第6話 三杯目のコーヒー
十数分が過ぎた。大仏男は三杯目のコーヒーをすすりながら
テーブルの上に設置された100円ゲームで遊んでいる。
男は落ち着いたのか体の震えはとまっていた。
「くそ、何だこのクソゲーム。難しすぎるぞ!」大仏男がこぶしで
ゲームをたたくと、ウエイトレスがにらみつけた。
結構遅い時間になったがお店にはまだちらほらお客がいる。
若いカップル、老夫婦、サラリーマン風の男、暇そうな若者グループ。
皆が携帯画面を見つめてポチポチしている風景はある意味異様ともいえる。
そんな中、さらに異様な雰囲気な二人組みのテーブルにはたべかけの
冷めたハンバーグ、溶けたアイスクリーム、冷めたコーヒーが残っていた。
「で、気分は落ち着いたか?」
「・・・・」男は静かにうつむいていた。
「ところでよ、お前が好きなアイドルとかいるのか?」
「・・・・」男はかすかな声で名前を言ったが聞き取れない。
「まあいい。ここ例え話をしようか。お前が好きなアイドルか女優を
頭に浮かべろ。んで、その女が裸になってお前に近づいてきたとする。
ただし手にはムチを持ってる。そのムチでお前を叩いたとしたらおまえは
どう思う?うれしいか?つらいか?」
「・・・何を言いたいんだ」
「いいからイメージしろ!ものすごくあこがれている女と二人っきりで
いたとして、その女にムチで叩かれたらどう思う?いわゆるソフトSM
みたいなもんだ」
「・・・多分うれしいと思う。」
「多分かよ・・・。もっと正直になれよ。憧れの女優やアイドルとSMみたいな事が出来たら普通の男は喜ぶもんだろ。」
「・・・って、なんでここでSMの話がでるんだ?」
「細かいことはどうでもいいの!あくまで思考実験なんだからよ!」
「・・・・・」
「で、今度はその女が俺だったらどうする?俺が裸になってムチを振るったらどう思う?俺じゃなくて、アベさんでもいいぜ!」
「!・・・それは絶対嫌だ!」
「なんでよ?ムチで打たれるのは一緒だろ?」
「・・・・」
「考えてみろよ。この世には約35億人の女性がいる。んで、その中には一人ぐらい俺かお前にムチで叩かれたいと思う女だっているはずだよな?」
「・・・何を言いたいんだ?」
「ムチでたたかれるという行為は同じでも、それを良いのもと思えば喜びに変わり、悪いもの嫌なものと思えば苦しみに変わる。」
「・・・・で?」
「楽しいか辛いか・喜びか苦しみか、なんて相対的なもんって事よ。
絶対的な幸せが無いように、絶対的な苦しみも存在しない。
だって、2時間前のお前にとって最大の目的は絶対的な安らぎを得ること、
つまり、死ぬ事だったんだろ?」
「・・・・」
「普通は死を望まない。でも状況というか考え方によっては死も幸せの
一つといえるという事だ。」
「・・・・」
「話を戻そう。例えば、滝に打たれる坊主がいたとしよう。
この坊主は素晴らしいのか?」
「・・・普通は厳しい修行をする立派なお坊さんと思う。」
「じゃあよ、俺がSMクラブでムチを打たれても立派な修行と
お前は思ってくれるんだな?」
「それとこれとは全然違う!」
「何が違うんだ?」
「修行と性欲は違うだろ!」
「何が違う?同じ打たれたいという欲に違いは無いだろ?自分を打つのが水なのかムチなのかの違いしかないぞ」
「いや、違う。うまく説明できないけど違う。」
「じゃあよ、俺がムチ打たれることで何か世の中の為になると思うか?」
「なるわけ無いだろ!」
「じゃあ、坊主が滝に打たれて何か意味あんの?」
「決まっている。あるからやってんだろ!」
「まじ?それはどんな意味?」
「そんなの俺が知るかよ。」
「おかしいな。仏教をつくった張本人が苦しい修行なんて意味が無いって
言ってんだけど。さっきお釈迦様の覚りまでの道のりを話したべよ。」
「・・・・・」男は言い返せなくなりコップの水を一口飲んで口を開いた。
「じゃあ、SMクラブでムチで叩かれている人も、修行として滝に打たれているお坊さんも違いは無いって言うのか?」
「まったく無い。自分の意思でやっているならばな。」
「おかしい。それはおかしい。間違っている。」男はまた声を荒げた。
「だから、何がおかしいの?おかしいならば俺を説得してみろよ。」
「・・・・」男は言い返せない悔しさでこぶしを握り締めた。
「話を最初まで戻そうか。お前はなぜ死後の世界や異世界を望んでいる?
これと同じく、なぜお前は滝に打たれる坊主が偉いものだと思っている?」
「・・・・」
「お前は、お前自信が下すものの判断基準が何からきているのか分かっていないんだよ。はっきり言うが、今のお前は駄々をこねる5歳児と同じ思考で俺の意見に反対している。つまり、ぼくちゃんが正しいんだ!っていうやつでな。」
「・・・どういう意味だ?」
「分かりやすく言おう。正直言えば、死後の世界も異世界も滝に打たれる坊主もそんなのどうでも良い事なんだよ。お前はどうでもいいことと大切な事の区別がつけられていない。自分の考え、つまり、過去の記憶に異様に執着しちまっている。」
「・・・・・」
「ここで重要なのは、執着心が苦しみを生む元凶だって事ことだよ。」
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