同じ言葉を繰り返した。


「夢窓疎石と古先印元――それから院が参加される」

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