善意(3)
「ゆかなん、算数教えて」
女の子にいきなり呼ばれたときには驚いた。
「え……」
おかっぱ頭の目の綺麗な女の子は、固まる由香奈をきょとんと見上げている。
「いきなり失礼でしょ。由香奈さんて呼びなさい」
見かねた園美さんが間に入ってくれると、女の子は肩をすぼめて悲しそうな上目遣いになった。
「ダメ?」
由香奈は考える間もなくぶんぶん首を振る。
「ダメじゃない。い、いいよ……」
「やった。ゆかなん、ここの角度ってどうすればわかるの?」
算数のテスト直しらしい。赤でバツの付いた問題を指している。
「えーとね……」
それから女の子たちからは「ゆかなん」と呼ばれるようになった。クレアは「クレアさん」なのに、とは考えないことにする。あだ名で呼ばれるなんて初めてで、自分が子どもに戻ったような心地になった。
そのうち、商店街のハロウィンのイベントに合わせ、フラワーの店頭に露店を出そうという話になった。目の前の交差点を利用させてもらえればテーブルをセッティングして大々的にやれそうだ、と。
「それでね、由香奈ちゃんに手伝ってもらいたいの」
園美さんに頼まれ、由香奈は戸惑った。これまでは、あくまで食堂のお客さんだったけれど、本格的に手伝うとなると、それはもうボランティアスタッフということになる。
ボランティア? 自分が? 反応できずにいる由香奈をクレアが助けてくれた。
「由香奈は接客やりたくないんだものね」
「そうなの?」
目を見開いた後、園美さんは残念そうな顔つきになる。
「由香奈ちゃんに、ウェイトレスさんやってもらいたいのだけどな」
「……」
由香奈はやっぱり何も言えない。とりあえず、その場は返事を保留にして解放してもらえた。
日没後のエントランスは橙色のライトが点いて、昼間より明るかったりする。その灯りの下で、由香奈はポスターの女性と向かい合う。いつもは冷たく見える眼差しが、少しだけ暖かいように感じる。
「おかしいよね……」
ぽつりと声を落とす。
「私が、ボランティアとかって」
あんなことをしてるのに。項垂れていると、脇から声がした。
「関係ないだろう」
管理人室の扉の前で。由香奈の方は見ずに藤堂が淡々と言う。
「その人間がこれまでやってきたことと、これからやろうとしていること。それはまったく別の問題だ」
「……」
そうだろうか。由香奈にはそんなふうにすっきり考えられない。ただ、否定されなかったことは嬉しい。由香奈はしきりに瞬きしながら、頷くように頭を下げた。
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