第48話「巡る天下、回る人々(弐)」
兄の元へ向かった
これはなにか大きな話だと、重茂は察した。
「近く、帝がこの京に戻られることが決まった」
最初に言葉を発したのは師直だった。
その場に集まった者たちは、重茂含め神妙な面持ちである。
重茂たちは、以前からその話を聞かされていた。だから驚きはない。ようやく話が決まったかと、そう思っただけだ。
「だが、あの帝一人を押さえたところで意味はない。元弘の折もそうだった。帝だけでなく、帝に同心する者たちを押さえねばならない」
そのまま隠岐に流され、後醍醐一派の動きは鎮まるものと思われた。しかし実際はそうならなかった。
後醍醐に与する
そういうことが積み重なって、鎌倉幕府は倒れることになったのだ。後醍醐一人を掌中に収めたところで、世は鎮まらない。
「しかし帝に同心する者など、あちこちにいると思いますが。すべて押さえるということですか?」
重茂の疑問はもっともだった。
今や、世の中は
世の中は所領問題で満ち溢れている。
親が所領を分割して相続させ続けた結果、一族内で少なくなった取り分の奪い合いが起きるケース。
力をつけてきた者に自らの所領や権限を奪われ、それを取り戻そうと争いを繰り返すようなケース。
他にも様々な理由で、公家・武家・寺社問わず、所領に起因する揉め事が起き続けていた。
そんな状況だから、少しでも相手を蹴落とそうと躍起になる者も多い。
相手が足利につくなら自分は後醍醐に。相手が後醍醐に寝返るならこちらは足利に、というようなことも起きている。
故に、世は二分されつつあると言っても良いような状態だった。
後醍醐派を押さえるというのは、世の半分を押さえ込めと言っているのに等しい。
「主だったところを押さえれば良い。よほど帝に執心な者か、足利の世を望まぬ者でなければ、それで静かになるだろう」
「勝ち目がないと相手に思わせる、ということですね」
「そうだ」
師直の言葉を憲顕が簡潔にまとめ、重茂は頷いた。
それで世が鎮まるかどうかは分からないが、実際のところ、できることはそれくらいだろう。
「西は
「では我らは、関東ですか」
「ああ、それが今日の本題だ」
そこまで告げると、師直は直義と視線を交わした。ここからは、直義が説明するということなのだろう。
尊氏もその場にはいるが、口を開く様子はない。ひどくやつれているようにも見えた。
「――現在関東は兄上の子・
憲顕は、かつてその父・
それは、同国の武士を率いる権限が与えられているということでもあった。
「ついては重茂。そなたを武蔵守護職に任じることにしたい。異存はないか」
「武蔵守護?」
思わず間抜けな声が漏れてしまった。とは言え、これは無理からぬことである。
武蔵守護といえば、鎌倉幕府健在の頃は
そんな名誉ある役職が急に舞い込んできたとあっては、動揺するのも無理はない。
「守護職でもなければ、いざというときにどうしようもあるまい。鎌倉含む
「なるほど」
上野。そして武蔵。
いずれも、千寿王・家長がいる鎌倉からは東北寄りの国だった。
「私たちは奥州勢を抑え込むのが役割、ということですね」
東国における最大の後醍醐勢力は、なんといっても奥州の
北畠は、一度足利方を京から追い落とした実績を持っている。これから自分が相対する敵の強大さに、重茂と憲顕は身震いを抑えきれなかった。
関東行きの話が終わった後、重茂は師直に連れられて別の邸宅へと移っていた。
今は戦の最中ということもあり、諸国の武士が京の邸宅を半ば強引に借り受けている。
戦の都合で邸宅が変わることも珍しくない。案内がなければ、どこに誰がいるのか分かったものではない。
「おう、また会ったな」
その邸宅で待ち受けていたのは、
その側には他の島津一族も揃っている。その顔触れを見て、重茂はこれがどういう集まりなのかを察した。
「上総入道殿、国許の方はよろしいのですか」
「しばらくの間なら残しておいた者たちだけで問題ない。所用を片付けたら、あやつを国許に戻す」
貞久の視線の先には、島津
今日は戦装束ではなく、改まった衣服を着こんでいた。
「御自身は戻られないので?」
「なんだ、わしがいるとなにか困るのか」
「いえ、今回の儀のために来られたのかと思い」
「それもあるが、この
相変わらず鋭い嗅覚を持っている。
貞久が
薩摩で京の情報を得るまでの時間も考えると、恐るべき感覚の持ち主と言えよう。
そんな雑談を交わしている間に、周囲ではテキパキと準備が進められていた。
髪を整えるための道具一式。そして烏帽子。
これは、島津生駒丸の元服の儀の場なのである。
「
「武士として、恥じることなく生き抜いた。今はそう思うことにしています」
「そうだな。武士は殺し殺されるもの。死ぬことまで含めて、生きるということだ」
本来なら、この場に呼ばれるのは重茂ではなく師久だったのだろう。
師久と生駒丸は、傍から見ていると実の兄弟のようにも見えた。生駒丸にとっても悔しいことだろう。
自分にできるのは弟の名代として恥ずかしくない振る舞いをすることだけだと、重茂は気持ちを改めた。
やがて、厳かな雰囲気の中で元服の儀が始まった。
生駒丸の髪が子どものものから大人のものへと整えられていく。
貞久も師直も、皆が黙ってその様子を見守っていた。
やがて理髪の儀が済むと、師直に烏帽子が渡される。
師直は静かに生駒丸の元へと歩み寄り、その頭に烏帽子をかぶせた。
「生駒丸殿」
「はい」
「本日より、そなたはこの名を名乗られよ」
師直は懐から紙を取り出した。
元服の儀は名前を改める場でもある。
子どもの名前である幼名から、大人の名前である諱に変わるのである。
師直が広げた紙に記された名前を見て、生駒丸は目を見開く。
それが、島津生駒丸が今後名乗ることになる新たな名だった。
「これは、上総入道殿ともよくよく相談して決めた名である。我が
「はい」
「この名に恥じぬ立派な武士になってくれることを、心から願う」
「なります」
彼は――島津師久は、正面の師直を真っ直ぐに見つめて宣言した。
「我が島津一族の誇りと、烏帽子親である師直殿――そしてこの名に誓います。私は、この名に恥じぬ武士になります」
その姿を見て、重茂は自分が安堵していることに気が付いた。
人の生き死には分からない。明日にも死ぬかもしれない。
しかし、それで生きてきたことが無駄になるわけではない。
誰かが為そうとしたことは、誰かが引き継いでいく。
少し前に、憲顕がそう語っていた。
弟の生きてきた意味は確かにある。少なくともここに一人、彼の生き様を継ごうとする若者がいる。
島津師久のなかで、高師久は生き続けるのだろう。
そして、自分のなかでも。
ならば、自分もしっかりせねばなるまい。
弟に恥じぬような生き方を。いつかあの世で弟に誇れるような、そんな生き方をしていかねばなるまい。
新しい師久の門出の日は、重茂にとっても新しい一歩を踏み出すきっかけになった日となったのであった。
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