感嘆

見た目こそ幼くても、安和アンナは立派に自立心を持った一個の人格だった。ミハエルとアオが彼女をそう受け止めてきたから。


けれどまだまだママに甘えたい気持ちもある。ミハエルとアオは、その気持ちとも向き合ってくれる。だから離れていても寂しくない。両親の自分に対する気持ちを疑う必要もないから。


そうして安和がアオや椿つばきと話をしている間、セルゲイと悠里ユーリはレンタカーを借りてジャカルタ郊外へとやってきていた。


この辺りまで来るとさすがに緑も多い。代わりに街灯も人通りもなくなるので、当然、夜になれば日本よりは危険も増える。


とは言え、仮にも二人は吸血鬼とダンピール。人間の強盗など子犬に絡まれるようなものでしかなく、何の心配もない。


ただ、確実に自分より弱い相手を痛めつけて憂さを晴らすような趣味も持ち合わせてはいないので、レンタカーは近くの支店に返し、そこから先は狙われないように気配を消して徒歩で移動するけれど。タクシーを使わないのは、ごくたまに強盗がタクシードライバーに成りすましているような事例があるからだ。


最近は比較的マシになってきているとは言われてもいるものの、それでも日本に比べれば危険もある。むしろ、昔に比べれば治安が悪くなったと言われつつも日本の治安の良さはもはや異次元のレベルであり、日本を基準に考えるのは適切じゃないだろう。


この辺りは、長年にわたって世界を見てきたセルゲイにとって慣れたものと言えた。


そうして気配を消したまま道を外れ、藪へと入っていく。この辺りだと対策も取られているのでそれほど多くはないにしても、やはり野犬も出る。


さりとて、野犬の方がむしろ力の差を察して早々に逃げるのが普通なので、人間よりは逆に安全かもしれない。


と、藪に入って早々に、


「ユーリ、オオルリオビアゲハだ。寝ているね」


月明かり以外にまったく光のないそこでも、セルゲイはたやすく木の葉の影で寝ている青い模様が美しい蝶を見付け、悠里に示した。


さすがにまだ未熟な悠里はすぐには見付けられなかったけれど、それでもセルゲイに示してもらった辺りをよく見て、


「あ……!」


と小さく声を上げた。僅かに月の光に照らされたそれは、息を呑むほど美しかった。


「すごい……」


人間の耳には聞こえないような微かな呟きも、悠里の感嘆を表すには十分かもしれない。


悠里は、生き物の持つ美しさや力強さに惹かれていた。奇跡のようなバランスで成り立っているそれがたまらなく好きだった。


もっとも、蝶の美しさに見惚れている悠里自身も、月の光に照らされて、恐ろしいほどに美しかったのだけれど。


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