熱(3)
気がつくと真っ暗な部屋にいた。目が慣れると、そこが寝室でベッドの上に横たわっていることがわかった。裸のままで、布団はきちんとかけられている。上半身を起こして由香奈は半開きのドアの方を見る。灯りが差して、テレビの音が聞こえる。そのドアの隙間から松田の顔が覗く。
一度引っ込んだ後、彼は水のペットボトルを持ってきた。無言で渡され、由香奈も喉が渇いていたからありがたく蓋を開けようとする。が、手に力が入らない。松田が蓋を開けてくれた。水を飲むと喉がひりついた。
むき出しになった肩に毛布をかけられる。そこでようやく、由香奈は自分が寝入ってしまったのだということを察した。
「ごめんなさい。帰ります」
なんて粗相をしてしまったのだろう。由香奈は怯えるように慌ててベッドを下りる。ぐらりと体が傾ぐ。
「まだ寝てたっていい」
支えられ言われたけれど、由香奈はものすごい勢いで首を横に振る。松田もそれ以上は言わなかった。
指がうまく動かない。ブラウスのボタンをかけるときにそれにも気づいた。体がひたすら重い。教材の入ったトートバッグも重石のように感じる。
片腕を松田に抱えられ、どうにかこうにかエレベーターホールまで歩いた。
下降してきたエレベーターのドアから、管理人の藤堂の驚いた顔。この人のこんな顔を、初めて見た。
朦朧とした意識で由香奈はなぜか嬉しく思う。いつも鉄面皮の藤堂にも感情はあるのだ。
「この子、熱があるみたいで……」
松田の低い声。藤堂がなんて言っているかはもうわからなかった。ただ、温かい腕にふわりと抱き上げられる、そんな感覚があった気がした。
『お父さん、どうして怒るの? お母さんとケンカしないで』
『お父さん大きな声出さないで。お母さん泣いてたよ』
『お父さん、お母さんどうして帰ってこないの? ゆかなのせい? ゆかなが悪いの?』
――金だ、金があればいいんだろ?
――金をもらえばいいんだ。
――いい子に黙ってなんでもさせるんだ。そうすればなんでももらえる。
――おまえはおれを裏切るなよ。
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