将校食堂 同日 一八四〇時
軍隊というモノは、階級によって暮らしのスタイルがまったく異なる。
たとえば兵卒は集団生活が原則のいっぽう、将校は最低でも個室を与えられ、営外通勤も――金銭的に余裕があるなら――可能である。食事も同様で、それぞれ異なるスペースでとるのが基本だ。
第119装甲旅団が駐屯する演習場の場合、将校食堂は本部宿舎に隣接して設けられている。
殺風景な内部は木製の長テーブルがならび、百人分の座席が用意されていた。カールが席についた時点で、埋まり具合は半分程度といったところである。
この日の夕食は白いソースをかけた、白身魚の揚げ物がメインだ。山盛りのザワークラウト――発酵させた千切りキャベツの上に、ふかしたジャガイモを添えて四枚載せてある。トレイの上には大皿のほかに、白ワインを注いだグラスが見えた。
カールはすでに一枚食べ終え、いまは二枚目を切り分け始めたところであった。
そのさなかに突然、正面から声が聞こえてくる。
「失礼するよ」
カールが顔をあげてみると、恰幅のよい戦車兵服姿の男が、テーブルの反対側でトレイを手にして立っていた。駆逐戦車装備の第4中隊を指揮する、フリードリヒ・ラング中尉である。
ラング中尉はトレイを置き、向かいの席に腰かけた。
「さっき若い連中のそばを通ったが、『たまには肉を食いたい』と口々にこぼしていたよ」
「自分が着任してからずっと、似たようなモノばかりですからね」
思わず苦笑しつつ、カールはそう答えてみせる。
魚は演習場の近くにある、湖で養殖されたものであった。食料増産の一環として各地で育てられており、旅団ではほぼ毎日、三食のどれかで登場する。いっぽうカールが着任して以来、肉料理がでたのは片手で数えられる程度であった。スープや燻製などバリエーションはあるものの、新人たちは飽きはじめているらしい。
ラング中尉も、似たような表情で言った。
「気持ちは分かるが、贅沢な悩みだよ。温かい物が食えるだけで、もう十分に有り難いさ」
「そうですね」カールは頷いた。「炊事班が空襲に巻き込まれて、しばらく缶詰肉と乾パンで凌いだことがあります。それに比べれば、こいつは随分な御馳走かと」
「お互い、前線で苦労したようだな」
中尉はそう呟くと、そばにあるワインボトルを引き寄せた。
それからカールとラング中尉は、ゆっくりと食事を楽しんだ。切り分けた魚やジャガイモをフォークにつき刺し、あるいはザワークラウトをすくって口の中へはこぶ。
彼らはサクサクとした衣の食感や、ザワークラウトの酸味、そしてジャガイモのホクホク感をひとしきり堪能した。もちろん時おり、アルコールを摂取するのも忘れない。
皿の上は、一〇分ほどで空になった。
カールはラング中尉のグラスを受け取り、二杯目の白ワインを注いだ。それを渡したあと、中尉がふかい溜息をつく。
「お疲れですか?」
「まあな」ラング中尉は頷いた。「うちは駆逐戦車中隊だから、色々と勝手がちがう。僕も転換訓練を受けて間もないから、部下へ教えるのに試行錯誤の連続さ」
「基本的に、待ち伏せ専用の兵器ですからね」
彼らが言及したとおり、駆逐戦車は運用スタイルがいささか特殊だ。
これは車高を低くすべく、砲塔を取り払ったのが原因だ。おかげで僅かな起伏等ですぐさま身を隠せるものの、主砲は正面の限られた範囲にしか向けられない。敵に側面や後方へ回り込まれると、どうしても対応に苦慮してしまう。
そのため第4中隊では陣地構築や偽装といった、『見つからない』ための訓練がなにより重視されていた。
「それに新兵の面倒も、なかなか大変なところがあります。戦闘指揮とは、また違った難しさがありますよ」
カールがそう答えると、ラング中尉は考え込むような顔をした。
「どうしましたか?」
「いや……ベテランの再訓練も、難しいと思ってな」
「えっ?」
意外な言葉にカールが驚くと、ラング中尉は「ああ」と答えた。
「第4中隊にいる古兵は、僕と同じように通常の戦車部隊から移った連中ばかりだ。駆逐戦車にまだ不慣れだし、転換訓練を受けられなかった者もいる。演習中に44式へ真っ向勝負を挑んで、撃破判定をくらった車長も多いよ」
変に癖のない新米のほうが、教えるぶんにはむしろ楽かもしれない。中尉はそう言って、ワインを軽く口にした。
「といってもだ。このご時世に実戦経験者は、それだけで黄金に匹敵する価値がある。我が旅団の場合、その数はけっして多くないから尚更だ」
「はい」
深く頷いたカールに、今度はラング中尉が尋ねてきた。
「シュナイダー中尉、君はどうなんだ? 中隊を指揮すること自体、そもそも初めてなのだろう?」
「文字どおり苦労ばかりですが、そうですね」
カールはワイングラスを置き、わずかに間をあけてから答えてみせた。
「兵たちとのコミュニケーションは、それなりに上手くいっていると思います。自分の指揮下に将校がいるのは、慣れるのに時間がかかりましたが」
「それまで上官……せいぜい同僚だったのが、自分の下について困惑したと?」
「はい。おまけに貴族出身がひとり居るので、どう接すべきか正直なところ悩みました」
「ああ、フォン・メッケン少尉だったか」
ラング中尉の言葉に、カールは首を縦に振る。
「第2小隊長です。絵にかいたような新品少尉、といった感じで」
「確かに、それは大変そうだ」
中尉が苦笑するなか、カールはワインを一口のむ。
「しかし一番おどろいたのは、ベテランの少なさです」彼は話をつづけた。「たとえば指揮下にある車長は、九割近くが実務を経験していません。自分が言うのも変ですが、ここまでルーキーが多いとは思いませんでした」
帝国軍では新部隊を設ける場合、既存兵団のひとつを母体に定める事が多い。
これは一定数の将兵をまとめて引き抜き、基幹要員として用いるためだ。同じ部隊の顔見知りを集めることで、組織の一体感や団結心が形成しやすいというメリットも存在する。壊滅した師団の生き残りを、丸ごと転用した事例もあるらしい。
だが、第119装甲旅団の場合は異なっていた
「人材不足は、どこも一様に酷いからな」
カールが口を閉じたあと、ラング中尉がポツリと言った。
おそらく戦局の影響で、母体となる部隊を用意出来なかったのだろう。旅団はまったくのゼロから編成され、基幹要員ですら各方面からの寄せ集めであった。
加えてその数も十分でなく、将校と下士官のおおくが練度に問題を抱えていた。教育を受けただけの新人や、カールのように昇進から間もない者が大半である。
「僕の中隊はまだマシだが、転換訓練が必要だからあれこれと難儀している。それにベテラン勢のなかには、前線からしばらく離れていた人もいるからな」
「……旅団長のことですか?」
カールがそう聞くと、ラング中尉は小さく頷いてみせる。ゼッケンドルフ中佐は片腕を切断したあと、現職を拝命するまで教官職にあったそうだ。
しばらくして、ラング中尉が顔を上げた。
「とはいえだ」中尉の声は、奇妙なほどに明るかった。「新設部隊である以上、ルーキーが大勢配属されるのは致し方ない。僕がまずやるべき事は、彼らを鍛えあげる事だ。もちろん、僕ら自身も含めてな」
カールはこくこくと頷いた。
「来たるべき時に備えて、ですか」
「その通り。まあ、それくらいの時間はあるだろう」
中尉はそう答えると、グラスを手にとって口元に運んだ。カールもそれに倣い、心地よい酸味とアルコールをしばらく楽しむ。
二人を呼ぶ声がきこえたのは、グラスがすっかり空になった頃であった。
「ラング中尉殿、シュナイダー中尉殿、宜しいでしょうか」
声を聞いたカールが振り向くと、野戦服を姿の兵士が気を付けの姿勢で立っていた。記憶がただしければ、大隊本部付きの伝令兵である。
カールが怪訝な顔をしていると、ラング中尉が彼に尋ねてみた。
「どうした?」
「大隊長殿からの言づてを預かっております」伝令兵は姿勢を崩さずに答える。「各中隊長は一九三〇時までに、旅団本部の第三会議室へ集合せよとのことです」
それを聞いたカールは、表情をさらに険しくさせた。対面にすわるラング中尉も、様子はさして変わらない。中尉が了承した旨を伝えると、伝令兵は一礼して離れていった。
「いったい、何事でしょうか?」
「さあな」
カールの呟きに、ラング中尉はそう答えて続けた。
「ただ、こんな時間に突然の招集だ。ろくな話じゃないだろう」
「そうですね」
その時ちかくで、慌ただしい足音が聞こえてきた。そちらのほうを見ると、数人の士官が小走りしているのが見える。
「僕らも行こう。あと二〇分くらいだからな」
ラング中尉の言葉に、カールは「はい」といって頷いた。彼らは手元をすばやく片づけ、すっと席を立ちあがる。足早に歩きだしたその表情は、いずれも不安ですっかり固くなっていた。
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